フォーラム随想結局、完新世に棲み続けることになった私たち

2024年08月20日グローバルネット2024年8月号

長崎大学大学院プラネタリーヘルス学環、熱帯医学・グローバルヘルス研究科教授
渡辺 知保(わたなべ ちほ)

 ちょうど2年前のこの欄で「人新世」のことを取り上げた。人間活動が地球規模で捉え得るほどの大きな爪痕を残すようになった現代は、過去1万年余り続いた安定的な地質時代である「完新世」とは区別されるべき新たな時代に入ったと考えるべきで、これを人新世と呼ぼうと、2000年にノーベル化学賞受賞者のポール・クルッツェンらが提案した。
 2年前は、これを裏付ける地質学的証拠探しに日本の研究者も含めて多くの人が尽力しており、この言葉が公式の地質時代となるのも遠くはないかもしれない、と本欄を締めくくった。

 この2年間で人新世という言葉は随分ポピュラーになり、講義などの際に聞いてみても「知っている」という人が相当増えた。斉藤幸平さんのベストセラー『人新世の「資本論」』も大きなインパクトになっただろうし、テレビなどで紹介される機会も少なくなかったと思う。Nature をはじめ有力な科学誌でも頻繁に議論された。
 ただし、2年前の見立ては見事に外れた。今年3月、地質時代区分を議論する第四紀層序小委員会が投票を行った結果、新たな地質時代として人新世を採用するという提案は、賛成わずか4票、反対12票の大差で否決された。
 この小委員会の投票の前には、人新世に関わる作業部会が組織され、15年かけて議論が行われて、人新世の採用に積極的な結論を出していたが、小委員会はこれを認めなかった。もっとも、小委員会を通っていたとしても、上には地質年代区分を決める親委員会があり、この親委員会は、国際地質科学連合という大きな科学組織に所属して、そこが最終的に結論を承認するという手順になっているらしいので、人新世の提案は、ゴールからは随分と遠く離れたところで跳ね返されたことになる。
 投票の理由は公表されていないが(投票の手続きに不備があったとか、作業部会が小委員会に上申するのがやたら遅かったという意見があるとか、いろいろ報道されているのはさておき)、変化が認められるとしても、地質時代として区分されるような変化には至っていないと評価されたのだろうと推測する解説が多い。また、人間活動の影響をうんぬんするならば、農耕の開始や、工業化(産業革命)をどう考えるのか、という批判もあったらしい。

 Science誌は、この投票結果を評して「人新世は死んだ。ご冥福を祈る」と皮肉ったタイトルのニュース記事を載せたが、現実は困ったことにその逆で、人間活動の爪痕は消えることなく、ますますくっきりとしつつあり、この投票によって人新世という概念が消え去ることはないだろう。地質時代区分の提案は一度却下されてもまた何年かが経過すれば再提出することが可能らしいので、将来的に復活してくる可能性も残っている。
 2000年にクルッツェンらが提唱してから四半世紀の間、この言葉はずっと世界を漂い続けてきている。それだけ多くの人の“気になる”事象なのであろうし、46億年といわれる地球の歴史の1ページが書き換わったかもしれない希少なタイミングに私たちが生きているということは、悪い意味で誇るべき(地球のあらゆる生きものに対しては恥ずべき)ことかもしれない。
 結局、完新世に棲すみ続けることになったとはいえ、この悪しき誇りから脱却するためには、先の批判にも上がっている農耕革命や産業革命を経て、私たちが何を目指してきたのか、そもそも何かを目指してなどいたのか、という点を考えてみる必要があるのではないか。要するに、人新世に至って人間は地球のさまざまなシステムを傷つけるような状態になっているのだが、どういう行為がその原因になっているのかについてはいろいろとわかってきているものの、「何のために」そんなことをしているのだろうかという点を、もっと追及してみないといけないのではないだろうか。

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