『21世紀の新環境政策論』の記事一覧

21世紀の新環境政策論~人間と地球のための持続可能な経済とは第18回 『限界費用ゼロ社会』の衝撃

2016年10月15日グローバルネット2016年10月号

武蔵野大学教授、元環境省職員 一方井 誠治 これまで、日本をはじめ現代社会は持続不可能な道を歩んでいるという強い懸念が先に立ってきました。しかし、最近読んだ『限界費用ゼロ社会』(写真)は、もしかするとそれとは違う未来があ…[くわしく]

21世紀の新環境政策論~人間と地球のための持続可能な経済とは第17回/ライフスタイルと社会経済システムの変革

2016年09月15日グローバルネット2016年9月号

武蔵野大学教授、元環境省職員 一方井 誠治 いつの時代でも、現在が時代の転換点であるとの論調があり、未来は大きく変わっていくし、変えられるとの考え方があります。私自身は、まだその帰結を、確信を持って語ることはできませんが…[くわしく]

21世紀の新環境政策論~人間と地球のための持続可能な経済とは第16回/パリ協定を受けた日本の気候変動政策への懸念

2016年08月15日グローバルネット2016年8月号

武蔵野大学教授、元環境省職員一方井 誠治(いっかたい せいじ) 昨年、本連載の第5回(2015年8月号)から第8回(2015年11月号)まで寄稿させていただいた一方井です。本号から再び、数回にわたって、最近感じていること…[くわしく]

21世紀の新環境政策論 ~人間と地球のための持続可能な経済とは第15回/地球規模での2℃目標は達成可能~グローバル・カリキュレーターのメッセージ

2016年07月15日グローバルネット2016年7月号

京都大学名誉教授松下 和夫(まつした かずお) パリ協定で合意された野心的目標 昨年12月に採択されたパリ協定で世界は野心的な気候変動長期目標に合意した。世界の平均気温上昇を産業革命前と比較し「2℃よりも十分に低く」抑え…[くわしく]

21世紀の新環境政策論 ~人間と地球のための持続可能な経済とは第14回/ドイツのエネルギー転換

2016年05月15日グローバルネット2016年5月号

京都大学名誉教授松下 和夫(まつした かずお) ドイツが世界で最も早く再生可能エネルギー(再生エネ)の固定価格買取制度(FIT)を導入して実績を挙げ、福島第一原発事故を契機として脱原発を加速し、経済発展を遂げながら温室効…[くわしく]

21世紀の新環境政策論 ~人間と地球のための持続可能な経済とは第13回/カーボン・プライシング(炭素の価格付け)を考える ~スティグリッツ教授の講演から

2016年04月15日グローバルネット2016年4月号

京都大学名誉教授松下 和夫(まつした かずお) 宇沢弘文教授の追悼シンポジウムが去る3月16日、国連大学で開かれた。 このシンポジウムでは宇沢教授の教え子で、情報の非対称性の経済学に関する業績によって2001年にノーベル…[くわしく]

21世紀の新環境政策論 ~人間と地球のための持続可能な経済とは第12回/人口が減少していく中でどのように持続可能性を確保するか

2016年03月15日グローバルネット2016年3月号

千葉大学教授 倉阪 秀史(くらさか ひでふみ) これまでの回では、人間の活動が「地球システム」に及ぼす負荷をどのようにコントロールして、「地球システム」の持続可能性を確保するのかという視点で記述してきました。エコロジカル…[くわしく]

21世紀の新環境政策論~人間と地球のための持続可能な経済とは第11回 市場外の意思決定をどのように行うべきか

2016年02月15日グローバルネット2016年2月号

千葉大学教授倉阪 秀史(くらさか ひでふみ) 前稿では、市場における意思決定では、経済を支える各種資本ストックの持続可能性を確保できないこと、とくに、物的資源価格と廃棄物処理価格のように「地球システム」に関連する価格の決…[くわしく]

21世紀の新環境政策論 ~人間と地球のための持続可能な経済とは第10回/持続可能性を確保する経済学はどうあるべきか

2016年01月15日グローバルネット2016年1月号

千葉大学教授倉阪 秀史(くらさか ひでふみ) 社会的共通資本の考え方は、市場における需給調整を中心とした主流派の経済学を見直すことを求めるものでした。見直しの方向を自分なりに述べると、第一に、経済学ができることとできない…[くわしく]

21世紀の新環境政策論 ~人間と地球のための持続可能な経済とは第9回/新古典派経済学から制度主義へ

2015年12月15日グローバルネット2015年12月号

千葉大学教授倉阪 秀史(くらさか ひでふみ) 宇沢ゼミと環境省の先輩である松下和夫先生と一方井誠治先生から引き継いで、今後4回を倉阪が担当します。私は、1984年から87年にかけて宇沢ゼミに所属し、87年に環境庁(当時)…[くわしく]