日本の沿岸を歩く―海幸と人と環境と第75回 タチウオ漁を糸口に紀州の独創性知るー和歌山県・有田市/湯浅町
2023年06月15日グローバルネット2023年6月号
ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)
前回の田辺市から紀伊水道沿いを北上し、有田川河口に近い有田箕島漁業協同組合に向かった。漁協のホームページの動画で紹介された「たっちょ」と呼ぶタチウオの漁やそれを市場で商う光景、生き生きした人びとの表情を現地で見たいと思った。
●漁法も魚の種類も多彩
箕島漁港にある漁協に着くと、総務部の尾藤友哉さんに会った。尾藤さんは父親と一緒に漁に出ていたが、父親が漁に出られなくなったため、廃業して漁協職員になった。コロナ禍の影響で魚価が低迷するなど漁協は大きなダメージを被ったが「漁協の収益はまだ厳しいものの、底引き網漁の魚価もある程度持ち直しています」と尾藤さんは今後の回復を期待する。
地元で「うたせ」と呼ばれる小型機船底引き網漁では、タチウオやエビ、マダイなどを捕り、2隻の船で網を引く機船船引き網漁(パッチ網漁)では、海の上層にいるシラスなどを捕る。他に定置網、一本釣りもあり、多彩な漁法によって水揚げする魚種は年300種以上になるという。
中でもタチウオは、有田市が漁獲量日本一をうたう魚で、鮮度と味に定評がある。名前の由来は姿が銀色に輝く太刀に似ていること、立ち泳ぎをすることからとされる。小魚を追って群れで移動し、紀伊水道から瀬戸内海にかけて回遊する。旬は冬で、脂の乗った大きいものは長さ1m以上にもなる。
年間を通じて漁獲があり、箕島漁港で揚がるタチウオは「プレミア和歌山(和歌山県優良県産品)」の認定を受けた「紀州 紀ノ太刀」というブランド。和歌山県の食を紹介する小冊子には「太刀魚 豊かな海が育む銀箔の宝刀」と格好いいタイトルが付いていた。
タチウオは味の良い白身魚で、刺身、塩焼き、煮付け、ムニエルなど調理法が多い。また、うろこがないことや、生でも冷凍でも扱えるので加工の幅も広い。
●入札待つリヤカーの列
翌日の午後2時半過ぎに再訪し、市場を見ることにした。午前3時ごろに出漁した漁船は、入札に合わせて帰港する。筆者が到着した時には既に入札が始まっていた。岸壁には約100隻の船が着岸して、いけすから魚がすくいあげられ、待ち構えるリヤカーの箱に移された。次々に水揚げされる大物の立派なタイは、箱の中でバシャバシャ跳ねて飛び出しそう。
魚を積んだリヤカーは、4列になって仲買人が入札する場所に進む。順番を待つ列にはアルバイトの若い女性も含まれるが、家族総出の仕事のようだった。落札された魚はすぐに出荷され、リヤカーは再び漁船から魚を運ぶ。ひっきりなしに人びとが動く活気にあふれた光景。質問すると、気さくに答えてもらった。
タチウオは豊後水道や紀伊水道で漁獲量が多く、1980年代半ばから90年にかけて和歌山県と大分県が1位を競った漁獲量は近年、減少している。原因は海水温の変化や漁獲圧などとする見解もあるが、明確には明らかになっていない。
資源を回復させようと、漁業者らは休漁日の設定や産卵時期の漁を避ける、網目を大きくするなどの取り組みをしている。尾藤さんは「黒潮の蛇行は緩みつつあるし、対策の成果と見られる資源回復の兆しはあります」と話す。
とはいえ、列に並んだリヤカーを見ると、カマスやアジ、モンゴウイカなどがいたものの、タチウオの姿はほとんどなく、不漁が続いていることがわかる。
尾藤さんが案内してくれた漁港で気付いたのは、ずらりと並ぶ黄色い漁船の船名が金毘羅丸と住吉丸ばかりだったこと。船名に従って、船主は初詣に香川県琴平町の金刀比羅宮、大阪の住吉大社にお参りをするという。金毘羅さん、「すみよっさん」(住吉大社)と親しまれる「海の神様」への信仰心があついようだ。
漁港に大きな変化をもたらしたのは、3年前の漁協直営の新鮮市場「浜のうたせ」のオープン。捕れたての鮮魚を中心に、水産加工品、野菜や果物、土産物などの物産販売コーナーがあり、鮮魚を使った食事が楽しめる。漁業者は捕った魚に値を付けて販売する。
オープン前には、鉄道の駅や高速道から離れているため、本当に客が来てくれるか不安だったという。だがそれは杞憂に終わり、オープンすると「魚が安い」と大評判になり、レストランには客が詰めかけた。土日の駐車場は観光バスがあふれた。「想定よりはるかに売れました。これまでなかったことで地元の人びとは皆驚きました」と尾藤さんは当時の様子を語る。
「浜のうたせ」には、タチウオをすり身にして揚げる「ほねく天」もある。これを使った「たっちょほねく丼」は全国丼グランプリで金賞を獲得した。店内を見ると、鮮魚のタチウオ1匹は1,000円から3,000円の価格帯。旅行中なので焦げ目の付いたタチウオの浜焼きを買うことにした。
先に見学した西日本最大級の海鮮マーケット「とれとれ市場 南紀白浜」(白浜町)に比べると、こちらは対照的にコンパクトで個性的な魅力を感じさせた。
●「しょうゆ発祥」の湯浅
漁協を訪れた初日は漁港南を走る有田みかん海道(オレンジロード、5.6km)を巡った。周辺は温州みかんの代表ブランドで歴史のある「有田みかん」の栽培が盛んだ。展望台の眼下に穏やかな紀伊水道や湯浅湾が広がっていた。
この日は海道に近い湯浅町に宿泊。翌朝、箕島漁港の再訪前に、しょうゆ発祥の地の説がある、この町の湯浅伝統的建造物群保存地区を歩いた。旧市街地の北西にあり、東西約400m、南北約280m。古くから熊野参詣の途中にある町として栄えた。近世は藩内有数の商工都市となり、漁業や漁網製造なども盛んだった。
しょうゆ作りは、鎌倉時代に伝来した金山寺味噌の製造で味噌の溜を使って始まったと伝えられる。江戸時代の文化年間(1804~18年)には92軒ものしょうゆ屋があった。保存地区にある原材料や商品などの積み下ろしをした大仙堀には「醤油発祥の地」の看板があった。町屋や土蔵などがある「小路」がかつての繁栄を今に伝えている。
湯浅には、この町で生まれた江戸時代の豪商、紀伊国屋文左衛門の像がある。三波春夫の歌謡浪曲『豪商一代 紀伊国屋文左衛門』は創作も含まれるが、独創的な商才でミカン輸送や木材の商いに成功した文左衛門のドラマが歌われている。
文左衛門という人物像が持っている、わくわく感と同じものを有田までの紀州路で感じていた。ウメの代表的品種「南高梅」の発祥の地(みなべ町)、カツオ節発祥の地(印南町)などだ。箕島も江戸後期にわずか17戸の小さな漁村だったが、現在では全国に知られる漁港に発展した。
現在、日本経済は「失われた30年」として衰退が懸念されている。日本復活に必要な社会変革は、よくイノベーションという言葉で表現される。先人たちが夢を現実化してきた紀州の歴史には、学ぶべきイノベーションの精神があると感じた。