特集/アニマルウェルフェア~気候変動対策、生物多様性保全における重要な視点~動物福祉の推進と持続可能な社会の構築
2023年04月14日グローバルネット2023年4月号
日本獣医生命科学大学 教授
植木 美希(うえき みき)
こうした中、日本でも、近年は大手を中心とした一部の企業で取り組みが進み、2022年には農林水産省の報告書でも、国内の食品関連企業が直面するESG課題として、気候変動や食品ロスなどと並んで「アニマルウェルフェア」が挙げられています。
本特集では動物福祉の概念と重要性を確認し、世界・日本における動物福祉の現状、先進事例を見ながら、日本の企業、生産者、消費者の意識向上と取り組みの加速に必要なことを考えます。
One Healthと動物福祉
世界動物保健機関(WOAH)は1924年に牛疫対策の必要性から動物衛生の向上を目的として発足した政府間機関であるが、人獣共通感染症である牛海綿状脳症(BSE)の発生以降、動物由来食品の安全性を確保し、科学に基づき動物福祉(アニマルウェルフェア)を向上させることも大きな目的として加わった。動物と人間、そして環境の健康が一つであるという“One Health(ワンヘルス)”の概念が重要になってきたことによる。
WOAHは動物福祉については、「動物の生活及び死亡時の環境と関連する動物の身体的及び心理的状態」と定義しているが、同時にホームページ上に「科学、倫理、経済、文化、社会、宗教、政治的側面を有する複雑で多面的なテーマであり、市民社会からの関心も高まっており、WOAHの優先事項の一つになっている」と記載していることは非常に興味深い。
動物福祉を突き詰めると、人と同じく動物の権利を擁護する動物倫理との区別は困難になってくるが、ひとまずは家畜の食品利用を否定するのではなく、「家畜は感受性のある生き物」(リスボン条約)であるから、飼育している間は健康で幸福な状態を保持することであろう。
EUにおける動物福祉の推進 バタリーケージの禁止
グローバル化する世界ではEUが動物福祉を主導している。その象徴は2012年の採卵鶏のバタリーケージ禁止である。すでに平飼い、放牧、有機飼料を与えた有機養鶏までケージフリーで飼育される採卵鶏が55%(2021年)を超えている。改良型ケージは認められているものの、家庭向けではなく業務用に仕向けられることが多くなった。ケージフリー化が約10年間で急速に進んだもう一つの要因は、卵の生産方法表示がある。消費者が購入するすべての卵の殻には、卵がどのように生産されたか、0から3までの数字で表している。具体的には、0:有機、1:放牧、2:平飼い、3:改良型ケージの4種類である。実は生産方法の表示は食品安全を担保するためのトレーサビリティーシステムの導入に他ならない。結果として動物福祉推進に大きな役割を果たしてきた。フランスやイタリア等のスーパーに行けば、卵売り場には卵表示の読み方に関するイラスト入りの看板が掲げられている。消費者はそれを見ると、「ケージよりは土の上で飼育する平飼い卵を購入しよう」「土日や特別な日にはさらに自由に屋外で動き回る放牧卵や有機卵を購入しよう」と購買行動に変化が起こり、結果として採卵鶏のケージフリー化が急速に進んだわけである。
農業生産性向上政策とアニマルマシーン
さかのぼれば、第二次世界大戦後、世界の農畜産業は生産性向上を目指して集約的システムを開発することにまい進してきた。耕種部門においては農薬や化学肥料の多投であり、それに耐え得る品種改良、畜産部門においては集約的飼育管理システムの導入であった。その結果、地域の伝統的在来種が消失し、生物多様性も喪失した。欧州の農業政策も基本的には生産性拡大を奨励するものであった。
イギリスのルース・ハリソンによって1964年に出版された『アニマル・マシーン』は過密に飼育される畜産動物の悲劇を克明に描写し、発売されるや否や大きな反響を巻き起こした。その対応のためイギリス政府が「ブランベル委員会」(集約的システム下の家畜の福祉に関する専門委員会)を立ち上げ、「動物に向きを変える、起き上がる、足を伸ばす自由を与えるべき」との答申が出された。これが今も動物福祉の原則とされる「5つの自由」の原型となった。
1984年にイギリスで牛海綿状脳症(BSE)が発生して以降、人獣共通感染症以外のさまざまな集約的畜産の問題も明らかになってきた。温室効果ガスの発生、家畜の疾病予防に使用される大量の抗生物質によって引き起こされる耐性菌の問題、農薬・化学肥料による飼料生産や排せつ物による土壌汚染の問題等集約的な畜産は環境破壊と地球温暖化の大きな要因の一つであり、生物多様性の減少を招いていること等である。
消費者保護としての卵の食品表示
EUはBSE等の反省からEU食品法を制定し、生産農場から消費者の食卓までをトータルで考えるフードチェーンとしての管理手法を採用することにした。現在の欧州グリーンディールの農業部門の核となるFarm to Fork(F2F)戦略につながるものである。動物福祉が健康食品安全総局のサイトにあることからも公衆衛生や食品安全面からの位置付けであると理解できる。
卵の表示もその一環であるが、卵以外の畜産食品についても具体的な生産方法を表示すれば、生産方法の違いが明確になり、消費者の理解が急速に進む。欧州の動物福祉団体の連合で精力的なロビー活動を行っている欧州動物連合(Eurogroup for Animals)もEUの卵の表示を非常に高く評価しており、同様の表示を卵以外の生産物にも求めている。民間ではフランスやイギリス、ドイツ等で卵以外にも一部のスーパーや品目で導入されている。
動物福祉ビジネス評価指標BBFAWの日本への影響
バタリーケージ禁止と時を同じく、イギリスでは2012年から動物福祉団体などによる、多国籍食品企業の動物福祉への取り組みを投資家の目線で評価するBBFAW(動物福祉ビジネス評価指標)の取り組みも始まっている。日本の企業も5社評価されているが、今のところ評価は低い。とはいえ、評価された企業では動物福祉への取り組みが積極的な姿勢へと転換している。例えば、イオンでは自社ブランドの平飼い卵が販売され調達基準もできた。明治ホールディングスは実は2006年に牛乳で国内初の有機認証を取得している。有機牛乳生産が行われている北海道津別町の町内の学校給食に使用している素晴らしい取り組みもある。日本ハムも2021年からアニマルウェルフェアポリシー、アニマルウェルフェアガイドラインを公表し、系列農場での動物福祉導入が計画されている。
これからの農畜産業と動物福祉
卵から開始されたケージフリーの潮流は、2027年に全ての家畜をケージフリーにする(End the Cage Age) 欧州市民イニシアチブの成功につながった。動物福祉の前進にとっては素晴らしいことではあるが、将来に不安を抱いている関係者も多いと想像できる。
欧州の動物福祉のホームページ上の動画には、「私たちは生産者への配慮を忘れない」とある。特に今後どのような動きになるのか、注意深く見守りたい。
EUの「共通農業政策」と日本の「みどりの食料システム戦略」
F2F戦略では、2030年までに農地の25%を有機農地に転換することや畜産等で用いられる抗菌剤の使用を50%削減すること等が盛り込まれている。日本でもこのF2Fを手本に「みどりの食料システム戦略」が策定され、「みどりの食料システム法」が制定されたが、高病原性鳥インフルエンザの拡大、高齢化や飼料高騰による畜産農家の減少等、畜産を巡る課題は山積している。2050年を待たず、また輸出も重要ではあるが、国内の消費者が畜産業を含めた農業を応援できるような国内フードシステムを早急に構築していく必要がある。
具体的には、消費者に向けては畜産物の生産表示、学校給食や公共施設内のレストラン・食堂への有機農産物や動物福祉食品調達基準の設定、生産現場では飼料自給率の向上による地域の耕畜連携、小規模生産者に実践しやすい生物多様性を取り戻す循環型の有畜複合経営、そして在来種の保護に適した動物福祉基準の策定と農畜産業政策の実践が考えられるだろう。