フォーラム随想神秘を解き明かすと…

2023年05月15日グローバルネット2023年5月号

長崎大学大学院プラネタリーヘルス学環長
熱帯医学・グローバルヘルス研究科教授
渡辺 知保(わたなべ ちほ)

 高校の頃から楽器の演奏が趣味になって、現在も仲間とバンドを続けている。もっぱらジャズ中心だが、学生時代は(当時は若者の音楽であった)ロックバンドを組んでギターを弾いていた。まだバンドを組んでいなかった頃、あるグループの演奏(歌無しのいわゆる〝インスト〟)をFMラジオで聴いていた時に、同じコードで特に目立った展開もなく延々と続く演奏なのに不思議と飽きないことに気付いた。洋楽通の友人に何で飽きないんだろうねと聞いたら、ああこれアドリブやってるからな、と教えてくれた。これがアドリブというものの存在を知った最初だった。ラジオで洋楽のヒットチャート曲を聴くようなことはあったが、バンドを実際にやり始めると、音楽の聴き方ががらりと変わってしまい、やれここの音はどういう風に出すのだろうと〝研究〟してみたり、バンドの中の分担や協働作業が次第に聴こえてくるのに興味を持ち始めた。

 

 70年代初頭から日本で人気を博したシカゴ(正式名はシカゴ交通局みたいな長ったらしい名前)というバンドの有名な演奏を聴いていたら、ギターのアドリブの中で、今まで聴いたこともない不思議な音が出ている! 自分の知っている数少ないテクニックを試してみたものの、そんな音はまるっきり出てこず、多分高級ギターと熟達の技能がないと難しいのだろうと諦めた。またしても洋楽通に聞くと、あれはギターとアンプの間に「ワウワウ」という装置を挟んで出している、生身で挑んでもあんな音が出るわけがないと一笑され、この疑問は氷解した。ちょうどサークルの先輩から不要になったワウワウを譲り受け、早速試すと、まさに〝あの音〟が出てきて興奮したものだ。
 音楽の興味は次第にジャズにシフトした。ジャズは決め事の少ない、現場重視のジャンルだが、ロックでは聴いたこともない面妖な音を使ったアドリブが多く、それが時として妙に〝カッコ良く〟響く。ジャズ理論というものがあると知って、本を買って読んでみると、クラシックやロックではあまり明示的に使うことのない、オルタード・スケールという音階や、代理コードと呼ばれる和音があり、それらを使うと、自分が聴いた面妖でカッコいい響きが出てくることがわかったりもした。

 

 さまざまな神秘的で魅力的な音・響きには何らかの〝未知〟の要素が含まれていることがあって、それがわからないとその響きが再現できない。至極生真面目な書き方をすれば、趣味の音楽でも学ぶことが多いということになるが、未知の要素の解明と同時に、神秘性の持つ魅力も消えてしまう。以前は未知で手が付かなかったものが自分の〝既知〟の引き出しに収まって〝制御可能〟なものとなる代わりに、神秘的な故に魅力的だったものが一つ失われるように私には感じられる。

 

 神秘故に魅力的というのは、音楽に限らず、さまざまな絵画や建造物、時には人物にも当てはまることがある。さらには、私たちが動植物を含む「自然」の美しさを感じる時、地球や生態系の構造やダイナミクスを理解する結果として美しさを感じるわけではなく、むしろ〝わからない部分〟が魅力の源になっているようにも思う。研究者にとっては、地球や生態系の構造や成り立ちを解明することが大きな喜びで、科学という稼業の動機になっているのは間違いないし、それが、次のステップへの強力な後押しになるのも間違いないが、これらはあくまで「科学すること」の魅力であって、同時に対象にまとわりついていた得体の知れなさ故の魅力をそっと一枚剥ぎ取ってしまうのではないかと思えなくもない。
 「科学が解き明かす自然の驚異」という常套句があるが、驚異を知ることによって、人間の目に映る自然の姿は豊かになったのか、痩せてきてしまったのか、どっちなのだろうか?

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