特集/国境を越えた自然保護~世界の平和構築を目指して外交触媒としての生物多様性保全ODA
2022年12月15日グローバルネット2022年12月号
国際協力機構(JICA)国際協力専門員
長谷川 基裕(はせがわ もとひろ)
紛争とは無縁と思われがちな日本も、隣国との領土問題を抱えています。一朝一夕の解決が難しい問題ですが、自然保護を巡るさまざまな国際協調が「予防的平和」に貢献している事例は多数存在します。今回の特集では「国境を越えた自然保護」をテーマに、環境の視点から、平和を実現するためのアイデアや事例を共有します。
中米統合機構および中米環境開発委員会の誕生
自然資源を巡る隣国間のあつれきは、利害関係に加え文化の違いや民族間感情など多様な要素が複雑に交錯することで、しばしば地域紛争に発展する。日本の1.4倍程の面積(52万km2)に7ヵ国が密集する中米地域において、この傾向は顕著である。したがって円滑で効果的な意思疎通メカニズムを維持することは、中米各国にとって域内の安定と繁栄のために不可欠な要件と考えられる。
1980年代、中米地域は「失われた10年」として知られる内戦の時代を経験した。その後各国の政治が安定・経済発展したことにより、地域連携強化の機運が高まった。その流れの中で1991年、中米各国はテグシガルパ議定書に署名し、中米統合機構(SICA)を設立した。SICAは中米地域における制度上の枠組みを形成し、域内の政治・経済・社会および文化・環境・教育などの社会経済的な統合を図ることで、地域の安定と平和を確保し、自由で民主主義的な開発を進めることを目的としている。
中米地域は熱帯林をはじめとするさまざまな生態系と豊かな生物多様性などに恵まれ、自然資源の持続的利用は地域の発展にとってさまざまな可能性を秘めている。そのため自然環境は地域の公共財として重視され、1998年、SICAは技術専門事務局として地域の環境政策を主導する中米環境開発委員会(CCAD)を発足させた。CCADの意思決定にはSICA加盟国全ての環境大臣が参加し、国際機関はじめ政府開発援助(ODA)やNGOなどがさまざまな支援を行っている。
メソアメリカ生物回廊
メキシコ南部からパナマに至る生態系の連続性を強化し、自然環境がもたらす便益(生態系サービス)を確保・維持するため、1997年、SICAは中米の多国間環境政策としてメソアメリカ生物回廊(MBC)を立ち上げた。
大型哺乳類や渡り鳥など国境を越えて移動する野生動物にとって、生息地の消失や分断による環境の劣化には、個体数の減少はもとより、種の絶滅につながる危険性がある。また、花粉媒介種の喪失など生物種構成の変化は、土地の劣化のみでなく農業生産性の低下を招き、ひいては貧困問題や低栄養、感染症などの社会問題にもつながりかねない。国境を越えて広がる生態系を保全するには、関係各国による整合性のある土地利用や保護区管理政策が必要で、MBCのような地域の政策が重要な役割を果たす。ただしその実施は容易ではなく、多国間環境ガバナンスの醸成というMBCの課題は、今なお残されている。
地域の環境ガバナンス強化を目指す生物多様性プロジェクト
日本政府とSICA加盟国は、1995年より日本・中米「対話と協力」フォーラムを継続的に開催し、民主主義や平和、持続的開発、環境などに関する課題について政策協議を続けてきた。この流れを受け2018年6月、国際協力機構(JICA)とSICA-CCADは案件実施覚書に署名し、「SICA地域における生物多様性の統合的管理・保全に関する能力強化プロジェクト(2019-2024)」を政府開発援助(ODA)の環境案件として立ち上げた(以下、「SICA-JICA案件」と表記)。
SICA-JICA案件は、SICA加盟8ヵ国全てを対象として(ベリーズ、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマ、ドミニカ共和国)、環境大臣評議会および海洋・生物多様性技術委員会を通してプロジェクト活動の実施管理・モニタリングを行うという、各国環境行政のトップを巻き込む包括的な運営体制を敷いている。本プロジェクトには、CCADを主なカウンターパートとして、SICA加盟8ヵ国の環境大臣ならびに技術委員と直接議論する仕組みが整っていることから、村落レベルでの越境連携ガバナンスに関する知見を、地域レベルの政策協議や提言に反映させることが可能である。この一連の活動は、国家間の環境ガバナンスの醸成につながり、ひいては地域の安定と平和構築にも貢献すると考えられる。
SICA-JICA案件は、MBCという地域の多国間環境政策の実施を基本概念として、以下の3本柱によって構成されている。
1.情報プラットフォーム:CCADに8ヵ国の生物多様性基本情報ならびに、パイロット活動から得られる知識・教訓を共有・発信できる情報プラットフォーム機能を整備、強化する。
2.パイロット活動:国境を越える連携を働き掛け強化することを目的として村落群を選定し(各国1村落)、村落間で情報共有しつつ各種パイロット活動を実証的に行う。
3.研修活動:パイロット活動の円滑な実施のため、必要となる知識と技術の習得を目的とする研修を行う。
パイロット村落で行う活動は、下記4ヵ所の越境生態系ごとに、各生態系に適した生計活動(アグロフォレストリー、養蜂、有機農業など)はじめ生態系の回復(植林など)、普及・啓蒙活動などを支援している。
①セルバ・マヤ生態系(ベリーズ、グアテマラ):国境問題を抱える両国だが、それぞれのパイロット村はマヤ文化圏に属している。村落間が150㎞程離れているため、NGOなどを介した交流・連携が現実的かつ持続的と予測される。長期的には、ユネスコのマヤ生物圏保存地域(BR)を越境BRとして拡張できると、国境問題の緊張緩和にもつながると考えられる。
②フォンセカ湾生態系(ホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグア):活動対象の3村落は分散しているが、全てマングローブ生態系に依存していることから、情報プラットフォームの活用が効果的と予測される。ホンジュラスとエルサルバドル間には漁業権問題があり、漁船の拿捕が発生している。将来的にはユネスコ越境BRのゾーニングなどを導入し、3ヵ国を包括する国際的枠組みの下で自然資源の協働管理ができれば、国家間の緊張緩和につながるのではないか。
③ラ・アミスタ生態系(コスタリカ、パナマ):ラ・アミスタ越境BRの緩衝帯に位置し、国境道路を隔てて向き合う2村落が対象。住民は日常的に国境を往来しているため、既存BR委員会の下で両村共有の村落規則などが整理できれば、越境する環境ガバナンスの強化と持続性の確保につながる可能性が高い。
④モンテ・クリスティ生態系(ドミニカ共和国):1国単独の事例だが、保護区に隣接する村落を対象としていることから、村落および公園局/自治体など、複数セクター間にて連携ガバナンスのパイロット活動を試行している。
まとめ
生物多様性の損失などの地球環境問題に対応するには、国境を越える連帯感の醸成が必須である。国境を隔てた村落間の友好関係は、越境生態系における協働作業を支える基盤であり、環境ODAによる支援は、自然資源の持続的利用のみならず地域の安定化と平和にも貢献すると考えられる。