特集 脱炭素社会への公正な移行~海外の事例と日本での可能性~公正な移行~気候危機解決の重要な視点
2022年07月15日グローバルネット2022年7月号
気候ネットワーク 東京事務所長
桃井 貴子(ももい たかこ)
そこで本特集では、諸外国で先行する取り組みを紹介するとともに、1950年代から60年代にかけて日本が経験した石炭から石油へのエネルギー転換を振り返り、「公正な移行」とは何か、また現代の日本でそれを実現するには何が必要かを考えます。
人為的な温室効果ガスの排出により気候変動が加速する中、社会システム全体を脱炭素化するためのトランジション(移行)が求められています。化石燃料に依存した社会経済の中で、火力発電所やエネルギー多消費産業など関連の企業に従事してきた人びとや地域社会では、社会の急激な変化に伴って職を失ったり、地域社会が衰退してしまうといったことのないよう、持続可能なグリーン産業へと雇用もシフトする必要があります。
「Just Transition(公正な移行)」は、誰一人取り残さない社会が目指される中で、人びとの暮らしも持続的な形で移行していくことを目指すものです。ここでは、「公正な移行」について海外での事例を基に、日本における気候変動対策と公正な移行について考えていきたいと思います。
世界で進む「公正な移行」
「公正な移行」という概念は、2009年の気候変動枠組条約第15回締約国会議(COP15)で、国際労働組合総連合(ITUC)によって初めて提唱されたといわれています。
2015年に採択された「パリ協定」では、その前文に「自国が定める開発の優先順位に基づく労働力の公正な移行並びに適切な労働(ディーセント・ワーク)及び質の高い雇用の創出が必要不可欠であることを考慮し」として、「公正な移行」が言及されています。
また、国連の機関である国際労働機関(ILO)は、「環境面から見て持続可能な経済とすべての人のための社会に向かう公正な移行を達成するためのガイドライン」を策定し、化石燃料からの移行に伴う社会的・経済的な機会と課題に対処するためのセクター別政策と制度的取り決めの枠組みを概説する、公正な移行のための包括的ビジョンを示しています。
その原則として、①ステークホルダーとの適切な協議②職場での権利の強化と促進③ジェンダー平等④経済、環境、教育、労働および社会政策による適切な移行の推進⑤雇用創出を促進するための、関連するすべての政策への公正な移行枠組みの適用⑥各国や各地域に固有の状況に合わせた公正な移行政策の調整⑦持続可能な開発戦略の実施における各国間の国際協力の推進、の7つを挙げています。
「公正な移行」という考え方は、気候危機を回避するために化石燃料から脱却し、エネルギーシフトを実現する中で、労働者が働きがいのある人間らしい仕事に就き、新たな雇用を生み出すことを目指すものであり、労働組合の提唱からスタートしているという点も非常に興味深い点です。
各国で進む「公正な移行」
「公正な移行」のプログラムは先進国を中心に、ILOのガイドラインにも基づきながら実施され、さまざまな成功事例が見られます。
欧州委員会は、EU加盟国の各国および地域規模での公正な移行の取り組みを支援するために、「公正な移行メカニズム」を開始しました。これは、最も炭素集約的な地域と、化石燃料関連の雇用が集中する地域に焦点を当て、175億ユーロ(約2兆3,000億円)の助成金を提供する公正な移行基金の設立や、欧州投資銀行(EIB)による2021年から2027年までに約1,500億ユーロの投資の誘導などを目指すものです。また、「公正な移行プラットフォーム」を設置し、資金調達の機会や技術的サポートなどを行っています。
EU加盟国はこうした仕組みを活用し、地域の脱炭素化と公正な移行プロジェクトを進めています。
例えば、ドイツ、ポーランド、スロバキアなどにおける産炭地域では、公正な移行計画が策定され、石炭からの脱却と再生可能エネルギーのシフトに向けた合意を導き出しています。
また、EUだけに限りません。オーストラリアでは、電力会社が、非効率石炭火力発電所の閉鎖を発表し、その後地域で公正な移行プログラムと対策が実施され、成功したという事例があります。地元の市民団体の主導で、提言や地方政府との協議など、発電所閉鎖後の労働者支援のための多くのプログラムが実施されました。例えば、労働者のための教育・訓練プログラム、個別支援のためのウェブサイトおよび電話サービス、地元企業のための移行支援、地域の経済と生活の質を高めるためのコミュニティプロジェクトへの資金提供などです。こうした手厚い支援制度によって、労働者は新たに質の高い仕事を見つけ、新しい雇用が創出され、石炭コミュニティが石炭から脱却し、再活性化しています。
またカナダでは、電源構成の55%が石炭だったアルバータ州が、2030年までの石炭火力のフェーズアウトを目標として打ち出し、公正な移行のプログラムを策定、基金を創設し、実施しています。これにより2030年までの脱石炭という目標は大きく前倒しとなり、2023年までには達成する見通しです。
このように、まずは石炭火力のフェーズアウトを決めるなど、化石燃料からの脱却を決断することに始まり、幅広い公的支援、市民社会、政府、企業などさまざまなステークホルダーの協力、再エネ事業などの情報提供や教育・訓練といった体制の中で、社会全体で公正な移行を実現していることがわかります。
日本の気候変動対策と移行
では日本はどうでしょうか。
政府は昨年、温室効果ガスの削減目標として2030年に46~50%削減、2050年に実質ゼロとの目標を掲げました。カーボンニュートラルの実現には、経済構造を抜本的に変革する必要があり、化石燃料関連産業およびエネルギー集約型産業の労働者や企業は影響を受けることとなります。しかし、「公正な移行」のプロジェクトが実施されている地域は確認できません。
現在、国内では、石炭火力発電だけみても、少なくとも166基の発電所が稼働していますが、2030年までの廃止計画はわずか2ヵ所にすぎません。1.5℃目標に整合するには、2030年までに石炭火力を全廃する必要がありますが、政府は廃止の方針を打ち出すどころか、容量市場の創設で石炭火力を維持するための事実上の補助金制度や、省エネ法で老朽火力も燃料の混焼でクリアできる基準を作っており、石炭火力が延命されている状況です。また将来は「水素・アンモニア・CCS」に「移行」するとしており、そもそも化石燃料依存システムから転換する決断ができていないという問題があります。
「2030年までの石炭火力のフェーズアウト」といった政策目標を掲げ、公正な移行のプロジェクトを進めていく必要があります。
炭鉱閉鎖時の経験を生かして
日本では、かつて1950年代後半から60年代前半にかけて、石炭から石油へとエネルギー転換を経験しています。この時の相次ぐ炭鉱閉鎖では、20万人以上の雇用が失われたといわれます。これに対して、政府による職業訓練や他業種での雇用創出による離職者対応や直接給付が実施されています。さらには、政府、企業、労働者が連携して、労働者が新しい仕事に適応するためのフォローアップ支援や相談業務など、「公正な移行」のプロジェクトに見られるような対応が行われてきたこともわかります。こうした経験も参考に、今後の「公正な移行」の議論を深めるべきでしょう。
今年6月に行われたG7サミットでは、「石炭火力発電の段階的廃止」や「2035年までの電力部門の完全または大部分の脱炭素化」と合意文書に盛り込まれました。このことは、第六次エネルギー基本計画で示された2030年の電源構成で石炭を19%とする内容には全く整合しません。再エネシフトへの抜本的な政策の見直しを図り、さまざまなステークホルダーの参画の元に「公正な移行」のプロジェクトを進める体制を同時に構築するべきです。
速やかな移行を促すためには、当然ながら電力部門に限らず、あらゆる化石燃料関連産業で実施していくことが求められます。