ホットレポート絶滅危惧種ニホンウナギと共に拓く未来へ
2023年03月15日グローバルネット2023年3月号
森里海を結ぶフォーラム代表、京都大学名誉教授
田中 克(たなか まさる)
2021年10月に長崎県諫早市において、いのち育む時代へのキックオフイベントとして第1回森里海を結ぶフォーラムが開催されました(本誌372号に紹介)。その中で、絶滅危惧種の保全と再生を自分事として取り組む全国の代理人による「絶滅危惧種円卓会議」が開かれ、そこでの議論を通じて、“絶滅危惧種と子どもたちには社会を変える力がある”との共通認識が生まれました(ACADEMIA, 187)。
森里海を結ぶフォーラム活動
「森里海」に込められたメッセージは、私たち人の究極の“ふるさと”である海への畏敬の念を取り戻し、海と陸の間のいのちの源、水循環に根差した自然と共に生きる社会への転換を目指すものです。その理念の普及とそれに基づく実践が全国各地の流域で重ねられつつあります。有明海唯一の枝湾である諫早湾の奥部には、かつてはわが国最大級の“命あふれる”泥干潟が広がり、多くの水産物を持続的に提供するばかりでなく、子どもたちの遊び場でもあり、人々の心のふるさととしてかけがえのない役割を果たしていました。しかし、その他には代替し得ない貴重な干潟を一挙に干出させて農地に変える国営諫早湾干拓事業が強行され、有明海を瀕死の海に至らしめてしまいました。干潟をなくした漁民だけでなく、劣悪な環境に入植した農民、さらには“諍いの町”としての重荷を負わされた市民、だれも幸せになれなかった諫早市では、未来志向の市民の取り組みをいかに生み出すかが大きな課題となっています。
絶滅危惧種ニホンウナギの今日的意義
地球規模で多くの野生生物が加速度的に絶滅する今日、日本人にとって最も身近な絶滅危惧種の一つは、ニホンウナギと見なされます。それは地域文化、食、環境、生物多様性、教育など私たちの暮らしに深く関わり、その絶滅化は私たちのあり様が鏡に映し出された姿そのものでもあります。宝の海と呼ばれた有明海の泥干潟には多くのニホンウナギが生息し、それらを鉤で引っ掛けて捕獲する漁業も根付いていました。諫早湾奥部やそこに流れ込む本明川にも多くのニホンウナギが生息し、諫早市内には今なおウナギ料理店がいくつも存在しています。このようにニホンウナギは身近な生き物であり、水辺の水中生態系の頂点に位置する環境指標的生き物であり、成熟すると遠くの生まれ故郷に回帰し、私たちにいのちのふるさと、海を想起させ、行動変容を促してくれる生き物と見なされます。
絶滅危惧種ニホンウナギと共に拓く未来へ
第1回森里海を結ぶフォーラムの大きな成果は、気候危機を自らの未来に直結する問題として行動する地元の高校生との出会いでした。そのことを起点に2022年3月には有明海4県(長崎県、佐賀県、福岡県、熊本県)の高校生が佐賀県鹿島市の干潟交流館に集い、お互いの取り組みを紹介し合う「環有明海高校生サミット」が開かれました(鈴木、2022)。そこには、柳川市の掘割などにニホンウナギを復活させる部活動を進める高校生(福岡県立伝習館高校自然科学部、2022)が参加し、その“柳川モデル”を諫早市の子どもたちを通じて本明川に移転できるのではないかとの思いが膨らみました。2022年12月10日に、「絶滅危惧種ニホンウナギと共に拓く未来へ」と題する、現場での子どもたちの生き物体験イべントと確かな水辺環境を再生する調査研究を市民と協働して進める基盤づくりのシンポジウムが行われました。
高校生が育てたニホンウナギ稚魚を子どもたちが放流
諫早市の真ん中を流れる本明川は、身近な川として諫早市民にとってはかけがえのないものですが、ここでも子どもたちが水に触れ、小魚を追い求める姿はほとんど見られません。このような自然の中で元気に遊ぶ“川ガキ”がすっかり“絶滅”しつつあることは、自然と共に生きる社会の再生にとっては深刻な事態といえます。今、私たちが直面する絶滅危惧種問題の本質は当該する野生生物のみの問題ではなく、それらの生き物とその生息場で楽しく遊ぶ子どもたちの消失こそ、より深刻な「絶滅危惧種問題」だと考えられます。
諫早の子どもたちを身近な水辺に呼び戻し、自然と共に生きる未来を拓くパートナーとしてニホンウナギを位置付け、環有明海の視点で、柳川の高校生が育てたウナギ稚魚を諫早の未来を担う子どもたちが足元の川に放して身近な自然への関心を高めるイベントには、多くの幼稚園児や保育園児、小学校低学年の子どもたちが集まり、さらにそれを見守る保護者の輪が広がり、本明川と人々を結び直す集いとなりました。その主役には、自らウナギの子どもを育てた伝習館高校生ならびに「やながわ有明海水族館」の高校生館長(亀井裕介、2022)が担ってくれました(写真)。
ニホンウナギと子どもたちの共演支える多世代の役割
12月10日午前の河原での子どもたちの水辺イベントに続き、午後には諫早市内の鎮西学院大学においてニホンウナギの生態・資源・増殖などに関する基本知識の共有と、科学的な調査に不可欠な環境DNAに関するウナギ生息場の探索などに関する基礎知見を学ぶシンポジウムが、以下のような内容で開かれました。
趣旨説明:田中克(森里海を結ぶフォーラム代表)
基調講演: 「森里海をつなぎ直し、平和な社会を未来世代に」 畠山重篤(NPO法人森は海の恋人理事長)
講 演1: 「ニホンウナギの生態、資源の動向と増殖の道」 望岡典隆(九州大学特任教授)
講 演2: 「ニホンウナギの居場所を探す優れもの:環境DNA」 笠井亮秀(北海道大学教授)
話 題1: 「柳川の掘割や飯江川にニホンウナギを復活させる」 福岡県立伝習館高校自然科学部
話 題2: 「生き物と遊ぶ子どもたちを水辺に呼び戻す」 亀井裕介(やながわ有明海水族館)
このイベントの成果を生かして、森里海を結ぶフォーラムでは、本明川での子どもたちの水生生物観察会、諫早湾内外に流れ込む河川での海と川を行き来する生き物の市民参加型調査、川の源流域でのクヌギの森づくり、これらを緩やかに束ね、科学的根拠をもたらす「超学際研究」などが重層的に織り成す展開が模索されつつあります。
有明海は森里海がつながる日本を表徴する海
有明海の再生は、単に九州の一つの内湾とそれに依拠した地域社会の問題にとどまらず、この国が抱えた普遍的で根源的な課題と位置付けられます。周囲を山々に囲まれ、多くの川が流れ込む汽水と干潟の海は、典型的な森里海連環の世界であり、その再生には社会運動「森は海の恋人」理念の普及と実践が求められる場と位置付けられます。その具体的な展開として「二つの絶滅危惧種、ニホンウナギと水辺で遊ぶ子どもたちの共演」を、私たち大人世代が縁の下の力持ち的に支えられるかが問われています。宮崎県の奥山で生業として焼畑農業を守り続ける椎葉勝さんの名言「行動なしには、ことは動かない」を肝に銘じて、歩を進めています。
*( 一社)全国日本学士会(2022).「絶滅危惧種円卓会議~絶滅危惧種と森里海~」『ACADEMIA』187 号
* 亀井裕介(2022).『カメスケのかわいい水辺の生き物』. 花乱社
* 鈴木弘章(2022).「有明海の干潟をつなぐ高校生の環境保全活動」『Ocean Newsletter』530 号
* 田中克(2021).「第1 回森里海を結ぶフォーラムin ISAHAYA」『グローバルネット』372 号
* 伝習館高校自然科学部(2022).「絶滅の危機に瀕する ウナギを守り、育てたい【自然と向き合うワカモノたち】.JSTS サイエンスポータル.