環境ジャーナリストからのメッセージ~日本環境ジャーナリストの会のページスタートは一緒だったデンマークと日本のエネルギー事情、なぜこれだけ差がついたのだろう

2025年02月14日グローバルネット2025年2月号

環境ライター・ジャーナリスト
箕輪 弥生(みのわ やよい)

1970年代に2度にわたって起きた世界的な原油価格の急上昇。思い起こせば、日本のエネルギー政策はこのオイルショックを契機に再スタートを切った。第一次オイルショックでは原油価格が3ヵ月で約4倍になったというから、経済的な混乱はもちろん、エネルギー資源を輸入に依存する危うさを政府も国民も痛感したことは間違いない。そして、ご存知のように、日本は自前のエネルギー源として原子力発電の開発に突き進んでいった。

一方、デンマークも事情は全く同じだった。当時、デンマークはエネルギー資源を中東の石油に依存し、自給率は5%を切るほど低かった。政府と電力会社は日本と同様に原発の建設を計画していたが、市民団体が中心となり原発のメリット・デメリットを国民に丁寧に伝え、ほぼ10年をかけて市民を巻き込みながら議論を進めた。その結果、1985年にデンマーク政府は原発建設計画をすべて撤廃する決定を下した。現在、デンマークの電力の8割強は風力を中心とした再生可能エネルギーで賄われている。

政策決定前にまず国民の議論ありき

長年の友人でデンマーク在住のジャーナリスト、ニールセン北村朋子さんに話を聞くと、決定までの10年間は寒さに震えたり、ノーカーデーがあったりと大変だったようだ。国民も我慢をしたわけだ。それでも、「どのようなエネルギーを使いたいかを決める権利は、国や電力会社ではなく国民にある」というデンマークの民主主義の基本理念は揺らがなかった。政府と市民がビジョンを共有し、努力を重ねた結果として今がある。これに対して、日本のエネルギー政策の検討過程はどうだろうか。エネルギー基本計画の策定過程などを見るにつけ、大きな差を感じ、むなしさが募る。

農民、市民が潤う仕組みづくり

私が初めてデンマークのエネルギー事情を取材したのは2012年、デンマーク政府主催の「State of Green」プレスツアーだった。当時は福島第一原発事故の記憶がまだ生々しく、日本も原発や化石燃料以外のエネルギーについて真剣に考えている時期だった。その頃デンマークでは、電力市場の自由化や発送電分離、送電網の整備が進み、再エネによる独立分散型のエネルギー体系がすでに整っており、日本との大きな差に驚かされた。

昨年、2012年のプレスツアーでも訪れたロラン島を再び訪問した。ここは元々原発の建設予定地だったが、現在ではエネルギー自給率800~1,000%を誇る再エネ先進地に生まれ変わり、コペンハーゲンなどへ電力を供給している。洋上と陸上を合わせて約400基近い風車が立ち並び、発電量は2012年と比べて倍増していた。

特に印象的だったのは、市民、特に農民を巻き込みながら風車を増やしてきた政策だ。当初、風力発電所の所有権の20%をコミュニティが持つことを法律で定めた結果、ロラン島の陸上風車の多くを市民が所有している。農家の人々は作物だけでなく電力も生産して売り、さらに収穫後のワラを地域の熱供給や発電の原料として活用する。これにより農家の収入が増え、地域全体の経済が潤う。

無駄をなくし、次の次元へ

現在では、再エネによる余剰電力を効率的に利用する「Power to X」の取り組みが進んでいる。風が強い時に余った電力を熱や水素、メタンなどに変換して貯蔵し、脱炭素が困難な輸送燃料や熱供給に活用する、いわゆるセクターカップリングだ。このような脱炭素ビジネスによる経済効果も大きい。デンマーク政府は目標を5年前倒しし、2045年までのカーボンニュートラル実現を視野に入れている。

スタートは同じだったにもかかわらず、この50年で日本とデンマークの間にこれほど大きな差が生まれた理由は何なのか。それは単に政策だけではなく、教育や民主主義の在り方、そしてメディアの役割など、何か根本的な部分で日本が欠けているものがあるからではないかと感じる。それが何なのか、これからも考え続けていきたい。

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