21世紀の新環境政策論~人間と地球のための持続可能な経済とは第50回 いまだに続く「経済成長の呪縛」を考える

2021年11月15日グローバルネット2021年11月号

千葉大学教授
倉阪 秀史(くらさか ひでふみ)

「成長なくして分配なし」の呪縛

衆院選の過程で「成長なくして分配なし」か「分配なくして成長なし」かという議論が行われました。どちらも経済成長を信仰する主流派経済学がかけた呪縛にとらわれた議論です。

主流派経済学の関心の範囲は主に「市場」にあります(図1)。この「市場」は現実の市場ではありません。仮想的なものです。「市場」には、生産者と消費者が、与えられた価格に対する供給計画と需要計画をそれぞれ提示します。そして、需給が一致するところで市場均衡価格が決定されます。実際の生産と消費は市場均衡価格が決められた後に行われます。ただし、主流派経済学は、実際の生産・消費にはあまり関心を持っていません。

主流派経済学の最大のテーゼが、「市場均衡価格で取引が行われれば、社会的福祉が最大化する」ということです。生産者、消費者がそれぞれの利己的な動機(利潤最大化、効用最大化)で分権的に市場に参加しても社会的な福祉が最大化するため、専制的な統治者が市場をコンロトールすべきではないということを示したのです。この結論は、絶対王政や封建制、あるいは計画経済に対するアンチテーゼとして、受け入れられました。

主流派経済学の枠組みで特徴的な点が2点あります。第一に、経済活動の成果を市場価格で評価するという点です。生産物は市場で買われる段階で評価されることとなります。第二に、社会的福祉が最大化された状態では、無駄な資源は存在しないという点です。

市場均衡価格の下で社会的福祉が最大化された状態は、パレート最適と呼ばれます。これは、すべての資源が無駄なく効果的に活用されており、ある人の福祉状態を悪化させないと他の人の福祉状態を良くすることができない状態を指します。もしも経済がこのような状態だとするならば、経済全体のパイを増やすことなく、分配を増やすことはできないでしょう。

ストックの活用というフロンティアの存在

しかし、現実の経済はそうではありません。さまざまな無駄が残っています。とくに、いったん市場を経た後のさまざまな生産物が十分に活用されていません。また、再生可能エネルギーをはじめとして活用されていない自然の恵みが残されています。森林資源も活用されずにその蓄積量が増えていっています。

このような議論には「それは経済的に価値がないから使われないだけだ」という反論があるでしょう。これこそ、市場で買われる段階で評価するという経済学的思考にとらわれた考え方です。

人間の営みは、事業として利益が出るかどうかという基準で評価されるべきではありません。人間の健康で文化的な生活を支えることに貢献できるかどうかという基準で評価されるべきです。例えば、農作物で考えると、規格外の、市場で売れないものであっても、地域の食生活を支えることができるものが存在します。

従来の企業活動だけでは有効に活用できない水準のものを、政策によって有効活用できるようにすることもできます。2020年に発電電力量の約20%が再生可能エネルギーによって賄われるようになりました。これは、2021年から実施された固定価格買取制度によるものです。森林資源についても、2024年度から、全国的に導入される森林環境税の税収が林業に使われることによって、活用されるようになっていくことが期待されています。

有効に活用されていない人工物は、シェアリングサービスやフリマアプリの進展を通じて活用されるようになってきました。これは、情報技術の進展による取引コストや監視コストの低下によって、使用権ビジネスが進展したことによります。

このように、実は、眠っているストックを活用するという方向で膨大なフロンティアが存在します。このフロンティアを活用できれば、フローの生産を増やすことなく、より豊かに暮らすことができるようになります。

「分配なくして成長なし」なのか

「分配なくして成長なし」というスローガンも経済成長の呪縛にとらわれています。2008年をピークとして日本の人口は減少過程に突入しました。高齢化も進行しており、生産年齢人口は総人口の減少以上に減少していきます。情報技術や自動化などを活用して、一人当たりの生産性を上げたとしても限界があります。

1960年代の高度成長は、各家庭に耐久消費財が行き渡る過程で一時的に起こった歴史的なイベントです。三種の神器といわれた白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機、3Cといわれたカラーテレビ、クーラー、自動車などが各家庭で求められ、その生産が国内において行われたために経済の高度成長が実現しました。

人口も増加せず、耐久消費財の欠乏もみられない状況でそもそも成長は難しいことを直視すべきです。過去の成功体験にすがって、オリンピックや万博というイベントをやっても、到底成長につながりません。

経済成長は、対前年度で経済的付加価値を増加させることを意味します。市場で取引される部分で評価される事業活動の成果を増加させるということです。人口減少社会においては、市場経済の規模の拡大を求める従来の経済政策の目標自体を見直していくべきです。「分配なくして成長なし」というスローガンは、成長が目標となっている段階で古いのです。

では、新しい方向性はどのようなものでしょうか。それが、生活を支えるストックの豊かさを増やしていくという方向性です。高齢化しても健やかに過ごしている人口を増やしていくこと、適切に維持管理され活用されている人工物や農地・林地などを一人当たりで増やしていくことが求められています。

持続可能な経済を考える経済理論

私は、2021年7月に『持続可能性の経済理論』という本を東洋経済新報社から出版しました。その本においては、フローからストックに経済運営の目標を移行させるための思考フレームワークを与える新しい経済理論を提唱しています。

その関心の範囲は、従来の経済理論の関心の範囲の外側にあります(図2)。そこでは、社会経済活動を支える2種類のストック、資本基盤と通過資源を定義し、資本基盤が経済の持続可能性の源泉であるとしています。資本基盤には、人的資本基盤、人工資本基盤、自然資本基盤、社会関係資本基盤の4種類があります。エネルギーや原材料といった通過資源を使用すると必ず環境負荷が発生し、これが各種資本基盤の持続可能性を脅かす恐れを認識します。

そして、資本基盤の持続可能性を確保するために必要な人間の営みとして「ケア(手入れ)労働」に着目します。介護、医療、保育、教育、人工物・農地・林地などの維持管理といった「ケア労働」は、政策的に確保していく必要があるという議論です。ご一読いただければ幸いです。

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