日本の沿岸を歩く―海幸と人と環境と第71回 陸奥湾のホタテは森・川・海の恵み ー青森県・平内町
2023年02月15日グローバルネット2023年2月号
ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)
青函連絡船が運航していたころ、陸奥湾を航行する船上で初めて食べたホタテガイのおいしさが忘れられない。長い時を経てホタテガイ養殖で知られる陸奥湾を取材することになった。前回の取材地、下北半島から南下し、陸奥湾にへそのように出っ張った夏泊半島に向かった。陸奥湾の養殖ホタテガイの半分を生産する平内町漁業協同組合がある。
●北海道を意識した養殖
平内町漁協は全生産高のうち90%を養殖ホタテガイが占める。漁協を訪れ面会した販売課長の小塚達典さんは「陸奥湾は大小の河川が無数に流れ込み、栄養豊かな海です。貝を海中につるすので豊富なプランクトンを食べて身が大きく、甘みのあるホタテガイに育ちますよ」と、陸奥湾産ホタテガイに自信を見せた。
ホタテガイの養殖方法は北海道のオホーツク海や道東などで行われている稚貝を海に投入して育てる地撒き養殖と、陸奥湾や北海道の噴火湾(内浦湾)などの垂下式養殖に大別できる。天然のものだけだったホタテガイが太平洋戦争後、稚貝を採苗する技術の確立によって生産量を飛躍的に増やすことができた。
日本全体の生産量を見ると、首位は半分を占める北海道で42万9,943t。第2位の青森県は7万5,584t(2020年度)。北海道産は半分近くを冷凍に、他を生鮮用、ボイル、干し貝柱などに加工している。一方、青森県産はボイルが9割近くを占める。
北海道では稚貝は別の漁協から購入する例が多いが、陸奥湾では湾内で自前調達する。4~7月にタマネギ袋を海中に沈め、浮遊している体長0.25㎜ほどの種苗稚貝を付着させる。それを中間育成して海中につるす。パールネットと呼ばれる四角錐のかごや丸かごに入れる「かご」、貝殻の端に穴を開けて100枚ほどを海中につるす「耳づり」の養殖法がある。
平内町漁協のホタテガイは「半成貝」が全体の8割程度を占める。成貝まで育つには通常は2~3年かかるが、1年育てて殻長6~7㎝前後になったものを引き揚げる。ボイルした身は小ぶりで「ベビーホタテ」と呼ばれる。
ホタテガイは養殖期間が長いと途中で死んでしまうリスクが増すが、養殖期間を短くしてリスクを減らし、作業量も軽減できる。収益を毎年得ることができるので安心感もある。小塚さんは漁協が30年前から半成貝に特化している理由を「生産規模の大きい北海道との競合を避けるために、現在の生産方針になりました」と説明する。
●過密養殖を戒める碑文
陸奥湾でホタテガイの種苗生産に成功したのは1964(昭和39)年。これによって安定的な生産が可能になり、現在の生産規模につながる。青森県ほたて流通振興協会のホームページには、功労者として豊島友太郎(中間育成かごの考案)、山本護太郎(ほたて養殖の研究)、工藤豊作(タマネギ袋の考案)の3氏を紹介している。
平内町漁協本所の敷地にある合併五十周年記念碑には「ほたて養殖は始まりあって終りなし」と養殖への意気込みを示し、「三思之碑」には「一、養殖漁業に思う 昭和五十年以来のほたて大量死の反省に立って密殖をやめ、健苗を作り、適正な漁場利用に努めることが先駆者に報いる道と思う」と記されていた。
陸奥湾は閉鎖性海域であり、いったん汚濁すると回復に多大な経費や時間がかかる。自然からの贈り物といえるホタテガイには、陸奥湾が健全であることが絶対条件なのだ。平内町漁協などは山、川、海のつながりを何よりも重視してきた。1996年度から10年間の水質保全活動「むつ湾アクアフレッシュ事業」、続いて青森県環境計画などで水質保全に努めてきた。川の上流の山林に植林もしている。
大量に出る貝殻は建築材料、土壌改良材、古タイヤと混ぜて作る歩道の舗装材などに再利用している。
小塚さんは説明の後、車で10分ほどの国道4号線沿いにある「ほたて広場」に案内してくれた。漁協が管理運営する施設で「青森ほたて」の販売とPRを目的にしている。観光バスや乗用車を受け入れ、貝殻を絵馬代わりに願掛けできる「青森ほたて貝祈願掛け所」もある。
屋内に入ると2階にはホタテガイ養殖の方法を説明する写真や模型などの展示がある。1階にはいけすに成貝を含めて販売用のホタテガイがずらり。刺し身、網焼き、鍋の具など何でもおいしいのだが、調理法を尋ねると「火の上で焼くのがうまいですよ」との返事。貝殻が付いたままの網焼きが定番レシピのようだ。漁協が開発したホタテガイ入りの冷凍ピラフを購入し、特別に電子レンジで解凍してもらって食べてみた。説明通りに貝の味が凝縮しておいしかった。
ほたて広場の次は夏泊半島を一周する県道、通称「夏泊ほたてライン」を西側から巡った。茂浦地区にはホタテガイの養殖研究などを担う青森県産業技術センター水産総合研究所があり、さらに進むと平内町漁協浦田支所にホタテガイ養殖発祥の地の碑があった。
筆者はホタテガイ養殖発祥の碑を北海道常呂漁協でも見たことがある。先にインタビューした小塚さんの返事は「全国には4ヵ所くらいあるようです。それぞれに努力して生産方法を確立してきたので、それでいいのでは」。発祥地の同じような事例をいくつか知っているので、すんなりと納得した。
●ハクチョウが来る干潟
浦田支所の前の漁港には多くの漁船が係留してあった。近くにいた漁業者に話しかけてみた。当然なのだが、家ではホタテガイをたくさん食べているが、スーパーで買うことはない、という。ホタテガイと酒の相性は非常にいいのだが、青森県の平均寿命が男女とも全国一短く、その原因の一つが飲酒だという。じゃあ、酒を減らせばいいのでは? と尋ねると、男性は笑顔で一言「無理…」。本場の方言はところどころ理解できなかったが、気持ちはしっかり伝わってきた。
半島巡りを続けると、「ツバキ自生北限地帯」(天然記念物)である北端の椿山を過ぎ、さらに進むと半島東側の小湊に到着。県内最大級の干潟である浅所海岸があり、ハクチョウおよびその渡来地が特別天然記念物であることを記した看板があった。
この小湊で生まれたのが津軽三味線の名人・高橋竹山(本名高橋定蔵)。方言で書かれた自伝を読むと、幼い頃の思い出、民家の戸口などで三味線を弾いたり歌ったりして金銭や米をもらう門付けなどがつづられている。冬には厳寒の過酷な自然。竹山をモデルにした『風雪ながれ旅』(歌:北島三郎、作詞:星野哲郎、作曲:船村徹)がさらに好きになる。
夕暮れが迫った美しい海岸線を走ると、湾の向こうに下北半島の影が見える。エンジンを止めて景色を眺めるバイクライダーも見かけた。夏という文字が使われる地名や人名に親しみを感じるのは筆者だけだろうか。独り占めしたくなるような旅情があった。