特集/脱炭素社会に向けた公共交通政策とは~利用促進と持続可能なまちづくりの両立を目指して~持続可能な社会に向けたモビリティ政策~SUMPを進める欧州に学ぶこと
2022年11月15日グローバルネット2022年11月号
関西大学経済学部 教授
宇都宮 浄人 (うつのみや きよひと)
一方日本では、長年の人口減少、少子高齢化に加え、自然災害で被災した鉄道の運休・廃止や新型コロナウイルスの流行による乗客数の減少など、鉄道・バス事業者の経営環境は近年厳しさを増しています。JR各社は今年度に入り、経営が厳しい地方路線の輸送密度や収支状況を公表。持続可能な地域公共交通を模索する必要性が顕在化しています。
本特集では、国内の特に地方都市で、すべての人のモビリティを確保し、脱炭素や地域活性化に貢献するような公共交通とはどのようなものか、そしてそのような公共交通をどのような制度で支えていくべきか、欧州や国内の先進事例を参考に考えます。
値上げの日本、値下げの欧州
人口減少、自家用車の普及に、コロナ禍が加わり、日本の公共交通が苦境に立たされている。バス路線の減便や廃止が進み、地方鉄道の在り方についても、国土交通省は地域と事業者の協議を促すことを決めた。さらに、折からの燃料費等の高騰もあって、鉄道事業者の値上げ申請が相次いでいる。
これに対し、欧米の動きは全く異なる。コロナ禍に伴う公共交通の利用者減少は同じだが、取られた措置は値下げである。ドイツでは、6月から3ヵ月間、9ユーロ(約1,200円)で1ヵ月間ドイツ国内乗り放題(特急列車以外の全ての公共交通に適用)というチケットを発売した。スペインでは年末まで、新幹線を除く鉄道をかなりの範囲で無料とした。一方、オーストリアの場合、年間乗り放題券「気候チケット」を1,095ユーロ(約14万円)、つまり1日当たり3ユーロで昨秋発売した。こちらは期間限定ではなく、特急列車も含めた公共交通でオーストリア全土をカバーする。
地域公共交通は公共サービス
なぜ、欧州と日本でこのような違いが生じるのだろうか。
根本的な違いは公共交通の運営体制である。日本の場合、公共交通は運賃の収入で全ての費用を賄う独立採算が原則である。これに対し、今日の欧米先進国では、地域公共交通はビジネスではなく、地域にとって必要な「公共サービス(public service)」と位置付けられ、公的な資金を前提に運営がなされる。ただし、行政が全てを管理すると非効率な運営にもなるため、欧州各国は、鉄道について、1991年のEU指令の頃から「上下分離」を導入した。インフラ部分とそのための費用は公的に支える一方、運行サービス部分は民間事業者に委ねるものである。
なお、運行サービスの提供においても、そのための運行費用を運賃収入で賄えるケースは少ない。たとえ利益の上がらない路線であっても、行政は住民の移動手段として一定のサービスを提供する。収支を合わせることが目的ではなく、利便性の高いサービスと誰もが利用できる運賃体系を優先する。そのため、大都市圏でも運行経費に対する運賃カバー率は5割前後で、不足分は公的資金が充てられる。
具体的な運営にあたっては、欧州の場合、行政が交通事業者に対して公共サービスの提供義務(PSO:Public Service Obligation)を課すという形で、事業者と契約(PSO契約)を結ぶ。一方、事業者は義務を負う代わりに、契約の段階で一定の公的な資金の提供を受ける。契約の際には入札等のプロセスが必要であり、契約期間中、サービス品質確保のためのモニタリングも行われる。
以上のような運営体制の違いを踏まえると、利用者が減少すれば、運賃値上げ等で採算を合わせなければならない日本に対し、欧州が全く異なるアプローチを取れることがわかる。欧州でも、事業者側が一定の需要リスクを負う契約方法はあるが、コロナ禍のような事態において、事業者が自らの責任で対応することはない。公共交通のサービス水準は、行政による地域づくり、まちづくりが基準となって決まる。今日、その基本的なコンセプトは、脱炭素を目指した持続可能な社会の構築である。
公共交通はまちづくりのツール
日本でも、「脱炭素」「持続可能性」はこれからの社会を築くキーワードであることに変わりはない。ただし、欧州と日本では本気度が違う。交通政策という点でいえば、欧州は、1990年代以降、リオサミット、京都議定書という流れの中で地球環境問題を見据えつつ、高齢者のみならず、自家用車が使えないあらゆる人のモビリティ(移動の可能性)を確保する社会を目指してきた。そこで、鉄道の上下分離といった公民の新たな役割分担を確立しつつ、自家用車からの転換を目指して、公共交通の改善と投資を行ってきた。
欧州を訪れると、地方都市圏におけるLRT(Light Rail Transit、次世代型路面電車)の普及と街のにぎわいには驚かされる。日本では、LRTは自動車走行の邪魔という考え方が根強く、導入事例はわずかである。これに対し、かつて路面電車を廃止したフランスやイギリスの場合、1990年前後から、自動車の車線を規制し、LRTの新たな建設を各地で進めた。
そこには、持続可能なまちづくりのツールとして交通計画を立て、これを実行に移すという枠組みがあった。例えば、フランス諸都市は「都市圏交通計画」を策定し、LRTの導入やシェアサイクルの設置等を実現した。イギリスも「地域交通計画」という同様の制度を導入して、公共交通の整備を進めてきた。
SUMPとは
そうした欧州各国の交通計画の経験を生かしつつ、欧州全域の指針として、欧州委員会が2013年に結実させたものとして、「持続可能な都市モビリティ計画(Sustainable Urban Mobility Plan)」、通称SUMP(サンプ)がある。SUMPは、「人」のモビリティに焦点を当て、行政単位よりは広域の都市圏域において、公共交通のネットワークや運賃体系をハード、ソフト両面で最適化し、さらに、各種シェアサービスから歩道の整備まで、あらゆる人の「アクセシビリティと生活の質(QOL)を向上させること」を目標としている。
目標を設定し、逆算する形で計画を立てるバックキャスティングアプローチは、温室効果ガス削減目標の設定や持続可能な開発目標(SDGs)に向けた施策で知られるようになったが、SUMPにおいても、その考え方は徹底している。環境負荷のかからない形でモビリティを高め、持続可能な社会を築くという目標があるならば、今、欧州が行っている運賃引き下げやLRTへの投資が、目標到達に向けた施策として出てきた解だということが理解できる。
統合的政策
とはいえ、何らかの施策を講じる際に費用対効果を検証することは欠かせない。その意味で、SUMPが強調している点は費用の削減ではなく、効果を最大限発揮させるための関連施策の整合性である。日本の場合、脱炭素や公共交通と中心市街地の再生をうたいつつ、駐車場の拡大や郊外の道路整備を進めるという相反する政策が盛り込まれた計画が少なくない。これに対し、SUMPは「統合」という言葉を用いて全体の最適解を求めようとしている。
ちなみに、ドイツは9ユーロチケットの発売にあたり、25億ユーロ(約3,500億円)を投じ、さらに、9ユーロチケットに続く施策として、交通大臣は年間15億ユーロ(約2,100億円)を用意するという。確かに金額は大きいが、日本がガソリン価格の抑制に2兆円を超える額を投じていることを考えれば、決して大きな額ではない。日本は、わずかな公的支援しかない公共交通が次々と値上げに踏み切る中、自動車依存をさらに高める政策を取っているともいえる。SUMPの「統合的政策」からは程遠い。
日本も新たなモビリティ政策を
環境制約の下、持続可能な社会を築いていくにあたり、モビリティの役割は大きい。SUMPは、欧州委員会の指針だが、違う世界のものと忌避してはいけない。今の日本は、環境制約や高齢化社会等の問題に対応できないまま、地方圏を中心に、自動車への過度な依存と公共交通、都市・地域の衰退が加速している。
日本の大都市圏であれば、公共交通をビジネスとして運営しても、今後も質の高いモビリティを提供することは可能であろう。しかし、それ以外の地域の公共交通は、公共サービスとして、その位置付けを見直す必要があるのではないか。欧州のSUMP、そしてPSO契約による運営方法は一つの参考となる。日本も持続可能な脱炭素社会に向けて、新たなモビリティ政策を推進しなければいけない。
・宇都宮浄人『地域公共交通の統合的政策』東洋経済新報社、2020年
・宇都宮浄人・柴山多佳児監訳『持続可能な都市モビリティ計画の策定と実施のためのガイドライン第2版』薫風社、2022年