特集/これからの都市のみどりについて考える都市の「パークナイズ(公園化)」~これからの街の風景の新たな定義
2024年12月16日グローバルネット2024年12月号
建築家、株式会社オープン・エー代表取締役、東北芸術工科大学教授
馬場 正尊(ばば まさたか)
本特集では、改正法の概要及びポイントについて解説いただき、都市緑地の現状と課題、さらに都市にみどりを戻すためのアイデアや事例なども紹介いただきながら、これからの都市緑地の在り方や、都市のみどりに求められることについて考えます。
都市の「パークナイズ(公園化)」
近代建築の巨匠ル・コルビュジエは1920~30年代にかけて、『輝く都市』をはじめとした書籍を発表し、近代都市の風景を定義付けました。20世紀は鉄とコンクリートが大地を覆い、「都市」を作る人間の欲望が絡まり続けた時代のように思います。
それから約100年経ち、都市に対する感受性が少しずつ変化してきていることをじわじわと感じるようになりました。例えば、不動産ポータルサイトの運営もしているのですが、都心までアクセスのいい住宅地では庭無しの戸建ても増えている中、広いベランダ付きであったり、家の前に広大な緑が生い茂っている物件は人気があります。極端な例だと、緑が多いという理由で墓地の前という立地が積極的に選ばれたりもするのです。
また、国外の例だと、ニューヨークのブライアントパークの再生事業や、タイムズスクエア前が恒久的に歩行者天国になったことからも、これまでの都市の風景とは異なるものが求められ始めていることを感じました。近頃国内でも、私有地、例えばオフィスビルの一部をパブリックなスペースにしている事例が散見されるようになっています。
私はこの状況に興味を持ち、都市の「パークナイズ(公園化)」と呼んでみることにしました。「パークナイズ(PARKnize)」とは造語で、Park(公園)を動詞形にしたものです。これまでも「リ・パブリック(公共空間のリノベーション)」「クリエイティブローカル(衰退から創造的に再生した地域)」など、書籍の発表を通して、街に関する新たな概念を社会に問いかけてきたのですが、同様に「パークナイズ」も世の中やマーケットがどのように反応してくれるのか探ってみたいと思っています。
なぜ都市は「パークナイズ」しようとしているのか
「パークナイズ」が進む背景や「パークナイズ」の価値について考えてみたいと思います。
都市に対する感受性の変化は10年程前から感じていましたが、ヒートアイランド現象と新型コロナウイルス感染症の流行はその変化の追い風となったのではないでしょうか。ひしめき合うビル群に対して開放感を求める気持ちが生まれたり、飲食店のテラス席などオープンスペースで過ごすことの気持ちよさを再認識し、その過ごし方が定着したようにも思います。
それに連動する形で、一部の先進的で余裕のある民間事業者が私有地をパブリックスペース化する事例が現れているように思います。事業者としては、街の魅力が高まれば、その事業を仕掛けた側の価値も上がる実感があるのかもしれません。その裏側には、企業が経済活動中心の存在から、社会的責任を負う存在に変化したことが考えられます。
都市の居心地の良さが経済の活性化を生み出すことが、アメリカの社会学者リチャード・フロリダの『クリエイティブ都市論―創造性は居心地のよい場所を求める』などで明らかにされています。創造性を持った人材は、緑や公園があり、おいしい食事が食べられる、居心地のいい都市に集まる傾向がある。街の居心地が良くなると、生産性の高いクリエイティブ企業が集まり、経済が活性化し、街が発展するというロジックです。日本では国や自治体により緑化や公園に関する法改正や制度設計が進んでいますが、国外の主要都市に比べ、少し遅れをとってしまったように感じています。
都市と緑の拮抗
鉄とコンクリートで作られた近代的な都市から、緑ある街に逆戻りし、さらにそれが進むとどうなるか。管理された緑に親しむだけでなく、自分の手で緑の世話をし、緑とともに生活し始めるだろうかと考えると、一部のエッジの効いた感性の人を除いては、そこまでは戻らないように思います。人間が自ら便利さを手放した歴史はないからです。
ではどうなるのか。人間の本能が都市を求め、同時に緑も求めて、技術力の進歩を携えながら両者の拮抗が続くのではないでしょうか。
わかりやすい例はシンガポールです。圧倒的な資本力と技術力によって、先進的なビル群と管理し尽くされた緑のバランスを保っています。東京でも今、人間の緑に対する欲望が風景化されようとしています。そしてそれは欲望のままにこれからも自然に広がっていくような気がしています。
もっと「疎」でいい人口減少社会のポジティブ変換
地方都市ではすでに人口減少や若者の流出により、駅前が閑散とし、空き地が駐車場になっている風景を目にします。しかし、駐車場は目的地にはなりません。街から目的地が消えていったら駐車場は必要なくなり、その空間はどうなるのでしょうか。
人口減少下の地方都市は、消滅可能性都市だ、限界集落だと悲しいイメージで語られがちですが、空いた隙間をパークナイズし、公園の中にあたかも建物が分散的に配置されているような風景、交通量も少なくなり、自転車や徒歩で安全にゆったり暮らせるような街を思い浮かべてみました。「パークナイズ」には人口減少下の街をポジティブに捉え直す意味合いも含めています。
見てみたい公園の風景
好きな言葉の一つに「マイパブリック」があります。田中元子氏の著作『マイパブリックとグランドレベル─今日からはじめるまちづくり』で使われている言葉で、そこに暮らす一人ひとりが、「この公園はみんなの公園なんだけど、私の公園でもある」と思っている状況を思い浮かべます。自由を担保しながら、秩序や思いやりや適度な常識、そしてクリエイティビティを持って、その空間に具体的に関与する。自分のお気に入りのベンチを置いたり、時にはこたつを持ってきてみかんを食べたりするような、楽しく面白い魅力的な「パブリック」な空間。そういう公園が一番幸せな公園で、そういう人がたくさんいる風景を見てみたいなと思います。
一方で、公園は使う側のスキルも求められます。公園はショッピングセンターなどで過ごすのとは違い、経済的交換がありません。何もしなくてもいい場所であり、何をするかは使う側に委ねられている、使う側の創造力が求められる空間でもあります。公園を使い倒すスキルを身に着けると生活がさらに豊かになるかもしれません。
(2024年11月7日インタビューより編集部にて構成)
▼ Slit Park YURAKUCHO(東京・丸の内)。 ビルとビルの間の路地に緑とベンチを配置し、公園のような場所に。
© 楠瀬友将
