恒川篤史/東京大学大学院農学生命科学研究科助教授 三好信俊/環境庁地球環境部環境保全対策課調整官 高橋一馬/緑のサヘル代表 山田高司/ナイルの会代表 高見邦雄/緑の地球ネットワーク事務局長 |
恒川:さて、今まで皆様にそれぞれの御活動をお話いただきましたが、高見さんはパネルディスカッションからのご参加ですので、これまでの御活動をご紹介いただけますか。
高見:(活動紹介)私どもの団体は92年から中国山西省大同市の黄土高原で緑化の協力を行っていますが、現在、黄河の異常渇水で、河口まで水が流れないという状態が続いています。1972年からだんだんひどくなり、97年にはついに、年間226日間水が河口まで届きませんでした。河口から704キロにわたり干上がってしまうような大渇水です。北京から真西に300キロの黄土高原は平らではなく農村部にはすり鉢がいくつも重なったような地形です。夏にしか雨が降らないので、一時の雨が表土を流し、上の土が劣化するというわけです。ほとんど植生のない黄土が押し流され、井戸やわき水もどんどん枯れています。
1880年に掘られた清朝時代の井戸が枯れてしまいました。往復5時間かけて、片道4キロの道をロバの引く車で水をくみに行っています。一日1人が使う水は4.2リットルで、我々が一回のトイレで流す水の量より少ないのです。最低人間が必要な水は3リットルと言われているので、本当にぎりぎりの限界で暮らしています。本当にどこも水がありません。井戸を堀る需要はあり、労力もありますが、井戸を掘るお金がありません。
はっきり言えることは、すり鉢の底の方の村では、地下水も集まるので灌漑が容易にできますが(灌漑で農業生産は3倍になると言います)、すり鉢の上の方の村は水が枯れてしまいます。夜中の2時から、水くみに行かなければならないのです。井戸の前に行列ができてしまい、それでも間に合わないので下の村まで、水を買いに行きます。上の村は水を買いに行く専門の買い手を置いてお金を払って下の村に買いに行っています。
私たちは中国政府の主導のもとで早くから緑化に取り組みました。大同市は、北京市、天心市あたりの水源に当たります。大同市では毎年、2mから3m地下水位が下がっており、2008年には枯渇すると言われています。大同市から水が無くなる時、北京が無事であるはずがありません。こういうことが注目されていないのは残念ですが、深刻な問題です。
この地域では早くから緑化に取り組み、農民の負担が多すぎるのでは、と思うほどポプラやマツをかなりの勢いで植えています。しかしそれらはだいたいマツばかりなので、植物園の建設を考えてみました。というのは、樹種があまりにも単純すぎるのでもっといろんな種類を植えるためです。
周辺で4箇所自然林を見つけたのですが、日本の東北の山と大差なく、樹種の数は中国の方が多いくらいでした。ナラ、クヌギ、シナノキ、トネリコ、カバノキ、カエデなど豊富な種類があります。林床には腐葉土が数十センチたまって、寒さのため乾燥して腐敗しないで落ち葉が積もっています。それなのに森林がないのは過剰耕作や過剰放牧など人為的な要因が大きいことが分かります。ジープ片道4時間で入れる最後の村では、村人が60kgの薪を背負って飛ぶように走っています。
この地域は日中戦争で日本が被害を与えた所です。我々は86haの土地を購入し、92年の1月から805万本ほど樹木を植え始めましたが100種類くらいは発芽していました。学校に行けない子供達が多くいるので、小学校の付属果樹園で未修学保証に当ててもらうこともしています。94年に植えたアンズもやっと実がなっています。裁植技術、人材の育成にも力をいれ、菌根菌を使った松の育苗も行い、地元の技術者からも評価を受けています。植えた後の方が効果が大きいので楽しみにしています。経済的にも高く売れます。
最後にこの仕事で一番苦労していることは、文化も環境も歴史も違う人々との関係を築くことがです。
恒川:ありがとうございました。先程はアフリカ方面の話がありましたが、アフリカと中国はやはり同じ乾燥地域での生活であり、そこで起っている問題はかなり共通性が高いようです。元々伝統的な暮らしをしている地域で人口が増え、森を使う量が増えている。森林がなくなっているのは世界共通の問題ですが、今の中国の話は気候的な問題も加っており、そういった地域によって違う問題もありますね。
それでは、これから日本の役割について考えてみましょう。それぞれにできることはどのようなことかお話いただきます。
高橋:77年の砂漠化防止会議から94年の砂漠化防止条約成立によってかなり変わったところはあります。現場側で大きく変わったのは、トップダウン型からボトムアップ型に移行してきたところです。一言で言えば、「住民参加」がいろいろなところで感じられ、婦人層などもがんばっています。伝統的にアフリカは男尊民卑で、女性が社会的に発言する機会はほとんどありませんでしたが、最近は各国が相当変わってきました。
日本が砂漠化防止に取り組む時も、「政府」対「政府」の活動よりも最終的な受益者、住民に帰結するようなところに資金援助をするべきだと思います。資金のターゲットとする層を下まで届くようにしたほうがいいでしょう。個人的に思っているのは、薪の過剰採取の問題が砂漠化を押し進めているかなり大きな要素であり、中国やインド、特にアフリカでは大きな問題です。
去年の12月ダカールで締約国会議がでありましたが、途上国のどの団体も、先進国に資金助成を求めています。途上国のNGOは先進国のNGOにお金を出してくれ、と嫌になるくらい言ってきます。我々も火の車ですが、現地ではそれ以上に資金のニーズが高いのです。
また同時に彼らは、三日月工法など伝統的な地元の技術にプライドを持っています。彼らはハイテクを期待しているのではなく、今までやってきた在来技術と調和させるようなやり方を求めているのです。
人間が生きていく限り食べる物には熱を通すわけですから、エネルギーの問題は避けて通れません。私はこういうところに太陽熱、風力、地熱のエネルギーを使えればと思います。世界の最先端の技術をもっている日本は積極的に援助するべきです。特に私は太陽エネルギーに対して期待しています。ソーラーパネルなども故障したときに現地で治せるレベルのものを開発してもらいたいです。先進国ならではの研究開発を実用化するべきでしょう。例えば、現地ではなかなかできにくい太陽の焦点で作るソーラークッカーなどを研究し、民間企業の知恵も貸していただいて、ぜひそういうものを現場で反映させることができないかと思います。
恒川:今の話を聴いていますと、一方で在来技術、伝統技術があり、一方でハイテク技術がありますが、砂漠化対処条約では、基本的なスタンスとして在来技術に対して深い信頼を寄せており、そういうものを大切にしています。しかし一方で、新技術についても期待が高まっています。新技術というと皆さんは、ズラリと太陽光パネルを並べて1つの地域に電気を供給することなどを想像するかもしれませんが、むしろ現場で行われているのは、病院の屋上に太陽パネルを設置して電気が無いときでも手術を行えるなどの住民のニーズにあったものが取り込まれてきています。
政府の役割とNGOの役割は必ずしも背反するものではなく、お互い支援され、支援するという関係になると良いのではないかと思います。
次に山田さんに質問をしたいと思います。資金などのNGOの問題点や今後の課題についてお話し下さい。
山田:会場からの質問で、「日本は自己の森は残しながら熱帯雨林は伐採している。と聞くが実際日本が伐採しているのはどれくらいか。」というものがありましたが、それについては、日本の森を残しながらというよりも手入れする人手もお金もないと言ったほうがいいでしょう。
NGOの現状については、資金が常に火の車であることが問題です。ほとんどの日本のNGOはそういう状況であり、欧米のNGOとは会費の収入が0二つぐらい違います。支援者から成り立つNGOは日本には存在しません。資金がないゆえにいい人材を確保するのも難しく、会費でなりたつという状況ではないのです。「民間対政府」などと言っている場合ではなく、一般の方々に環境の現状、NGOの現状を知ってもらいたいと思います。「知る権利」というのがありますが、「知る義務」というものもあるのではないでしょうか。日本は世界中の資源を消費し、いろいろな交流もあります。少しアンテナを広げればニュースはたくさん流れています。その上でなにができるかを考えてほしいものです。
恒川:ありがとうございます。会場からの質問で「環境庁がNGOに対してどういう支援ができるか。」というのがきているがその点はどうでしょうか。
三好:環境事業団が地球環境基金を取っていますが、これは砂漠化に限らず国内外で環境活動をしているNGOの助成をしています。数百万円のオーダーで砂漠化では年十件を支援しています。政府全体の取組でいえば、ODAの外務省の「草の根無償資金協力」というのがあります。
環境庁では、地元に根付いた形で地域住民も一緒に参加してどのような対応ができるかという視点で、ブルキナファソにおいて地下ダムを建設しています。つまり、地域住民参加型で、水の使い方の研究等を進めていくというやり方です。「政府」対「政府」レベルだと、どうしてもハイテク技術を欲しがる傾向があります。砂漠化条約でも在来技術の評価を重視していますが、政府対政府だと一点豪華主義になりがちです。政府からローカルへの援助には限界がありますが、ローカルとローカルの交流といったものの中から、政府ではできないものが生まれてくるのではないかと思われます。
恒川:会場からなにか質問はないでしょうか。
会場(地球環境産業技術研究所の保坂氏):まず、技術論より、経済・社会的な問題だと言いますが、話を聞いていますと、NGOの方々は社会的・経済的な問題の深刻さを訴えてらっしゃいますが、逆に言いますと(政府側は)科学技術委員会を設置しているとおっしゃいましたが、日本のハイテク技術を具体的にどういう形で砂漠緑化に供与しているのかはまったく目にみえません。日本としてはどういう形で科学技術で発展途上国をサポートしようとしているのかをもう少し教えてほしいと思います。
第2に、ボランティア、NGOが火付け役となって後から国や自治体がついてくるのは地球環境問題全体に言えることです。砂漠化も同じようなケースではないでしょうか。地球温暖化は南北問題だとも言えるでしょう、砂漠化問題も究極は南北問題ではないでしょうか。先進国が発展途上国にどういう役割をしようとしているのかをもっと具体的に話していただきたい。
高見:私たちがフィールドとしている中国黄土高原では今、気温がどんどん上がっています。冬も乾燥がひどくて、春また雨が降らない。「春の雨は油より貴重だ」と言われていますが、これが90年代は80年代に比べ半分ほどになっています。このことが、農業には致命的影響を与えています。
全地球レベルでも温暖化によって雨の降り方が変わってきました。雨が多い地帯はより雨が多くなり、少ない所は一層より少雨になっているのです。これが温暖化の影響だとすると、天水だけに頼っている人が真っ先に悪影響を受けるというのは理不尽なことだという気がします。
「人間は帰れ」と自然から言われているのかもしれません。しかし一番の痛みが貧しい人に集中してしまっていて、痛みを分散することができないかということを現場では感じています。
三好:日本の技術で具体的にどのようなことができるか、ということについては、先程申し上げた地下ダム(現場のねんどで地下水脈をせき止めて水をためる)をアフリカでやっております。この地下ダムでは太陽パネルをくっつけて、水をくみ上げるエネルギーは自前で供給できるようにするということなどを行っています。
そういう大きな技術も行っていますが、むしろ簡単な技術で地元が容易に利用できるような技術情報をとりまとめて、使いやすい形で提供するいうやり方が良いのではないかと考えています。先進国には、元来モノカルチャーで世界の貿易構造をつくってしまっている責任がありますが、技術・資金的支援をどのようにいかに有効に使ってもらうかという問題につきると思います。
恒川:やはり日本は砂漠化防止・対処においては初心者です。ヨーロッパは元々宗教的関係や植民地などでアフリカ諸国と関係が深く、地元の住民に根付きながら、生活をいかに改善するかということに経験・知識を持っています。それに対し日本は歴史的に見てもそういう活動はありませんでした。そういう中で、日本も昨年ようやく条約に批准し、こういった分野での取り組みに参加することができました。国内に大きな砂漠化問題がないこともあり、砂漠化とはこういうものだったのか、と今日認識した人もいることでしょう。砂漠化とは土が持っていた植物を育てる能力が減り、毎年とれていた作物がだんだんなくなってきてしまう、というような生活に密着したものだということを理解していただきたいと思います。このセミナーで国民一人一人に何ができるのか、ということを考える機会になればと思います。