日本の沿岸を歩く―海幸と人と環境と第85回 ホタテ養殖の実績頼りに試練克服へ―北海道・噴火湾
2024年04月16日グローバルネット2024年4月号
ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)
函館から太平洋側の海岸線を北上すると、左手に北海道駒ヶ岳(渡島富士)が、右手に噴火湾(内浦湾)が見えてくる。1868(明治元)年10月、旧幕府軍の榎本武揚や土方歳三らが上陸した鷲ノ木上陸地碑を確認し、さらに進んで八雲町の道立公園噴火湾パノラマパークから湾を眺めた。珍しい半閉鎖性海域の湾は豊かな海の幸があり、養殖ホタテガイは全国の生産量の約5割を占めている。
●甘味ある大粒のホタテ
円形で直径約50㎞の噴火湾は、親潮(寒流)と対馬暖流の影響を受け、さらに河川水が流れ込む。古くから良好な漁場である。湾の北側にある、いぶり噴火湾漁業協同組合の豊浦支所(豊浦町)の魚市場でこの湾の海の幸を確かめることにした。
午前10時半から魚市場を見学。活魚を含む魚がずらりと並び、40人くらいが競りをしていた。大型のヒラメは壮観で、特産で「身が引き締まって味もいい」と好評のアカガレイの姿も。「左ヒラメに右カレイ」とつぶやきながら確認した。多くのブリや秋サケ、貝類もあって多彩だ。落札した仲買人を通して札幌の市場などへ送られるという。
市場の外を歩いていると、ホタテガイ養殖に使うかごや浮きを船から岸へ揚げる作業をしていた男性に遭遇。ホタテガイの話になると「ここのホタテは甘くて、柔らかくて、とてもおいしいですよ」と自慢する。
詳しく話を聞くために、10kmほど東にある、いぶり噴火湾漁業協同組合本所(洞爺湖町)を訪ねた。漁協には4支所あり、組合員は209人、年間の販売額41億円の8割程度をホタテガイが占めている。事業部の明石和磨さんから説明してもらった。
まず話題になったのは噴火湾で2018年秋から続いているホタテガイの大量へい死だ。2022年度には水揚げ1万1,000tとピーク時の5割近く減少した。
ホタテガイ養殖は自然環境に大きく左右される。フジツボなどの大量発生で生育が阻害されたこともあった。常にへい死のリスクと隣り合い、その都度ピンチを克服してきた。
今回の大量へい死の原因は不明で、冷夏で餌となるプランクトンが減ったことや、強い風で稚貝を入れたかごが揺れて貝同士がぶつかりダメージを受けることなどが推測されている。また海水温の上昇も懸念材料だ。北海道の支援を受けて原因究明を急いでおり、さまざまな対策を試行錯誤している。
噴火湾のホタテガイ養殖は、4月下旬~5月上旬にかけて、海の中で生まれた卵や幼生を付着させる網状の採苗器を海に投入。3~4ヵ月後に回収すると、数㎜の稚貝がたくさん付着している。これを四角錐の形の「ざぶとん籠(かご)」に移して約半年育てた後、5cmほどになった貝殻のちょうつがい部分に穴をあける。それにピンを刺してロープ(長さ十数m)に固定し海中につるす。これが「耳づり」。ロープ1本当たり250枚の貝を付け、2~3年育てた殻長8cm以上の成貝を11月ごろから翌年3月ごろまで収獲する。
途中で引き上げて貝の表面の付着物を洗浄するなど、漁業者は手間暇かけて育てている。
養殖といっても、ホタテガイは海中に漂うプランクトンを餌に自然の中で育つ。噴火湾や陸奥湾(青森県)での耳づりは「垂下式」、稚貝を海底にまいて自然に育てるオホーツク海沿岸は「地まき式」。どちらも自然相手なので、へい死のリスクがある。陸奥湾では大きく育てるほど、へい死のリスクが高くなるので、成貝になる前の「ベビーホタテ」を出荷している。
●中国が水産物輸入中止
へい死に加えて大きな問題は、これまで最大の輸出先だった中国が昨年8月から日本の水産物輸入を停止していることだ。福島第一原発の処理水放出に反発して強硬な措置を続けている。ホタテガイは日本産水産物の輸出額で2012年から1位で、国内生産(養殖を含む)の8割を占める北海道にとって影響は大きい。
いぶり噴火湾漁協は、同じ噴火湾沿岸の森町にある加工場へホタテガイを送るとともに、殻付きのまま非加熱で凍結したものを中国に輸出してきた。減少した対中国輸出分を国内や中国以外の輸出先に振り向けていくためには、国内での殻むきや貝柱製造などの加工能力をアップすることが必要だという。
明石さんは「漁業者の高齢化が進み、後継者も減少していますので、へい死や中国の禁輸などの問題が早期に解決することを願っています」と話す。ホタテガイの補完対策として、ナマコを増やすために、石を海に投下してナマコ礁を造成している。効果が確認できるのは少し先になりそうだ。
明石さんには計量施設も見せてもらった。計量したホタテガイをベルトコンベアでトラックに積み込む。3台で1日100tの処理能力は迫力がある。
水揚げしたホタテガイを次の加工段階へ販売する「一本足打法」のビジネスについて、筆者は、難しいかもしれないが消費者とつながる販売にすれば、リスク減少と収益増が期待できるのでは、と思っている。
取材した昨年9月上旬はホタテガイのシーズンではなかったので、養殖の現場を見ることも、採れたての生のホタテガイを食べることもできなかった。何としても、一口を!と向かったのは漁協近くの道の駅あぷた。ホタテガイの串焼きを買って噴火湾を背景にして写真を撮った。眼下にいぶり噴火湾漁協本所のある虻田漁港が眺望できたので大満足。大きな貝柱を頬張ると、取材した誰もが自慢する通り大変おいしかった。道の駅「とようら」でも帆立丼を食べ、ホタテガイの缶詰を買って地域経済にわずかだが貢献した。
●古代から人々が暮らす
噴火湾の沿岸を東進すると、史跡北黄金貝塚公園(伊達市)があり、公園内の情報センターには貝塚の地層の中にホタテガイの貝殻を見つけた。噴火湾の沿岸は縄文からアイヌ文化期、近世、さらに近代の開拓まで人々の生活の痕跡が多くある。
伊達市といえば、戊辰戦争に敗れた亘理伊達家(仙台藩主・伊達氏の分家)の人々が移住してつくったことを知った。ここを開拓の中心地にしたのは、噴火湾に面し、緑が豊かな土地であったからという。
さらに沿岸8市町のうちで最大の室蘭へ。明治以後は製鉄、鉄鋼、造船など北海道の中心的な工業都市として発展した。室蘭八景の海岸線に、その一つである地球岬がある。室蘭港(別名「白鳥湾」)にかかる白鳥大橋(1,380 m)を渡って地球岬の展望台へ着いた。
噴火湾でかつて出没していたクジラを目撃することは、ほとんどなくなったというが、6月から8月にはイルカウオッチングができる。北海道新聞社が1998年に発行した『噴火湾 クジラとその仲間』(VMWA=噴火湾海洋動物観察協会=編)には海鳥や海の哺乳類による「自然劇場」の光景が紹介してある。
夕暮れの展望台から噴火湾を眺めた。すると目の前の光景に…地球という名の船の 誰もが旅人…という『瑠璃色の地球』(歌:松田聖子)の歌詞が重なった。