フォーラム随想気候危機というコトバで人は動く?
2024年02月20日グローバルネット2024年2月号
長崎大学大学院プラネタリーヘルス学環長、熱帯医学・グローバルヘルス研究科教授
渡辺 知保
コトバは私たちの思考、ひいては行動の手がかりになっている。イヌというコトバがなければ、イヌが好きということを他人に伝えるのは結構面倒な話になるだろうし、お互いに絵だけで会話(会話ともいえないだろうけど)してみてくださいと言われてもどうやって?と行き詰まってしまいそうだ。
あるテレビ番組で、明治初期の日本人に西洋音楽を教えていたアメリカ人教師の話が紹介されていた。ある、出来の良い生徒にドレミファの音階を歌わせるとファだけ音が外れるのにふと気付いた。他の生徒はどうかと思って何人もの日本人生徒を相手に“調査”してみたところ、どの生徒もファだけ音が外れ、しかもソに近い音程で歌うことがわかった。当時の日本で一般的だったのが、いわゆるヨナ抜き音階(ドレミファの4、7番目の音―ファとシが抜けている音階)で、ファがなかったからだろうと番組では説明されていた。ファというコトバが存在しなければ、ファが認識されることも、ファを正しい音程で歌う機会もなく、ファの周辺は曖昧な音程の空間になっていたに違いない。ギリシャ・ローマ時代には青というコトバが存在しなかったということを、19世紀に言語学者たちが「発見」した。他の言語も含めて、現在ならば当然、青というコトバで形容されそうな空や水が、全く違う色で表現されていたという。音でも色でもコトバの有無によって認識が変わり、対応する行動も影響を受けることになる。
ある国語や方言の中にどんなコトバが用意されているかによって認識や行動が変わるというのは、ごく当然な話だ。その時々の社会において、関心が高い領域にはコトバが用意、あるいは新たに創出され、そのコトバに注目が集まることによって、社会やそこに属する人々の世界認識や行動が形成される。雪国では、雪の降り方を表現するコトバが非常に豊かだというが、危険で対策が必要な雪から、穏やかで季節に彩りを添える雪まで細かく区別して認識することが、適切な行動にも結び付いてきたのだろう。
「気候危機」や「チャットGPT」などのコトバが登場すると、それを巡る思考、意見表明から法律の整備まで行われ、その結果、私たちの世界認識も社会も変わる。もちろん、気候危機やチャットGPTそのものも社会に大きな影響を及ぼすが、それを表すコトバも、私たちの認識や行動を変える。異常に暑い夏が続いたり、大きな台風や局地的豪雨が観測されたりということが頻発しても、それが気候危機というコトバでくくられなければ、私たちの認識は猛暑とゲリラ豪雨のままであって、それらの真の原因に対応した根本的な対策には結び付いていかないだろう。
しかし、コトバを生み出しただけで認識や行動が変わるわけではない。気候危機という、いかにもセンセーショナルなコトバが出てきた割には、世界の、特に日本の動きは鈍い。人間は痛い目に遭わないと動かないのだという悲観論はさておき、ではどうしたらいいのか、の答えをみんなが探している。音の話に戻ると、例えば楽器や歌でファ音を出せば、それを聴いた人に、音色や音量、聴いた文脈によってさまざまな感情と行動を引き起こすだろう。このファ音のインパクトをファというコトバや、それがミとソの間にあって(中央の)ファは349ヘルツだという説明で置き換えることは、イヌを見たことのない人にイヌの説明をしてイヌ好きになってもらうのと同じくらいに不可能だ。気候危機というコトバに対応する「ファの音」が何かと考えると、それは「痛い目」にたどり着いて悲観論に戻ってしまう。むしろ、気候危機をもたらした社会が失ってしまったポジティブなインパクトを見つけることが重要なのかもしれない。
最近、アナログな機械が見直されたり、コミュニティとか自然とかの重要性が指摘されたりしているのが、気候危機の「裏の」ファ音なのかもしれない。