INSIDE CHINA 現地滞在レポート~内側から見た中国最新環境事情第69回 中国の環境政策の回顧(2) ~胡錦涛国家主席時代の10年
2022年01月14日グローバルネット2021年12月号
地球環境戦略研究機関(IGES)北京事務所長
小柳 秀明(こやなぎ ひであき)
今月号では21世紀初頭約10年間の中国の環境政策の進展について振り返ってみる。20世紀は「先に汚染、後から対策」の時代で、経済発展を優先して環境対策は後回し、あるいは経済発展のスピードに環境対策が追いつかない状況であった。高度経済成長下で資源を浪費し環境汚染は止まらない中で、江沢民から中国共産党総書記と国家主席の座を受け継いだ胡錦涛は、中国の持続可能な発展に向けて環境保護と経済成長の両立の道を探る。
胡錦涛国家主席の就任
2002年10月に開かれた中国共産党第16回全国代表大会後に党総書記に就任し、また、翌年3月に国家主席にも就任した胡錦涛は、同時期に国務院総理(首相)に就任した温家宝と二人三脚で10年間中国を主導することになる。温家宝首相は、首相就任前は副首相として環境問題を担当していたこともあって、この問題には比較的熱心であった。
この第16回全国代表大会では、2020年を目標年とする重大な目標が決定された。「2020年までに2000年に比して4倍の経済成長を実現し、全国で小康社会(筆者注:少しだがゆとりのある社会)を実現する」という目標であった。当時(2000年)の中国の国民一人当たりの名目GDPは951ドルで(日本は39,173ドル)、世界水準からみればまだまだ低い途上国の水準にあった。
循環経済促進法の制定
この目標を実現する上で最大のネックとなる問題として認識されていたのは資源消費および環境汚染の問題であった。当時既に中国は世界の国々の中で最も資源を消費していた。胡錦涛が国家主席就任時の2003年のデータでは、中国のGDPは世界のわずか4%しか占めていない一方で、鉄鋼の消費は世界の27%、セメントは40%、原炭31%など世界最大の資源消費国になっていた。一方、環境の状況は、20世紀の「先に汚染、後から対策」の結果、水も大気も既に環境の許容量を超える汚染状態にあると認識されていた。当時研究者等の間で環境容量について盛んに研究・議論されていたと記憶している。
このような中で登場したのが循環経済促進法と省エネ・汚染物質排出総量削減目標の制定である。循環経済促進法は、日本の循環型社会形成への取り組み等を参考にしながら検討された。2002年頃から貴州省貴陽市や遼寧省などで、まず地方レベルでの循環経済への取り組みが試行錯誤で実施され、その後全国各地へと拡大していき、2005年には全国人民代表大会で循環経済法案の起草作業に着手した。また、同年7月には国務院から「循環経済の発展加速に関する若干の意見」が提出され、新たなタイプの工業化の道に向けた歩みを堅持し、資源の節約、環境の保護に有利に働く生産方式と消費方式を形成し、経済構造の調整推進を堅持し、技術進歩の加速、監督・管理の強化、資源利用効率の向上、廃棄物の発生および排出の削減を図るという基本原則が示された。循環経済法案は3年の検討期間を経て2008年8月循環経済促進法として成立し、2009年1月から施行された。
省エネ・汚染物質排出総量削減の実行
胡錦涛・温家宝体制前に制定された第10次5ヵ年計画(2001~2005年)の下で、国家環境保護総局(当時)が国家環境保護第10次5ヵ年計画を制定し、主要汚染物質の排出量を10%削減するなどの目標を立てたが、十分に達成できたとは言い難い結果であった。その理由の一つとしては、この5ヵ年計画が国務院の名前で制定した計画ではないこと、すなわち、計画の重みが軽かったことが挙げられる。環境保護部門が有する限られた権限の中でしか施策を実行できなかった。
2006年3月に制定された第11次5ヵ年計画(2006~2010年)は、胡錦涛・温家宝体制下で初めて制定した5ヵ年計画であるが、この計画では、国が総力を挙げて取り組む重大な決意を示した。経済成長率、経済構造、人口・資源・環境、公共サービス・人民生活の4分野で22の具体的な数値目標を示し、かつ、そのうち8つを拘束性の目標(他の14は予測性の目標)として示した。拘束性の目標とは強制的かつ固定的な目標で、国のマクロコントロールの意図を示しており、達成が義務付けられた目標である。人口・資源・環境の分野では8つの目標のうち6つを拘束性目標にした。このうち、とくに注目すべきものは、①単位GDP当たりのエネルギー消費率の20%程度低下と②主要汚染物質(二酸化硫黄と化学的酸素要求量の2つを指定)排出総量10%削減の2つである。
また、第11次5ヵ年計画制定直後の2006年4月に開かれた第6回全国環境保護大会(連載第48回、2018年6月号参照)では、温家宝首相が「歴史的転換」(「3つの転換」と呼ばれる場合もある)という環境を経済と同等に重視する新しい指導方針を打ち出した。
この大会で温家宝首相は次のことを明確にした。「環境保護責任制を実施し、地方政府は環境の質に対してすべての責任を負う。環境保護目標の達成状況を幹部の成績評価の項目に加える。半年ごとに1回、各地域と主要な産業のエネルギー消費の状況、汚染物質排出状況を公表する。環境保護業務に対する問責制度を設立する。」
以上のような方針を受けて、これまでのような環境保護部門のみが主体ではなく、国務院が主体となって環境保護に動き始めた。国務院は国家環境保護第11次5ヵ年計画を発布し、また、全国主要汚染物質排出総量抑制計画等を策定して各地方政府や電力会社等に削減割り当てを課したほか、さまざまな強権的な行政措置を講じた。これらの結果、2010年末には2つの拘束性目標のうち、①単位GDP当たりのエネルギー消費率の20%程度低下の目標は19.1%低下と「基本達成」し、②主要汚染物質排出総量10%削減の目標は二酸化硫黄が14.3%削減、化学的酸素要求量は12.5%削減され、目標を上回って達成した。さらに2011年に決定した第12次5ヵ年計画(2011~2015年)では、①の目標を16%、②の目標を8%としたほか、新たに主要汚染物質として窒素酸化物およびアンモニア性窒素を追加し、これらについて10%の削減目標を掲げた。
気候変動対応の本格化
この時代に、もう一つ取り上げておかなければならない重要な動きは、気候変動問題への対応の本格化である。中国は1992年11月に国連気候変動枠組条約を批准し、さらに2002年8月には京都議定書を批准するなど国際条約への参加には比較的素早い動きを見せてきたが、気候変動問題への国内対応に関しては必ずしも積極的でなかった。国際社会においては守りの姿勢に徹していたといってもよい。しかし、これまでにない積極的な環境問題への取り組み姿勢を見せた第11次5ヵ年計画の中で、省エネ目標等を示すなど間接的にではあるが二酸化炭素排出抑制への取り組み姿勢を示した。そして、2007年6月には中国気候変動対応国家計画を作成して発表した。この計画は中国初の気候変動に対応するための総合的な政策文書であり、途上国の中で初めて発表した気候変動に対応するための国家計画であった。
2007年10月に開かれた中国共産党第17回全国代表大会では、胡錦涛総書記は政治活動報告の中で「気候変動への対応能力を増強し、世界の気候変動の改善に新しい貢献を行う」と述べ、初めて中国の積極的な対応を表明した。そして、2008年10月には初めての気候変動白書(「中国の気候変動政策と行動」)を内外に向けて発表し、以降毎年気候変動枠組条約締約国会議開催直前に発表するようになった。
2009年9月の国連気候変動サミットに出席した胡錦涛国家主席は「2020年までに単位GDP当たりの二酸化炭素排出量を2005年に比して顕著に減少させるよう努力する」ことを表明し、2011年3月、第12次5ヵ年計画で、拘束性の目標に「単位GDP当たりの二酸化炭素排出量を17%低減する」という目標を新たに加えた。
国際舞台では「共通だが差異のある責任」を主張しつつも、国内では少しずつ対応を強めていった。