グローバルネット(月刊環境情報誌)
フロント―話題と人(2015年11月/300号)
財団設立25周年とグローバルネット300号を迎えて
〜環境を考える基本に据えたのは「思い遣りの心」〜
岡崎 洋
(一般財団法人 地球・人間環境フォーラム 会長)
私は昭和29年(1954年)に大蔵省に入省し、銀行局に配属されました。入省間もない私はある時、事務次官に呼ばれました。「水俣で起きていることについて大蔵省はあまり知らないのではないか。現地に行ってよく調べてきなさい」と命じられました。
水俣病はチッソ水俣工場から排出された有機水銀が原因の公害病でしたが、当時は「死者や発狂者出る。水俣に伝染性の奇病発生」などと地元の新聞が伝え、混乱の極みにありました。私は一人で現地に赴き、自治体や企業、住民や漁師、学者などにも会いましたが、立場、立場によってさまざまな意見の違いがあり、真相究明を求める人もいれば、現地で起きていることが外部に伝わるのをいやがる人びともいました。大蔵省に戻って「国が何かの形で踏み出さなくてはいけない状況です」と報告しましたが、同時に公害や環境破壊に対処するには早期発見、早期対応、科学的解明と現実の社会の反応の複雑さ、原因者責任の明確化、現場主義の重要性を学びました。
それから30年後、私は環境庁(当時)に勤めることになりましたが(1984〜87年)、環境問題の領域が広がり、グローバルな問題にも取り組む必要に迫られていました。日本政府の提案で国連に「環境と開発に関する世界委員会」(ブルントラント委員会)が1984年に設置され、1987年には「われら共有の未来」という報告書が出されました。私は後にノルウェーの首相になられたブルントラント女史と2回ほどお話しする機会に恵まれましたが、ヨーロッパにいながら東南アジアの森林伐採に思いを致し、地球的視野で物事を考えていることに感銘を受けました。日本には乏しい発想だと思い、彼女の考えを実現する仕組みづくりが必要だと痛感致しました。
私は環境行政を進める上での心構えとして「思い遣りの心」を持つことを基本にしてまいりましたが、ブルントラントさんの影響が大きかったように思います。同委員会は「将来世代のニーズを損なうことなく現在の世代のニーズを満たすこと」とする「持続可能な開発」の概念を提言しましたが、これはその後の世界の環境政策の規範になったのではないでしょうか。
環境省を退官後、私は地球・人間環境フォーラムを設立しました(1990年)。これは、事務次官当時に国立公害研究所(現国立環境研究所)の所長を務めておられた近藤次郎先生と出会ったのがきっかけです。近藤先生は「科学者は研究所にとどまっていてはだめだ。国際的な交流を深め、もっと外に出て、国民にもわかり易く環境の情報を伝える必要がある」と熱く語っていらしたのを覚えております。
財団の設立、グローバルネットの発行には近藤先生の強い思いが込められています。「フォーラム」という言葉には「共通の広場」という意味があります。環境の問題は非常に広がりを持っていますので、いろいろな人に自由闊かっ達たつに議論をしてもらうのが大切です。その中から、共通の理解と共同の作業ができると思うのです。科学者だけが頑張って解決できるものではありません。環境に関する知識や情報をできるだけ正確に伝えて、多くの人に考えていただく手掛かりを提供し、環境の活動に参加していただくことが今も変わらぬ財団活動の柱です。
長きにわたってご支援をいただいた皆様に心から感謝するとともに、今後もしっかり心を引き締め、地に足のついた活動を継続することをお約束してご挨拶とさせていただきます。 (談)
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