フォーラム随想人新世~待ち望んだ時代の到来?
2022年08月15日グローバルネット2022年8月号
長崎大学大学院 熱帯医学・グローバルヘルス研究科教授
学長特別補佐(プラネタリー・ヘルス担当)
渡辺 知保
「人新世」という言葉を見たり聞いたりしたことがある方は多いだろう。Anthropoceneという英語の訳語で、使う人によって「ひとしんせい」とか「じんしんせい」とか読まれている。新海誠監督の映画『天気の子』(2019年)にも、机の上に並ぶ本のタイトルとして一瞬だけ登場する(「アントロポセン」という表記だったかも)。環境の研究者の間では比較的ポピュラーだし、このタイトルを冠した書籍がベストセラーになったりしているが、講義などで学生に聞いてみると意外に浸透度は高くない。
「人新世」は、「ジュラ紀」とか「カンブリア紀」のような地質時代の名称で、オゾンホールの研究でノーベル化学賞を受賞したクルッツェン(Paul Crutzen)らが今世紀初めに提案した造語である。現在、私たちは、約1万2000年前に始まった完新世(holocene)の安定した環境に生きているが、地球全体の環境を変えるほどに人類の活動が肥大してきた結果として、気候変動や生物多様性の減少など(オゾンホールもその一つ)が起こり、すでに別の地質時代に入りつつあるのではないかというのがその提案の背景となっている。〝海は広いな大きいな〟というのが私たちの素朴な印象であり続ける一方で、その広大な海洋を汚染するプラスチックに関わる国際条約を2024年までに取りまとめようという合意が今年3月の国連環境総会でなされた。頻発する巨大台風、未曾有の豪雨と洪水など、大自然の前には人間は微力と実感したところで、その原因となる温室効果ガスを排出しているのも人間活動である。こうした状況は、人類がパワフルな存在であること、パワフルでありながら、その結果を十分にコントロールできるほどには賢くないということを示している。
考えてみれば、自然の〝猛威に屈せず、それを克服する〟ことは、人類の(人によっては、西洋世界の、と言うかも知れないが)長年の目標だった。自分たちの都合のいいように環境を変えて生き延びる能力は、ヒトという生物の特徴でもある。その意味では、人新世はたどり着くべくしてたどり着いた時代、長年待ち望んだ時代である。皮肉なことに、その結果として、いろいろ困った問題が起こってきたのは人間の業ともいえるのかも知れない。作詞者の意図とは関係がないのだろうが、スガシカオの20年以上前の曲『黄金の月』の歌詞〝知らない間にぼくらは 真夏の午後を通り過ぎ 闇を背負ってしまった その薄明かりのなかで 手探りだけで なにもかもうまくやろうとしてきた〟は、今の私たちの姿と重なって見える。
変化した地球環境が暴走するのを防げるのは人間だけなので、十分なコントロールは難しいとしても、私たち自身のためにも、他の地球の住人のためにも、四半世紀くらいの短い時間で落とし前をつけなければならない。そのためにIPCCやIPBESをはじめとする国際的な取り組みによる努力が続けられているのだが、時代が「人新世」に突入するなら、そのドライバーである人間(=生物のヒトに文化を加えた存在)をもっとよく調べてみることで、解決への意外な近道が見つかるのではないかとも思う。
「人新世」が公式の名称となるには、国際学術機関の審査にパスしなければならないが、地質時代の名称なので地質学的な証拠が求められる。一昨年、「チバニアン」が新たな地質時代として承認された際には、千葉県市原市の地層に含まれる岩石の残留磁化の解析が、年代測定とともに重要な役割を果たした。「人新世」については、人類による放射性物質の大量放出がこの時代の開始を特徴づけるという考えに基づき、これに対応する地質学的証拠を別府湾の堆積物から見つけたという記者発表が7月にあった。「人新世」が公式の地質時代に〝昇格〟するのも遠くはないのかも知れない。