写真 刈り入れの時。みんなに振る舞うお酒を運ぶ女性。背後にほとんど森はない(エチオピア)
世界砂漠化・干ばつ記念セミナー記録

4.現場からの報告〜エチオピア、ルワンダへの支援

山田 高司/四万十・ナイルの会代表

 私たち「四万十・ナイルの会」は、ルワンダで植林・改良カマドの普及に取り組んでいる団体の支援を昨年から始めました。砂漠化の最前線で、どういうことを考え、どういうことをこれからやろうとしているかについて、個人的に砂漠化に関わった経験を踏まえながら述べてみたいと思います。
 現地で支援を続けている間は、持続可能な生活をしようと思いがんばっているのですが、一時帰国して日本の消費生活に入ると、つくづくこの生活は持続可能ではないと感じます。砂漠化・森林破壊の最前線で力を尽くしたいと考える一方、自分の母国は日本であり、活動のベースである日本においても、持続可能な開発を模索していきたいと思うようになりました。
 「四万十・ナイルの会」には、四万十川流域で持続可能な生活をしながら、ナイル川流域で同じような植林・砂漠化防止活動をしている人々を支援するという趣旨が込められています。
 あるセネガルのNGOの方が来日し、報告をしたときのことです。会場から「私たちに何ができるのでしょうか」という質問がありました。その方は次のように答えていました。「まず、自分たちの生活を見直して欲しい。それから、日本の政府に何ができるのかを見て欲しい。かつて日本は『途上国の夢』、『我々もこうなりたいと思う国』だったが、今は環境問題や資源問題からすると、途上国がみんな日本のようになってしまったら、地球はパニックになってしまう。」
 また、熱帯造林の研修でマレーシアのサバ州に行ったとき、日本に来たことのある森林局の方は、「日本に森がたくさんあることに驚いた。日本をはじめとする国々への大量の輸出によって、マレーシアにはほとんど自然の森がない。マレーシアから木をこんなにも輸入している日本は、砂漠のような国かと思っていた。」と言っていました。
 確かに日本は実際、世界一の木材輸入国ですが、昭和30年代から拡大造林で多くの木が植えら、現在では皮肉なことに管理をする人手もいない状態なのです。

 さて、「四万十・ナイルの会」が今、活動しているナイル川ですが、「ナイルの賜」と称えられてきたエジプト文明発祥の地です。その水瓶がエチオピアとルワンダの両高地なのですが、ここでは今森林破壊が進行しており、治安も悪化、内戦が絶えません。
 「ナイルの会」はENERWA(エネルギー・フォー・ルワンダ)というローカルNGOを支援しています。薪のための植林、木を減らさないための改良かまどの普及などを行っているNGOで、ナイル川最源流のアカゲラ川の流域、4箇所で小規模育苗を進めています。
 ルワンダの年間降水量は800〜1400mmです。1950年代までは、国土の半分以上が森に覆われていましたが、現在は2割を切っています。ルワンダでは主な燃料を薪や炭に頼っており、その習慣を保ったまま人口が急激に増加したことが原因です。
 一方、日本側の活動ベースである四万十川ですが、日本最後の清流として有名です。現在、県や流域市町村、そして住民が協働し流域の地域づくりを始めています。

 世界中で進められている、持続可能な森林経営を目指した「モデル林ネットワーク」の一つがこの四万十川にも(もう一つは北海道)あります。

写真1 ←写真1 ルワンダの首都キガリ上空から

 この写真は、ルワンダの首都キガリの上空から撮ったものです。国土全体がほとんどこのように森が無くなってしまっています。残っている森林はほとんどがユーカリの二次林です。1950年に200万人だった人口が80年には600万人を超え、現在は700万人。30年で3倍になっています。

写真2

 右の写真は、昨年岩波新書から出版された『地球環境報告2』(東京大学・石弘之教授著)のとびら写真として使用されたものです。森に覆われていた山肌がこうなってしまいました。薪のための伐採や過剰耕作で土壌の浸食も起こっています。
 環境破壊がどのように起こっているかというと、まず人口が増加すると、食糧を確保するため、森林が切り開かれ新たな耕作地がつくられます。しかし次第に土壌が劣化し、生産能力が低下、生産量が落ちてきます。これは社会不安にもつながり、特に他部族への敵対意識をあおり、土地や食糧の奪い合いが各地で発生、ついには内戦へと発展していくのです。1994年にわずか3ヶ月で100万人が殺し合うひどい内戦がチャドでもありましたが、世界のこのような内戦の原因の一つは、環境破壊にあると考えられます。

写真3

 左の写真では山の頂上から山腹までをすべて畑にしています。



 林業と農業をミックスしたアグロフォレストリーを定着させようと、ODAや国連も育苗所を推奨しています。

写真4


 右の写真は畑の風景です。現在、労働力の大半は女性か子供です。男性は内戦のときに殺されたか、殺人罪で刑務所に入っているのです。内戦は単純に言うと、「遊牧民と農耕民が土地・食糧をめぐりお互いを殺し合う」というものでした。


写真5

 左の写真は村の風景(伝統的な家並み)です。電気やガスは通っておらず、子供たちはみんな裸足で、ぜいたくな生活はしていません。「失われた80年代」と言わるように、アフリカでは1980年代に生活レベルがかえって低下したと言われています。かつては食糧輸出国だったルワンダですが、現在は輸入国に転じています。

写真6

 右の写真は浸食を防止するために木でつくった土手、堰堤です。



写真7

 左はユーカリの萌芽更新です。しかし、ユーカリを植えると他の木が育たない、また土地が痩せてしまうという問題もあります。



 80年代に食糧輸入国に転じたルワンダですが、元々この国は、豊かなコーヒーと紅茶の生産地でした。しかし、一般的にモノカルチャー経済は、その商品の国際価格が下落すると一気に収入が絶たれてしまいます。

 ルワンダの原生林はナイル川源流の奥地にわずかに残っている程度で、2割を切っています。あたかも6月の富士山の残雪のような少なさです。また、そこはゴリラが住む森としても知られています。

 上の写真はENERWAが運営する育苗所です。ユーカリに限らず、土地を肥やす様々な木を試験的に栽培しています。
 ENERWAでは、改良カマドの普及にも力を入れています。左が改良カマド、右はそのPR看板です。


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 ここでは、アメリカの「ケア・インターナショナル」という大きな国際NGOも活動しています。畑に植えられているのは、マメ科のグラベリアという木で、浸食を防止する上、地面に落ちる葉は腐敗後、肥料となります。


 エチオピアはもう一つのナイルの源流です。

 エチオピアも内戦が絶えません。左の写真で畑の中に放置されているのは、旧ソ連製と思われる戦車です。


 近年、エチオピアでも牛を使った農耕が始まりました(写真右)。



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 写真上はテフを刈り取る風景です。
 写真右はみんなに振る舞うお酒。背後にはほとんど森がありません。100年前、エチオピア高原は「キャナピーハイランド(樹冠に覆われた高地)」として記されていました。かつて国土の7〜8割を占めていた森林が、現在1割を切っているというデータもあります。

 写真左は「キリスト教の教会の森(日本で言えば鎮守の森)」です。

 エジプト文明を培ったナイルの源流部で、森林が消滅しつつあります。


 水運びは大変な作業です(写真左)。

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 小さな子供も遠くから薪を運んで来ます(写真右)。



 日本では砂漠化は「遠い所の問題」だと思われていますが、現場を経験した人間から見れば決して遠い問題ではありません。バブル崩壊後の大不況の中、関心が国内に向かいがちで、国外の問題に対する関心が少し薄れているようですが、国際的には日本はまだまだ技術面・資金面ともに期待されているのです。日本はこのような国々に比べると、桁が1つか2つレベルの消費生活をしていることをもっと認識して欲しいと思います。砂漠化や森林破壊にさらされている国の生活から見れば、はるかに豊かな生活をしています。今後さらに国際貢献を行っていくキャパシティも技術も、日本にはまだ十分にあると思います。


世界砂漠化・干ばつ記念セミナー記録
砂漠化対処条約と日本の役割
砂漠化とは何か〜科学の目からみた砂漠化のメカニズム
現場からの報告〜チャド、ブルキナファソでの取り組み
現場からの報告〜エチオピア、ルワンダへの支援
パネルディスカッション
「砂漠化防止に日本はどのように貢献できるか」


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