日本の沿岸を歩く海幸と人と環境と第76回 産卵場は人工河川、天然遡上のアユが急増 ~和歌山県・紀の川市

2023年07月14日グローバルネット2023年7月号

ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)

和歌山県は豊かな森に恵まれ、そこから清らかで豊富な水が流れ出て海に注ぐ。県南端から紀伊水道沿いを北上すると、古座川、日置ひき川、日高川、有田川などアユが遡上する多くの川に出合う。今回のテーマは、川と海を行き来し「清流のバロメーター」と評されるアユである。放流用稚アユ(種苗と呼ぶ)販売や産卵用親アユの放流事業をしている紀ノ川漁業協同組合(紀の川市)を訪ねた。

●ふ化直後に河口へ下る

紀ノ川漁協は紀の川河口から20kmほど上流にある。代表理事組合長の川口恭弘さんと元職員で嘱託の和田学さんに会った。まず、見せてもらったのはホルマリン漬けした、ふ化直後の稚魚。体長約1cmで透き通っている。「おおむね3日以内に河口の汽水域に下り、動物性プランクトンを食べないと死んでしまうのです」と川口さんはアユの繊細な生態を語った。

紀ノ川漁協

河口付近の海で冬を過ごした稚アユは、春に川を遡上し始め、上流を目指す。晩秋になると川を下って河口に近い下流で産卵し、1年の短い命を終える。卵は15~30日前後でふ化し、海へと下る。

日本の河川には漁業権が設定され、漁協は資源を増殖する義務がある。そのため、多くの河川で稚アユを中・上流に放流している。放流稚アユは湖産(琵琶湖産)、海で採捕した海産、人工ふ化したものなどを中間育成したものだ。

稚アユの放流は100年以上の歴史があり、アユ釣りの遊漁料が漁協の大きな収入源となっている。「湖産は8月ごろに、海産は10月ごろに産卵を始めるので、湖産、海産の順で放流すれば11月ごろまで釣りができます」と川口さん。

海に下らない陸封型の湖産アユは、餌の豊富な川を遡上すると大きく育つ。元々その川にいるアユや放流された海産アユと交雑しても、海水では生存できず湖産アユの「再生産」はないようだが、天然アユの再生産や遺伝子組成への影響を懸念する声もある。

紀ノ川漁協の事業は海産稚アユを中間育成して全国に放流用として販売、紀の川へも放流する。海産稚アユは早春(2~3月)に和歌山県内の沿岸域で採捕された稚アユを入手している。

漁協は人工ふ化のアユの養殖と販売(加工を含む)もしている。アユを育てているのは組合敷地内の増殖研究センターにある25~110m2の飼育水槽36基。遊漁料やおとりアユの販売も収益源となる。アユ釣りは針で引っかける「段引き」(ころがし)のほか、縄張りに侵入したおとりアユを追い出そうとする闘争本能を利用した友釣りがある。激しいアタリが太公望を楽しませている。

●堰に最新式魚道を造る

紀の川は日本で一番雨の多い大台ヶ原(奈良県と三重県の境)を源流とし、全長136km、流域面積1,750km2。清流は太陽光をよく透すので、川底の石の表面に生える硅藻けいそう(コケ)がよく育ち、アユはこれを食べて急速に成長する。

漁協の事業の中で画期的なのが「紀の川大堰おおぜき」の人工河川式魚道への親アユ放流だ。親アユはこの魚道内で産卵し、ふ化した稚アユが河口に下る。

人工河川(手前)が見える紀の川大堰

紀の川の天然遡上のアユは昨年、1,480万匹(約70t)。近年、その数は増加傾向が続いており、2,000万匹を超える年もあるほど。長らく姿を消していた30cm以上の尺鮎しゃくあゆが2年前に捕れた。

全国では天然遡上のアユが減少しているので、紀の川の「異変」は注目を集めている。和田さんは予想を上回る成果に「自然遡上が増えて、天然アユの再生産が好循環となれば」と期待している。

河口から5kmほど上流にある紀の川大堰は総延長542m。2011年に事業が完了した堰で、最新式の可動堰を持ち、ダムのような機能を果たす。洪水に対処する治水とともに、渇水対策や水道・工業用水の取水などの「利水」を主な目的としている。

紀の川は古くから洪水が人びとを苦しめた。その対策として治水や土木技術が発達し、江戸時代には紀州藩主から八代将軍になった徳川吉宗が進んだ「紀州流」の土木技術を江戸にも持ち込んだという。

紀の川大堰の建設計画には当初、漁協などは反対したが国土交通省と長年の交渉の末に同意し、漁協側の要望で大規模な魚道を設置することに。琵琶湖の姉川と安曇あど川の人工河川を参考にしたが、海に通じる河川での産卵用人工河川は全国で初めて。漁協は補償金を使って養殖・増殖施設を整備した。

大堰は左右岸にそれぞれ3種類、計6基の魚道を設置して、さまざまな魚種に対応している。魚道の詳細は階段式、デニール付バーチカルスロット式(垂直の板で渓流のような流れを作る)、つづら折りの人工河川式魚道。魚を誘導する「呼び水水路」もある。先に完成した右岸魚道で遡上確認をし、後の左岸工事では階段式魚道の水深を同じに保つように改良を加えた。

アユが産卵する人工河川式魚道は、ヨシノボリ(ハゼ科)類、ウナギ、モクズガニなども通る。魚道は小石が敷き詰められ、漁協がトラクターで耕して川底を柔らかくし、付着する汚れを落としている。10㎞ほど上流にある古い岩出いわで堰では遡上できないアユを網ですくって上流に放す「すくいごし」も続けている。

長良川河口堰建設(1995年から本格運用)では、生態系や漁業などへの悪影響などを懸念して激しい反対運動があった。これまでの河川管理では効率を優先し、ダム、堤防、河口堰などを造って自然を破壊した歴史がある。一方で防災、生活や産業に欠かせない用水確保など重要な社会インフラでもあるのも事実。開発と自然保護の折り合いをどうつけるのか。土木技術や調査研究の進捗を見ながら、柔軟な評価も必要だろう。

大堰にある魚道観察室

●増えるカワウ対策に苦慮

紀ノ川漁協は事業として紀の川の清掃活動をするが、上流の土木工事などによる水の濁りやカワウ被害など、さまざまな問題に直面する。長年紀の川に親しんだ和田さんは「川で遊ぶ子どもたちを見なくなりました。川と人の距離を昔のように戻すために生き物がすめる川を守りたい」と漁協の願いを示す。

漁協を後にすると、大堰そばにある「水ときらめき紀の川館」と「魚道観察室」に立ち寄った。観察室は階段式魚道を真横から見る仕組み。訪れた1月はシーズン外れだったので、魚を見ることはできなかった。

翌日、紀の川河口北側にある加太かだ地区を歩いた。古い港町では伝統漁法のマダイの一本釣り、昼間の漁に限るなどし、豊かな漁場を守っている。淡嶋あわしま神社近くに新鮮な魚介類が人気の「加太おさかな創庫」もあった。

和歌山取材を終えて、和歌山港から徳島行きのフェリーで帰途に。紀の川河口にある港をゆっくりと出た。頭に浮かんだのは有吉佐和子の小説『紀ノ川』やそれを題材にした同名曲(歌:坂本冬美)。豊かな紀の川は、小説の最後で「翡翠と青磁を練りあわせたような深い色」と記されている。

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