日本の沿岸を歩く海幸と人と環境と第82回  森・川・海をつなぐサクラマスの神秘―北海道・積丹町

2024年01月18日グローバルネット2024年1月号

ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)

小樽から渡島半島を左回りで苫小牧まで取材した(連載5回)。過去2回の取材を合わせ北海道の沿岸を一周したことになる。最初の目的地は積丹半島にあるサクラマス・サンクチュアリーセンター。サクラマスはヤマメ(北海道ではヤマベ)が海に降下して大きくなったもの。サクラの咲くころ、産卵のために川を遡上し始める。森、川、海をつなぎ、良好な自然環境の中で生きる。謎が多く「神秘の魚」と呼ばれる。

●底生生物が非常に多い

「日本海追分ソーランライン」(小樽~函館)が走る積丹半島。天童よしみが歌う同名曲にあるような沖には日本海の恵みがあり、陸地は豊かな森林に覆われる。流れ出る余別川(全長15km)はダムや堰などの人工作物がなく、魚の餌となる底生生物の量が非常に多い。サクラマスの他に、サケ(シロサケ)、アユ、ウグイなど多くの魚が生息する。水産動植物の保護や採捕禁止などが規定されている保護水面河川である。

余別川

半島の景勝地である神威かむい岬の手前で余別川河口とぶつかり、川上へ1km。静かな森の中に積丹町サクラマス・サンクチュアリーセンターがある。ログハウス風の建物で1994年に開設された。余別川の自然、地域の漁業や人々の生活などを紹介している。町の保護水面監視員の安宅紀博さんに会った。

積丹町サンクチュアリーセンター

サクラマスは、北東アジアに生息し、日本では北海道、東北地方、本州日本海側に分布する。鱒寿司の材料は元来サクラマスだった。琵琶湖のビワマス、南・西日本のサツキマス(陸封型のアマゴ)、タイワンマスは亜種である。

サクラマスと河川に残るヤマメ(陸封型)は同じ魚で寿命は3~4年。余別川では、3月から夏にかけて川を遡上する。淵の下に隠れるなどしてゆっくり上流を目指す。9~10月に産卵、12~1月に川底でふ化し、稚魚は1年半川にとどまる。2回目の春、メスはすべて海に下り、オスは体長7cm以上に育ったオスはヤマメのまま川にとどまり、それより小さいオスは海で生きられる銀色の魚体(スモルト)に変化して海へ。メスとオスはほぼ同数で、オスは半数が海に下る。

海に出た稚魚がサクラマスになり、日本海沿岸やオホーツク海を回遊し、豊富な海の餌を食べて大きく育つ。1年後に河口に戻ってきたときは、50~70cmの大型に。川にとどまった20cmほどのヤマメは、自分より小さかったオスに逆転負けした気分かもしれない。そのヤマメがちゃっかりサクラマスの産卵に割り込んで放精するのを知ると、ほほえましい。

●赤い魚の写真は撮れず

調べると、サクラマスの生態は未解明の部分が多い。西日本ではメスは一部が川にとどまるようだし、降海してもすぐに、あるいはしばらくして川に戻るなどいろいろなパターンがあるようだ。河川遡上後は餌を食べないとされてきたが、遡上後も体の大きさによって餌を食べる例があることがわかってきた。大型になると、蓄えた栄養で卵や精子をつくり、消化管までなくなるという。「ヤマメは放精できなかった場合、死なずに次の4年目に再チャレンジする場合もあるようです」。安宅さんはセンターを見学に訪れる子どもたちに、ユーモアを交えて、この不思議な魚を解説している。

サクラマスは一生のほぼ半分を川で過ごす。サケに比べると川にとどまる時間が長く、産卵場所もサケの中下流に対して上流であることから、川の自然環境の影響を受けやすい。そのため、より複雑で巧妙な生存・繁殖プログラムを持っているようだ。

訪問したのは9月上旬。「産卵期のサクラマスを見られるかもしれませんよ」という安宅さんは、館内の産卵期の赤いサクラマスの写真を説明し、センターから少し上流の川辺に案内してくれた。「産卵が始まったばかりで人を見たら逃げますよ」と注意され、忍び足で川に近づいた。水の音と野鳥の鳴き声しかない渓流。60倍ズームのカメラで川をなめるように探した。約1時間。あっ、赤い魚体! …流れの中の石だった。

余別川の後は函館方向に移動し、黒松内町にある「ブナの北限」のブナセンターを訪ね、センターそばの朱太川の橋の上からサクラマスの魚影を探した。夕暮れまで粘り、翌朝も同じ場所やその他の場所を探した。この後、函館方面に向かい、乙部町のサクラマス種苗センター付近の川などを探したがすべて空振り。写真は2年前に岩手県釜石で撮ったものを使おう…。

サクラマス(2022年、釜石で撮影)

写真撮影を試みた場所は、ミズナラやオニグルミなどの河畔林が美しかった。産卵後のサクラマスのほっちゃれ(死骸)が河岸に打ち上げられると、オジロワシやオオワシ、ヒグマなどの動物に食べられ、ふんは植物の栄養となる。海の栄養を森に届ける「生物ポンプ」が多くの生命を支える「自然の機能美」を感じた。

日本海追分ソーランライン沿道の、せたな町の道の駅で目に留まった看板には「私たちの願い!サクラマス資源回復のためダムにスリット化(後述)の早期実現を!せたな町の豊かな海と川を取り戻す会」とあり、サクラマスに対する人々の思いが伝わってくる。

●養殖は採算性が課題に

積丹訪問から4日後、新千歳空港に近い北海道立総合研究機構さけます・内水面水産試験場を訪ね、さけます資源部長の藤原真さんから話を聞いた。

取材した北海道南西部(後志・檜山、渡島地方)ではサクラマスは春の漁業対象種となっており、1980年代には北海道全体の漁獲量の7~8割を占めていた。北海道のサクラマスは釣りや定置網で1,300t(2021年)の漁獲がある。サケに比べて魚肉がきめ細かくておいしく、漁獲量も少ないので経済的な価値は大きい。

現在、サケと同じようなふ化放流事業が行われ、遡上してきたサクラマスを捕獲して採卵、ふ化させた稚魚を川に戻す。道内27水系で放流しているのは年間500万匹で、規模はサケの200分の1程度だ。

最近は費用対効果が明確でないことや、放流が生存競争を激化させるなどして生息数の増加につながらない、といった専門家の声などもあり、従来のやり方を見直しつつある。藤原さんによると、自然の中で再生産ができる環境を整備するのも重要だという。河川整備でダムや堰などが造られ、サクラマスの遡上や産卵のための自然環境が悪化したからだ。「砂防ダムに魚道を造ったり、ダムのコンクリート面に切り込みを入れたり(切り下げる=スリット化)をして遡上できるように改良を続けています」と藤原さんは具体策を説明し、「産卵域を増やすことが望ましい」と強調する。

道内では、過去にサクラマスの海面養殖の取り組みがあったが、海外からのサケマス類の輸入増加などにより、採算性が得られず撤退したことがある。その後、海面や陸上で養殖技術が進歩し、函館周辺などで再び実証試験が進められている。全国的には新潟県佐渡島の養殖などが知られている。

既に養殖業が確立しているサケマス類の何倍も難しいといわれるサクラマスの養殖技術が今後進化することを願う一方で、サクラマスの生態の神秘は神秘のままであってほしいという願望もある。

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