グローバルネット(月刊環境情報誌)
2014年8月(285号)
特集/【セミナー報告】アフリカ半乾燥帯での砂漠化対処や
地域開発支援について−住民目線での取り組みを探る−
総合地球環境学研究所 田中 樹
2014年6月20日に地球環境月間・アフリカの暮らしと環境を考える合同セミナー「アフリカ半乾燥帯での砂漠化対処や地域開発支援について−住民目線での取り組みを探る−(主催:首都大学東京、総合地球環境学研究所、地球・人間環境フォーラム)」が首都大学東京・秋葉原サテライトキャンパスで開催されました。このセミナーでは、アフリカ半乾燥地での砂漠化対処や地域開発支援を意識して、住民目線での対処法を探るフィールド研究者の経験や知見が紹介されました。
話題は、『スーダン東部半乾燥地における林産資源の活用と管理の課題―在来種と外来種とのつきあい方を考える−(秋田大学、縄田浩志)』、『現地の人びとの生活実感から見た改良カマドの有効性−チャド湖南岸域での調査事例から−(総合地球環境学研究所、石山俊)』、『「何もしない」でできる耕地内休閑システム−住民の立場に立った砂漠化対処技術の設計と実証−(首都大学東京 伊ヶ崎健大)』、『土地を守る技術を編み出す−西アフリカの篤農家たちの挑戦−(総合地球環境学研究所 清水貴夫)』でした。ここでは概略を述べますが、さらに詳しくは、グローバルネット285号(2014年8月)を手に取ってください。
問題解決の糸口としての住民目線
わが国を含む「国連砂漠化対処条約(UNCCD、1994)」の批准国には、問題解決のための学術研究と社会実践の両面での貢献が長らく求められてきました。それから20年が過ぎましたが、今なお多くの地域が砂漠化や貧困問題に悩み、人びとの暮らしや生存が脅かされています。砂漠化問題の深刻さは、人びとの暮らしを支える農耕や牧畜、薪炭採集など日常的な生業活動に原因している点にあります。そして、砂漠化対処への取り組みには、その原因となっている暮らしや生業を維持しながら対処にあたるという困難がともないます。それゆえに、研究でも実践活動でも未解決のまま積み残された仕事が山積みです。
砂漠化対処や地域開発支援に用いられる技術やアプローチが適切であることを知るにはどうしたらいいでしょうか。それは、そんなに難しいことではないはずです。土地の人びとに「どう思いますか、使えそうですか」と訪ねればよいのです。あるいは、私たち自身に常に問いかければいいのです。対象地域の人びとの暮らしの向上や周辺の生態環境の保全・修復に役立つには、小難しい開発理論はひとまず置いておき、その土地の文脈を理解することから始めましょう。適切な地域理解から適正な技術やアプローチが生まれます。
スーダン、チャド、ニジェール、ブルキナファソの事例報告
縄田報告では、かつて砂漠化対処(とくに砂丘固定や薪炭資源の獲得)に有用と思われたメスキート(南米原産マメ科の木)が、その期待に反して現地の生態系や農耕に悪影響を及ぼしている事例が紹介されました。それではメスキートを駆除すべきか? 誰が導入を進めたのか? この事例では、そのような方向に焦点を設定せず、せっかく生えているメスキートを暮らしのために活用する具体的な方法を示しました。在来樹種を活用する乾燥地での新たなアグロフォレストリーの模索は、植生を増やすことを目的化するのではなく、薪炭材の獲得や牧畜あるいは漁労などの生業の強化を意識しています。人びとの暮らしを中心に据える意識が反映されています。
石山報告では、アフリカの半乾燥地での地域開発支援では定番ともいえる改良カマドが話題となりました。そもそも改良カマドは、現地の人びとの要望から考案され導入されたものなのか。外部者(私たち)が考える科学的(あるいは技術的)な合理性は、必ずしも現地の人びとのそれとは合致しないことがわかりました。また、一見すると原始的な在来の三ツ石カマド(写真1、2)の有用性を再発見する機会ともなりました。これまで使われてきた在来のカマドの再評価をベースに、現地の人びとによる改良型が生れる雰囲気や契機をどのように作り出せるのかが課題となることが印象付けられました。
【写真1】伝統的な三ツ石カマド
【写真2】金属製の改良カマド(材料は中古のドラム缶)
伊ヶ崎報告は、砂漠化プロセスの一つである風食(風による土壌侵食)の抑制と作物収量の向上を、とくに労力や資材を投入することなく実現できる簡便技術の開発と普及についてでした。「耕地内休閑システム」と呼ばれるこの技術は、徹底したフィールド研究をベースに研究者が作り上げたものです。その過程では、周辺地域の人びとの技術観の取り込みが何度か行われました。これは、砂漠化対処技術の開発において、住民参加坂が有効であることの証明でもあります。また、地域開発支援の現場で広く採用されているいわゆる「住民参加アプローチ」が技術の紹介までは有効でも、定着・普及には効果が及ばないことが指摘されました。このことは、現行の住民参加アプローチが改善の余地を残すことの重要な指摘であり、現地の人びととのより丁寧な対話を普及プロセスに織り込むことの必要性を示しています。
清水報告は、さらに一歩踏み込み、現地の農民有志とともに対処技術を開発・実証しようという取り組みです。紹介された事例は、自生する多年生草本アンドロポゴンをザイ(Zai)という技法を使って栽培し、収穫した茎葉をゴザとして編まれ穀物倉や壁材などの生活資材としたり、また域内市場で販売し現金収入を得ます。これを等高線状に植栽することで、地表を流れる水による土壌侵食を軽減し、土壌に水を取り込んだり、有機物などを農耕地にとどめておく効果が得られます。一見単純そうな技術ですがさまざまな経験や知恵が凝縮されていて、土壌侵食の抑制と生計向上、養分や地表水の捕集などが同時に果たせます。何よりも、現地の農民有志とその効果を実証したり、彼らの発想が次々と圃場で試験されています。
【写真3】ザイを掘る農民
【写真4】アンドロポゴンで編んだゴザ
意見交換から見えてきたこと
報告者を含め、24名で行われた総合討論では、それぞれの発表に関連する質疑応答のあとに活発な意見交換が行われました。とくに、縄田報告と清水報告で使われた「篤農家」に関心が集まりました。「篤農家」とは何か、どのようにして出現するのか、それを取り巻く人びとはその存在をどう捉えているのか、「篤農家」のアイデアや経験は地域社会の生業活動にどう織り込まれていくのかあるいは消えていくのか。実践技術を創成する地域の人的資源として、改めて考えるのにいい時期なのかも知れません。
開発支援においては、「問題発掘・問題解決」の思考に陥り、対象地域で実際に目に映っている問題や事象をそのままに認識せず、潜在する有望な人材や知恵や技術を見過ごし、外部から導入したものの地域適合性を検証する謙虚な姿勢を忘れがちな事例が少なからずあることに思い当たります。一連の報告では、外部者(私たち自身)がこれまでの認識や経験を内省すること、定番技術を無条件に受け入れるのではなく対象地域の文脈に沿って技術の妥当性や人びとの暮らしとのインターフェースを取ること、徹底したフィールド研究により地域の人材や資源を活用した簡便な有用技術が創り出せること、土壌侵食の抑制や植林など生態環境の保全を目的化するのではなく日常の暮らしや生業をよくすることを通じてそれを実現できること、技術や知識の創成において現地の人びとが私たちの協働者となりうること、などが明らかにされました。「Co-design」という言葉がありますが、住民目線は事象認識や技術の設計、実証の段階から始められることが強く印象付けられました。「農民有志とともに対処技術を開発する」という言葉は、住民参加の有効性を美しい言葉で称え、以ってそれを提唱する外部者自身の立場を正当化する際の常套句でしたが、必ずしもそうではないことを示すことができたと思います。
また、意見交換の中で、住民目線を意識して設計・開発・実証された技術が、どのように普及・定着するのかについて、従来の技術普及論を離れて考える必要があることが指摘されました。私たち外部者による対象地域への能動的な働きかけとして、「篤農家」をキーワードに、地域社会の人的資源の発掘やその潜在性を伸ばしうる環境つくりを考えようという意見も出されました。同様に、「篤農家」に限らず、現地には鍛冶屋さんや伝統医、井戸掘り職人などさまざまな職能集団が存在しますので、併せて注目していきたいと思います。
発表者が取り上げた話題は、依然として「古くて新しい課題」です。次の機会に、地域人材の発掘や養成の環境つくり、住民ベースでの知識・技術の普及、現行の住民参加アプローチの改善の余地などについて考え意見交換したいと思いつつセミナーを終えました。2015年の同じ時期に、もう少しオープンな形で「地球環境月間・アフリカの暮らしと環境を考える合同セミナー」を開催する予定です。
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