フォーラム随想自転車は「人間拡張」ツール

2022年05月17日グローバルネット2022年5月号

長崎大学大学院熱帯医学・グローバルヘルス研究科教授
学長特別補佐(プラネタリー・ヘルス担当)
渡辺 知保(わたなべ ちほ)

※ 今月号より大塚柳太郎氏に代わり、渡辺知保氏が「フォーラム随想」の執筆者に加わりました。

 茨城県・つくばの国立環境研究所に勤めていたときから通勤に自転車を使うようになった。さすが環境のことを考えていますねと言われたが、実際は単に運動不足解消が目的で、地球ではなく自分の身体に気を付けていただけだ。
 つくばの中心部は歩道がだだっ広く、車社会を反映して歩行者も少ないので、自転車の通勤路としては申し分ない。ただし、ブロックごとに歩道の入り口にポールが立っていて、衝突してけがをしたという話もちらほらと聞いた。何であんな危ないものが立っているのかと聞いたところ、歩道の幅が広すぎるので車が間違えて入ってくるのを防ぐためとのこと。朝夕の通勤時間に、渋滞でノロノロ運転する車列を横目にスイスイと走り抜けるのが気分いいと言う、ちょっと意地悪い自転車通勤の〝同志〟の話には笑ってしまった。
 5km余りの通勤距離にすぎないが、キモになるのが天候だ。つくばの単身赴任宅にはテレビがなかったので、毎朝ウェブで複数の天気予報サイトをチェックし、自転車で行くかどうか、雨具がいるかどうかを決めていた。出発直前に見る予報(というより〝実況〟に近いのかもしれないが)はおおむね当たっていたが、たまには途中で降り出すこともあり、おかげで1mmとか0.5mmとかの雨の程度が実感としてわかるようになった(0.5mmというのは公式な予報では使われないらしい)。
 窓からは比較的交通量の多い通りが見え、車のワイパーの〝稼働率〟もいい判断材料になった。夏場には、最近の異常気象の一端なのか、熱帯のスコールのような突然の豪雨に出くわしたこともあり、広い歩道橋の下で自転車を降りて雨をしのいでいたら、研究所のこれまた自転車通勤の〝同志〟が話し掛けてきて、小やみになるまで30分ほど話し込んだりしたこともある。

 

 雨の話ばかりになってしまったが、同じ道のりを車で移動するのと自転車で移動するのとでは、当然のことながら目にするものは変わるし、台風の翌日には巨大な枝が歩道をふさいでいたり、秋には落葉が吹きだまって路面が見えないような一帯ができていたり、冬の寒い朝に水たまりが凍っていて滑ったりと、いろいろな季節の〝想定外〟に出くわした。加えて道の傾斜にも敏感になり、家の前を流れる5m程度の幅しかない川に架かる橋に向けて道路が結構長い距離にわたってわずかに下り、全容としては大きな谷を作っているのに気付いたりもした。
 実はすでに半世紀以上前になる中学生の頃からサイクリングには友人たちとちょくちょく出掛け、大学時代には「自転車部」にも所属していた。もっとも、部の中では軟派の「旅行班」(硬派は「競技班」)に所属し、トレーニングはサボって長距離のツーリング合宿に参加していただけだったが、50kmとか、100kmとかいう物理的な距離感、100mとか400mという標高差が身体感覚として身についた。

 

 自転車のように、自分のエネルギーで操る道具は、その道具を介してさまざまな形で「環境」を伝えてくれる。それは生身の身体が感じ取る環境とはまた違うものなので、「人間拡張」のツールと呼ぶにふさわしいだろう。いま地球環境と健康とに同時に優しい(コベネフィット)として「能動的移動手段」が注目されているが、自転車の持つ、この「人間拡張」ツールという側面にももっと注目が集まっていいように思う。また、それがバーチャル・リアリティーなどのハイテクでもたらされる「人間拡張」とどう違うのか、同じなのかも興味深い問題に思える。
 つくばの研究所に公式な自転車サークルはなかったが、同好会めいた集まりはあった。私は呑み会だけに参加して自転車談義を楽しませてもらっていたが、退職の際に〝cycling club〟のロゴ入り水筒とイタリア製のすてきな空気入れを頂いた。これらは飾らずにせっせと使わせてもらっている。

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