フォーラム随想何のために移動するか?
2025年02月14日グローバルネット2025年2月号
長崎大学大学院プラネタリーヘルス学環、熱帯医学・グローバルヘルス研究科教授
渡辺 知保(わたなべ ちほ)
私たちの活動はローカル、グローバルな環境にインパクトを与えるが、その中で「移動」のインパクトは無視できない。最近の日本における温室効果ガス排出量の2割が運輸部門に由来、その6割程度は旅客の輸送によるという統計がある。動力のなかった遠い昔、移動は筋肉のエネルギーだけで成し遂げられていたが、牛馬による移動、自転車、列車、自動車、船、飛行機、ロケットと新たな移動手段が生まれるとともに、人間の移動可能距離と、それに投入するエネルギーは格段に増加し、時間と金(と命?)を惜しまなければ地球上のどこにでも到達できる時代がやってきた。
一方でその副作用としての温室効果ガスや大気汚染物質の排出、道路網の整備による生物の生息圏の分断は、そのまま“地球規模の三大危機”の大きな要因であり、環境要因の中のNo.1キラーである途上国の大気汚染も交通が原因である。特に気候変動軽減のために、内燃機関からのEV化、カーシェアや、いわゆるキックボードの導入などさまざまな対策が進められ、電化が難しいとされる飛行機や船舶についても研究は盛んだ。移動量の増加を招いた一因に都市の巨大化と機能集中があるが、コンパクトシティ、スマートシティの提案や、地域循環共生圏の構想や地産地消など閉じた範囲で完結するというアイデアも、移動の負荷を軽減する方向に働くだろう。
なぜ人は移動するのかという問いに答えるのはそんなに簡単には思えない。日常の通勤・通学という必須の移動は別として、コロナが沈静化するとインバウンドがうなぎ上りになったように(無論、日本の場合は円安という特殊事情も手伝ってはいるが)、松尾芭蕉でなくても心の中に道祖神がいると言えばそうなのだろう。人類も誕生の地であるアフリカから拡散したではないか、大航海時代もあったではないか、巨額の国家予算を注ぎ込んでアポロを打ち上げて月に行きたがったではないか、と挙げれば切りがない。コロナによる移動制限が多くの人にとって相当なストレスであって、犬の散歩を外出の言い訳に使えるとなると貸し犬業が出現したなど、ともかく人間は一箇所にじっとしているのがたまらないのかもしれない。ではそうした(領土欲とは別物の)あっちもこっちも行ってみたいという“憧れ”が何に根差しているのかは明らかでないと思われる。
飽くなき移動欲が人間の本能だとしても、時間や金や安全への懸念のせいで、常に実現されるものではなく、これを想像上の移動で置き換えることは昔から行われてきた。小説や旅行記、写真や映画によって、人は移動せずにさまざまな世界を体験できるし、郵便や電話は遠隔地とのつながりを可能にしている。インターネットの出現がこれらの手段をより高速化、身近にして、空間的な隔たり(それは時間的な隔たりでもある)に関する人々の認識も一変したと思われる。インターネットとそれに付随する技術の発展により、私たちは自分の居室から移動せずに、地球の反対側の人と談笑したり、深い山奥の鳥の声を聞いたり、遠くにいるかかりつけの“主治医”に問診を受けたり、バンド仲間とセッションすることさえ可能になっている。想像上の移動は、物理的な移動と違ってタイムトラベルも宇宙の果てや“ミクロの決死圏”への移動など“何でも”可能で、バーチャルなゲームは命の危険を伴わずに戦場まで連れていく。
物理的な移動を伴わない、想像上の移動が私たちの移動欲を全て満たしてくれないことは誰もが知っている。コロナ流行下でリモート会合のみに頼らざるを得なくなってみて、それが対面会合とはいろいろな点で違うということを感じた人は多いはずだ。何が満たされていないのだろうか? さまざまな形の想像上の移動が、物理的な移動を伴うリアルな体験の何を再現でき、何をできていないのか? 今後の社会の新しい姿を考える上でも重要な課題ではないか。