「自分のものさし」で社会を考える~モノを持たない暮らしの実践から第6回 「調味料を8つだけにする」 ~毎日の料理や食生活を問い直す
2023年07月14日グローバルネット2023年7月号
編集者、おかえり株式会社取締役
増村 江利子(ますむら えりこ)
掃除用品としての洗剤の種類が多すぎるのではないかと気付き、あらゆる掃除を「重曹」と「クエン酸」でするようになった話を前回のコラムに書いた。
この「あまりにも種類が多すぎる」という視点でキッチンの調味料が並ぶストッカーを見ると、次はいつ使うのか、使わないかもしれないものまであり、調味料を持ちすぎなのではないかという疑問が湧いてきた。
今回は、調味料を8つだけにした過程から、モノと向き合う視点について考えてみたい。
●たくさんの調味料は、必要不可欠なものか?
皆さんは調味料を、どのように収納しているだろうか。塩や砂糖など調理中に使うものは、使いやすさを考えて、ガスレンジの近くに置いている人は多そうである。
また、油やしょうゆといった類は、その形状からガスレンジの下に収納する人が多いだろうか。そんなふうに考えてみると、ひとくちに調味料といっても、容器の形や大きさはさまざまで、収納しにくいアイテムであるかもしれない。
調味料を整理する以前の家には、ガスレンジ下の収納に調味料の専用ストッカーがあった。一番下にはボトルの形状のものを、上の段にはスパイス系の調味料を並べることができ、とても重宝していた。
調味料の専用ストッカーにしまっていたのは、ブラックペッパー、からし、マスタード、柚子こしょう、ガーリック、オレガノ、カルダモン、パプリカ、シナモン、パセリ、セイロンシナモン、ナツメグ、コリアンダー、ターメリック、クミンシードなど。そして塩・砂糖、酢、しょうゆ、みそ、マヨネーズ、ケチャップ、ソース、わさび、豆板醤、コチュジャン、カレー粉、数種のドレッシングもあった。ここに列挙できていないものも、おそらくあると思う。
なぜ私はこんなにたくさんの調味料を持っているのか。確かに、調味料が豊富にあると、料理そのものが楽しい。このスパイスをちょっとだけ入れてみたらどうかな、というアイデアが浮かんだり、実際においしかったら、その発見は自分の中にずっと残るくらいうれしいものである。
でも、さすがに多すぎるのではないか。そこでまず、ドレッシング、マヨネーズ、ケチャップ、ソースといった“調理された”調味料を手放していくことにした。
●インスタント的な調味料を手放す
まず手放したものは、ドレッシング、マヨネーズ、ケチャップ、ソースといった、「調味料の掛け合わせによって作られた二次的な調味料」である。これらは、必要なときに必要な量だけ自分で作ればいいと割り切った。
自分で作るといっても、そんなに大変な作業はしない。ドレッシングにはごま油+塩、あるいは料理に合わせて、植物性の油に塩、ブラックペッパー、しょうゆ、かんきつ系の果汁などを組み合わせる。冷蔵庫を持っていないので、保管はできない。でも、使う分だけをさっと混ぜるだけで十分なのである。
マヨネーズやケチャップは、そもそも子どもしか使っていなかった。あるのが当たり前ではない暮らしに変えてみると、お手製のドレッシングでも、まあいいか、という反応だった。
ソースは、作る手間を考えると難しいものではある。とんかつソース、ウスターソースはわが家にはないものとして、料理に合わせてバター+しょうゆ、ニンニク+しょうゆといった具合で、しょうゆをベースにすると決めた。やっぱりソースがないと、という状況には現時点ではなっていないから不思議である。
次に考えたのは、残った調味料の中で、どのくらいその調味料を使うのか、その頻度である。
●和食と洋食からなる「家庭料理」に絞る
調味料の入ったストッカーを見渡すと、「なくてはならない調味料」「たまに使う調味料」「ほとんど使わない調味料」の3種類に分けられることに気付いた。
「ほとんど使わない調味料」には、豆板醤、コチュジャンなどがあったが、消費期限までは置いておくが、それ以降は買わないようにすると決めた。
調味料を手放すということは、作る料理を手放すということである。料理のレパートリーは減るが、発想を変えて、本格的な中華料理、韓国料理などを作るのはあきらめて、あくまで家庭料理として、和食と日本で定着している洋食の範囲にしようと思いついた。わが家では、「ほとんど使わない調味料」とはすなわち、和食と洋食以外で使うものだったのである。
「ほとんど使わない調味料」が整理された次は、「たまに使う調味料」である。「あくまで家庭料理の範囲内とする」と決めたことで、これが自分の“ものさし”になった。そして、一つひとつの「たまに使う調味料」に対して、本当に必要なのかと考えてみた。
例えば、コーンスープ。家庭料理として考えれば、このクルトンはなくてもいいのではないか。確かにクルトンは味に変化をもたらすし、気分が上がるものではある。でも、本当に必要なのか。
これは意見の分かれるところだろうと思う。クルトンがあって然るべきものか、もしくは、クルトンはなくとも、家で食べる分には十分であるとするか。そうした選択で、「これで十分」という判断を積み重ねていくと、「たまに使う調味料」は、「ほとんど使わない調味料」になっていった。
●調味料は、たった8つでいい
最終的に、調味料は塩、砂糖、酢、しょうゆ、みそ、ブラックペッパー、七味唐辛子、カレー粉の8種類に絞られた。和食に欠かせないとされる料理の「さしすせそ」を、最大限に使う。ブラックペッパーや七味唐辛子は、味の変化として持っておきたい。
そしてカレー粉は、ウコン、コリアンダー、クミンなどさまざまな香辛料がブレンドされている、最初に手放した「調味料の掛け合わせによって作られた二次的な調味料」ではあるのだが、このカレー粉があれば手放してもいいという調味料が多く、これだけは手放すことができなかった。
これで十分と思っていても、贈り物として頂くなど、一時的に増えてしまう調味料はある。とはいえ、スーパーなどの店頭で、「持っていないからほしい」といった感覚は完全になくなった。
調味料をたくさん持つことは、果たして豊かなのだろうか。毎食のごはんをおいしくいただくための工夫であると考えれば、家族のためにあらゆる手段を持っておきたい人は多いかもしれない。
けれども、立ち止まって少し考えてみてほしい。私たちが「ごはんをおいしくいただくための工夫」を調味料としてたくさんストックする一方で、世界を見渡せば、貧困や紛争によって飢餓に苦しむ人だっている。
世界の食料生産量のうち、3分の1が廃棄されており※2、日本は世界のなかで4番目に家庭からの食品廃棄物が多い国※2なのである。いわば飽食の時代にいる私たちは、食品スーパーに並んでいるありとあらゆる調味料を家庭内に持ち込んでいる。こうした状況を、このまま続けていいのだろうか。
料理をさっと仕上げたいために、ついつい購入していたドレッシングを手放したことで、少ない「8種類」を、それまで以上に使いこなしている自分がいる。少ない調味料でさまざまなおいしさを引き出す工夫に腕を磨くのは、案外楽しいものである。
※ 1 農林水産省 https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/2010/spe1_01.html
※ 2 UNEP(国連環境計画) https://www.unep.org/resources/report/unep-food-waste-index-report-2021