「自分のものさし」で社会を考える~モノを持たない暮らしの実践から最終回 「せっけん」一つでプラスチック・フリーに~浴室内から持ち方を問い直す
2023年09月15日グローバルネット2023年9月号
編集者、おかえり株式会社取締役
増村 江利子(ますむら えりこ)
掃除用品としての洗剤の種類が多すぎるのではないかと気付き、あらゆる掃除を「重曹」と「クエン酸」でするようになった話を前々回(本誌5月号)書いた。
そして、キッチンのストッカーにあまりにもたくさんの調味料が並ぶのを見て、調味料を塩、砂糖、酢、しょうゆ、みそ、ブラックペッパー、七味唐辛子、カレー粉の8種類だけにした過程を前回書いた。
続いて目が向いたのは、浴室である。浴室内には、せっけん、ボディソープ、シャンプー、リンス、洗顔用のクレンジングやせっけんなどが並んでいたが、これらは本当に必要なのか。最終的に、せっけん一つにしようと試行錯誤をした経緯から、モノと向き合う視点について考えてみたい。
●プラスチックの代替は、なぜ難しいのか?
食品でも日用品でも、何かしらスーパーやドラッグストアで商品を購入する際に、なぜこんなにも過剰包装なのか、ということが気になっていた。お菓子などは個包装されているものも多く、包装を開けて食べると、その包装は一瞬でごみになる。日用品だって同じである。
浴室内のシャンプーやリンスといったものは、大容量のものや詰め替え用品も数多くあるが、そもそも、大容量で長く使うものがプラスチック製であることにも疑問があった。
暮らしの中からプラスチックを徹底して排除することはできないかもしれないが、どうにかならないものか。代替案を探したり、解決策を探る行為は諦めたくない。ずっと考えてはいたのだが、ガラス製の容器に詰め替えをしようにも、ストローのように伸びるプラスチック部分を代替することは難しそうだ。
そこで、なぜ難しいのかを考え始めた。せっかく暮らしの中で脱プラスチックを追求したとしても、最終的に出すごみ袋がプラスチック製であるが、生ごみのコンポストによって、ほとんど生ごみが出なかったわが家では、自治体指定のごみ袋が紙製でもいいのに、と思っていた。
関連がないようであるが、このことが大きなヒントになった。生ごみのような、水分のあるものを捨てるから、ビニール製であることが重宝されるのではないか。つまり、商品が液体であるがために、生産現場から流通に乗せ、またその商品を購入して自宅へと運び、またそれを使い続けるためにも、プラスチック製である必要があるということだ。
洗濯用洗剤には、液体のものもあれば、粉せっけんもある。ボディソープも、液体ではなく固体にしたらいいのではないか。シャンプーも、「シャンプーバー」といった名称の固形せっけんが存在する。詰め替えの必要がなくなるし、すぐに汚れが目立つようになるボトル容器類も浴室内に置く必要がなくなる。
なるほど、「液体」から「固体」に変えればいいのだと思い、すぐに固形せっけんに変えることにした。
●髪がきしまない固形せっけんを探す
まずボディソープを普通のせっけんにしてみたが、何も困ることはなかった。よく考えてみれば、自分も子どもの頃は、せっけんを使っていたのではないだろうか。
これでポンプが一つ、減ったことになる。次はシャンプーとリンスである。髪の毛をせっけんで洗ってみたのだが、泡立ちはいいものの、洗い上がりは髪がアルカリ性に傾いてキシキシ感が強く、クエン酸リンスを併用しながら、慣れるまでは辛抱だと思って数週間続けてみた。
だが、これは私には難しいという結論に至った。髪がキシキシするのに慣れず、クエン酸リンスが液体であることも気になった。他の方法を探ろうと、「全身洗い」「髪用せっけん」など思いつく限りのキーワードでWeb検索をした。
そうしてたどり着いたのは、固形のシャンプー・コンディショナーバー「エティーク」という海外製の商品だった。早速使ってみたが、これならさほど髪がきしまない。さらに、紙製の箱の中に、包装なしでせっけんがそのまま入っている。
これが何よりもうれしかった。固形せっけんにすればいいという、いい発見をしたと思ったのもつかの間、固形せっけんも簡易包装がされていることに気付き、プラスチックボトルやパックに入った液体せっけんに比べればプラごみの量が少なくて済むが、プラスチック・フリーにはならないとがっかりしていたのだった。
紙包装にこだわりたいと考えているうちに、「アレッポの石鹸」の紙包装タイプを見つけた。これもさほど髪がきしまないが、せっけんを海外から取り寄せるということに多少の罪悪感もあった。日本製が出るまでは、まあこれでもいいか、という具合になってきた。
さあ、これでシャンプー、リンスという2本のボトルがなくなった。洗顔に使うクレンジングオイルだけはどうしようもなかったが、それでもボディソープ、シャンプー、リンスといった浴室内で場所を取るものがせっけん一つに置き換わったことで、浴室内が心なしかすっきりして見えるようにもなった。詰め替えのたびにプラスチック製のごみが出ないことも、自分にとっては心地のいいことだった。
●商品やサービスにあふれる社会から距離を置く
現在は、明治38年創業のせっけん製造メーカーである株式会社マックスが「The BAR」というシリーズを展開しており、これを愛用している。「The BAR」は固形のせっけんで、ボディソープ、シャンプー・コンディショナーがそろう。紙のパッケージで、せっけんを包む包装も紙が使われており、テープも不使用と、なかなかのこだわりだ。
他にも、「ペリカンファミリー石鹸」「ペリカン自然派石けん」全17種が2023年4月にリニューアルして、紙包装が使用されるようになった。髪にも使えるかどうかは試していないが、このようにせっけんの包装がどんどん変わっていくことに期待したい。
さて、これまで数回にわたってこのコラムで書いてきたことは、モノの持ち方を問い直すことを通じて、さまざまな商品にあふれる消費社会から距離を置く、ということではないだろうか。
ここで明かしておくが、私がもともと使っていた液体シャンプーは、「せっけんシャンプー」だったのである。「せっけんシャンプー」という名の液体のシャンプーは、固形の「せっけん」と何が違うのか。液体の方は髪がきしまないのだから、成分は間違いなく違うのだろう。でも、汚れを落とすという意味合いにおいては、さほど違いはないのではないだろうか。
私たちは従順な「消費者」として、暮らしにまつわるあらゆるサービスを享受している。人が生きていくために必要な「水」でさえも、自分で山から水を引いているわけではない。お金を払いさえすれば、という条件はつくが、蛇口をひねれば、いくらでも水が使えるという社会の仕組みの上に私たちは生きている。
仕組み化されて、当たり前に享受できる物事に感謝の気持ちを持ちつつも、それがつい100年前にはなかった仕組みであることにも、目を向けないといけないのではないだろうか。
100年前の暮らしに戻そうというつもりはないが、今「ないと駄目だ」と思っているものは、先入観によるものであったり、後天的に作られた、自分ではない他者の欲求なのではないか。
そうやって一つひとつ検証して、暮らしの中の選択を自分なりの“ものさし”で測っていくことで、こうした個人の暮らしを通じた行動が、社会を変えていくことだってできるのではないかと思っている。
本連載は今回が最終回となります。