日本の沿岸を歩く~海幸と人と環境と第56回 毛ガニもホタテガイもオホーツク海の恵み―北海道・枝幸
2021年11月15日グローバルネット2021年11月号
ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)
前回取材地の網走からオホーツク海沿いを日本最北端の宗谷岬へ向け走る。岬まで約300㎞の国道238号線は北へ続く。車中泊をし、夜明け前から走り始めたが、曇天で灰色の景色がうらめしい。十数年前の快晴の日に同じルートを走った記憶を呼び戻して『熱き心に』(歌:小林旭)や『オホーツクの海』(歌:松山千春)が描く景観を想像してみた。途中のオムサロ原生花園に咲くハマナスの香りが旅情を補ってくれた。
●厳しい資源保護が奏功
牧草地が広がる長い海岸線を走り、午前8時前、宗谷岬まで90kmまで来て枝幸町の中心街に入る。枝幸町は面積1,115km2、人口7,725人(9月末)。海岸線が58kmもあり8割が森林という自然豊かな町だ。
交差点に掲げられた牛とカニの絵入り看板が「ようこそカニの街 枝幸町へ」と歓迎してくれた。枝幸町は毛ガニのかご漁日本一として知られて、毎年7月の「枝幸かにまつり」(今年はオンライン開催)には数万人の観光客が訪れるという。
枝幸漁業協同組合へ到着すると、総務課長の樋口良紀さんに会った。毛ガニ漁は北海道のオホーツク海、太平洋側、岩手県を中心に一年中どこかで水揚げされている。枝幸は3~5月が漁期で、訪問した6月はシーズンが終わっていた。
毛ガニ漁の詳細を書く前に、北海道でもよく見られた「カニ族」に触れておきたい。1960年代後半から70年代末にかけて、横長の登山用リュックを背負って改札や列車の中を横歩きする旅行者は、その姿からカニ族と呼ばれた(学生時代の筆者もそのうちの「一匹」)。今でいうバックパッカー。バイクで旅行する「ミツバチ族」とともに現在では絶滅危惧種の名称だそうだ。
さて、枝幸町の毛ガニ漁は「毛ガニかご漁」で、かごの中に餌を入れて、水深50~120mに沈めて翌日引き揚げる。餌のスルメイカは不漁で価格が高騰、現在はタラ科のカンカイ(標準和名コマイ)を使っているという。
厳しい資源保護で毛ガニ資源が回復した現在は、甲長8㎝以上のオスだけを捕り、脱皮したばかりの若いカニは海に戻す。前年の資源調査をして次の年の許容量を決めている。毛ガニの好漁場で適正な漁をするために、漁船の位置を正確に把握する船舶自動識別装置(AIS)の装備や詳細な漁業日誌をつけている。
漁獲は年によって変動があるが、許容量は今シーズン280tで前年の120tから大きく増えたが、魚価は高止まりだったので、漁業者は安堵している。
枝幸漁協は毛ガニのほかにサケ、ホタテガイ、ナマコなど豊かな資源の恩恵を受けている。川に遡上する前のサケで脂ののった銀毛の水揚げや「枝幸産北海キンコ」(天然干しナマコ)も知られている。今年4月には枝幸前浜でも約70年ぶりにニシンの群来が見られた。産卵後にオスの精子で海が白く濁る現象で、今後ニシンの漁獲が増えることが期待できるのだが、樋口さんは「現在は毛ガニ漁、ホタテガイ漁、サケふ化事業などで安定しているので、以前のようなニシン漁には戻らないのでは」とみている。
こうした現在の漁業経営に至るまでには、長い試練があった。かつて数百隻の漁船があったニシン漁が衰退し、捕り放題だった毛ガニは乱獲がたたって資源が枯渇し、1955(昭和30)年には禁漁になった。そうした厳しい時代にサケのふ化事業やホタテガイ漁などに着手し、それが現在につながっている。
オホーツク海の豊かな資源の秘密には流氷によって植物プランクトンが増えることが指摘されてきたが、最近、流氷に含まれる粒子状の鉄分の放出によって植物プランクトンが増殖することを北海道大学の西岡純准教授が突き止めた。流氷が溶けると植物プランクトンが爆発的に増殖し、それを餌にする動物プランクトンや魚が集まってくる。流氷は、厄介者ではなくオホーツク海の豊かな生態系を育む主役かもしれない。
●干し貝柱加工場を見学
漁協を訪問した時はホタテガイの漁獲シーズンだった。畑のように漁場を四つに区分けして1年ごとに漁場を変えて稚貝を放流、3年後に4年貝を漁獲する「4輪採」。17隻の漁船で八尺という漁具を使って海底を引いてホタテガイを捕獲する。近くの常呂漁協や猿払漁協には量で及ばないが、貝柱は大きく「グリコーゲンたっぷりで甘味があり、『しつこい』という声もあるほどうま味があるんです」と樋口さんは胸を張る。その理由について漁協のホームページは海底が細かい砂、砂泥質なので「貝殻を硬くする必要がなく、その分栄養が貝柱に蓄えられる」と解説している。
近くにある漁協経営の干し貝柱加工場に案内してもらった。水揚げしたホタテガイはボイルして貝殻から身を取り出して選別。これを40日間かけて乾燥させる。試食させてもらうと、口に入れた貝柱からジュワっとうま味が広がる。
保管しているホタテガイの貝柱は次第に色が濃くなり、硬くなると11月から12月にかけて出荷し、北海道ぎょれんを通じて中国、香港などに輸出している。昔、香港のマーケットで高価な北海道産の干し貝柱を発見して驚いたことがある。
その後に水揚げ作業を見た。午前10時に漁船4隻が着岸してクレーンで網袋を引き揚げ、待ち構えるトラックへ手際よく積み込んだ。
●道内最初の公立図書館
漁協の取材を終えて、北海道最初の公立図書館、枝幸町立図書館にも行ってみた。町史などによると1896(明治29)年、日食観測のためにデビッド・トッド博士ら7人の米国観測隊は枝幸村(当時)に半年滞在した。曇天で観測できなかったが、村人の手厚いもてなしに感謝したいと申し出た博士に、村人たちは辺ぴな村での青年子女の修養のために、博士が読み古した本をもらいたいと答えたという。博士は計911冊の本を送り届け、1903(明治36)年、保管のための図書館が建てられた。その後図書館と本は焼失したが、78(昭和53)年に現在の図書館が建設された。
図書館の前にある碑を見ながら、「現在の町の状況とはずいぶん違うのですが、漁師の生活は厳しく苦しい時期が長くありました」という樋口さんの言葉を思い出した。厳寒の漁村で質素に暮らす人びとのピュアな心情は、漁協が現在取り組んでいる植林活動や東京の生協との交流などにつながっているのかもしれない。
枝幸町を出る前に鮮魚店で毛ガニ1匹と生ホタテガイ、ニシンの加工品を買った。生ホタテガイは温めたパックごはんに載せ、しょうゆとワサビを加えて「安い、早い、うまい」の生ホタテ丼に。車を止め、オホーツク海を眺めながら食べると至福の時間が流れた。
さらに宗谷岬へ向かう途中で猿払村の豪華な住宅、立派な村役場の写真を撮った。猿払村は乱獲などで衰退した漁業を立て直すために漁協を中心にホタテガイの大規模増殖事業を実施、今では全国屈指の平均年収を誇っている。持続可能な漁業が実現できる証しのようで、一次産業が自然と上手に折り合いをつけることの大切さを納得した。