そんなに急いで どこへ行く? ”夢の超特急”リニア沿線からの報告第4回 「命の水守る」闘う知事の退場(静岡県)

2024年05月16日グローバルネット2024年5月号

ジャーナリスト
井澤 宏明(いざわ ひろあき)

「リニア問題に区切り」

静岡県の川勝平太知事(75)は「闘う知事」として注目を集めてきた。リニア中央新幹線の南アルプストンネル掘削による深刻な被害から大井川の水や南アルプスの貴重な自然を守ろうと、国やJR東海を相手に一歩も引かず県内着工を認めなかった。それ故、2027年の品川―名古屋間開業が遅れるのは静岡県のせいという「静岡バッシング」を一身に浴びてきた。

その川勝知事が今年4月1日、新人職員への訓示で行った「職業差別」と受け取られかねない発言により、4期15年務めた職を任期中に去る決断を迫られた。

4月3日の臨時記者会見で、「不適切発言」以上に辞職決断の理由として強調したのは「リニアの問題が大きな区切りを迎えた」ことだった。「区切り」とは5日前の3月29日、JR東海の丹羽俊介社長がリニアの「2027年開業断念」を国の会議で公式に表明したことを指す。同社はこの席で、静岡県内で4月中に着工できたとしても、開業は今から10年後の「34年以降」になるという見通しも初めて示していた。

27年開業の期限がなくなり、大阪まで全線開業予定の37年まで余裕ができたことで、川勝知事は持論の「ルート変更」が受け入れられる余地が生まれたと踏んでいる節がある。

牧之原市の杉本基久雄市長は4月2日、面会した川勝知事から開業延期を巡り「南アルプスの自然環境を10年守ることができた」という話を聞いた。杉本市長は「最終的には今のルートをあきらめさせたり、変更させたりすることを念頭に置いていたのではないか」と感じたという。

さらに記者会見では、「国家的プロジェクト」であるリニアとの闘いの日々をこう振り返った。

「南アルプスは国立公園で、その自然を保全することは国策であると信じている。ユネスコエコパーク(生物圏保存地域)は政府が関わっているので国際的な公約だ。リニアは国家的事業とはいえ営利事業だから、堂々とものを言わなくちゃいけないと思っていた」

そもそも、リニアルート286㎞の沿線1都6県のうち、駅が造られないのは約10.7㎞を南アルプストンネル(全長約25㎞)で貫く静岡県だけだ。

「静岡問題」の始まりは13年9月、JR東海が「環境影響評価準備書」で同トンネル工事により「大井川の流量が毎秒2立方メートル減少する」予測を明らかにしたことまでさかのぼる。県によると、この量は約60万人分の生活用水に匹敵する。

14年3月の知事意見で「トンネル湧水の全量戻し」を求められた同社は、新たに「導水路トンネル」を掘削して湧水の一部を戻す対策を打ち出したものの「全量戻しは不要」と応じなかった。

「勝手に掘りなさんな」

かつては「リニアの大推進論者」だったと自任する川勝知事。国土審議会委員を務め、リニアによって三大都市圏が結ばれ「スーパー・メガリージョン」(巨大経済圏)が形成されるという構想を盛り込んだ国土形成計画の策定にも参加した。

JR東海との対決姿勢を明確にしたのは17年10月の記者会見でのことだ。

「勝手にトンネルを掘りなさんなということです。水は一部戻してやるから、ともかく工事させろという態度で、私の堪忍袋の緒が切れました」

「原則としてトンネル湧水の全量を大井川に流す」と同社が翻意したのは知事意見から4年半後の18年10月。これを受け県は、有識者とJR東海が水資源や生物多様性を議論する専門部会を設置した。この席で、工事中の一定期間は県外に湧水が流出してしまい戻せないことが明らかになり、議論はこう着状態に陥った。

事態打開のため国土交通省が20年4月、新型コロナ感染拡大の緊急事態宣言下スタートさせた有識者会議の席でも、JR東海はトンネル掘削により「地下水位が300m以上低下」する予測値を初めて明らかにするなど、不都合な情報を小出しにする態度が目立った。

「静岡バッシング」が目立つようになるのは、この頃からだ。当時の金子慎・JR東海社長(現会長)は国の有識者会議の冒頭、「静岡批判」を展開した。

「静岡県も南アルプスの環境が重要であるからといって、あまりに高い要求を課して、それが達成できなければ、着工も認めないというのは法律(環境影響評価法)の趣旨に反するのではないか」

金子社長が「6月中に着工しないと、27年開業は難しくなる」と発言すると、インターネットを中心に「静岡県がごねている」という風評が広まった。

金子社長と当時の藤田耕三・国交事務次官(現鉄道・運輸機構理事長)が相次いで川勝知事と直談判し物別れに終わったことも、バッシングに輪をかけた。

知事本人は「早期開業に対して足を引っ張ったことは一度もない」と言うが、リニア計画の意義を根本から問うような発言を繰り返してきた。月刊誌「中央公論」(20年11月)への寄稿でコロナ禍を「リニア再考をせまる新しい現実」と称して計画見直しを提言。南海トラフ巨大地震で「複合災害」が発生した場合、道路が寸断された南アルプス山中に停車したリニア乗客の救出が極めて難しいことを指摘した。南アルプストンネルのルート変更や品川―甲府間の「部分開業」、東海道新幹線の「静岡空港新駅」も提案してきた。

その中には「学者知事」ならではの「見識」も少なくはないが、リニア需要を当て込む沿線の首長や経済界にとっては「目の上のたんこぶ」でしかなかったとしても不思議はない。急先鋒は「リニア中央新幹線建設促進期成同盟会」会長の大村秀章・愛知県知事だ。

「(リニア建設を)どんどん進めてもらいたいというのが、私がお聞きする静岡県民のほとんどというか全員の声ですよ。静岡県民や経済界に聞いてみたい。静岡県のせいでリニアが止まっていいんですかって」

逆風の中迎えた21年6月の知事選では、「命の水を守る」と訴え元国交副大臣に圧勝、4選を果たした。

大井川上流、燕沢の残土置き場予定地で、「ここは不適ではないかと思います」と発言した川勝知事(2022年8月8日撮影)

「2027年開業」を断念

「内憂外患」、それまで「オール静岡」として一枚岩でJR東海と対峙してきた県と大井川流域市町長との不協和音が目立つようになったのは21年12月、国の有識者会議が「トンネル湧水量の全量を大井川に戻すことで、中下流域の流量は維持される」と流域の心配に応える「中間報告」をまとめた頃からだ。

国の有識者会議は23年11月、約3年半の議論を打ち切り、モニタリングの結果に応じ保全措置を見直す「順応的管理」によって環境への影響を最小化するJR東海の方向性をほぼ認めた報告書をまとめた。

とはいえ、トンネル掘削により大井川の流量が減ったり、上流の沢が枯れたりして、生態系が破壊される恐れは依然、残ったままだ。静岡県は国に議論を求めていた47項目のうち30項目が「未了」だとして、県の専門部会で同社と対話を続ける方針を示している。

国の有識者会議の終了を待っていたかのようにJR東海は同年12月、工事の完了時期を「2027年以降」に変更する申請を国に行い認可された。今年3月29日になって、「2027年に開業できる状況ではない」と丹羽社長が国のモニタリング会議で表明したときも「静岡工区の着手の遅れは、名古屋までの開業時期の遅れに直結する」と、静岡県に責任を押し付けることを忘れなかった。

ところが、川勝知事の辞職会見翌日の4月4日、JR東海は甲府市の山梨県駅(仮称)や長野県飯田市の高架橋で工事完了が27年を超えて31年まで遅れる見通しを初めて明らかにした。

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