食卓からみる世界-変わる環境と暮らし第24回 中国雲南省に暮らすタイ族の米の蒸留酒
2021年06月15日グローバルネット2021年6月号
国立民族学博物館 外来研究員
晩象牙文化伝播有限公司
伊藤 悟(いとう さとる)
中国雲南省に暮らすタイ族(タイは人偏に泰)の農家では、今もうるち米やもち米を原料にして濁り酒や蒸留酒を自家醸造している。タイ族にとって客人のもてなしは、ともに食卓を囲むことであり、男性客には必ず酒が振る舞われる。酒はその出来具合から主人や妻、嫁の技量を推測する目安になり、冠婚葬祭では霊的存在と交流するための供物になり、料理や藍染め、民間医薬などにも利用されてきた。今回は、近年昔ながらの牛ふんで密封した酒を名産として売り出している徳宏州梁河県ムンヤーン鎮のタイ族の酒文化を紹介する。
●中国の白酒
中国では、タバコと酒(そしてお茶)は、「煙酒不分家」というように、その場に集った皆の共有物として嗜まれるものであり、差し出されたら遠慮することは無礼とされてきた。共食における最初の一杯の酒は「乾杯」と声を上げ、必ず一気に飲み干すのであった。
中国の酒といえばアルコール度数の高い蒸留酒、白酒(パイチュウ)がある。原料や製法により独特な芳香と味を持ち、香気により7分類される。代表的な白酒に、コーリャンから造る貴州省の茅台酒や、5種類の穀物を原料とする四川省の五糧液がある。国内には1,500社にも上る白酒企業があるらしく、その中でも貴州茅台酒公司は総売り上げの14%を占め、世界の時価総額上位20社に数えられるほどの大企業である。
●タイ族の生活環境
タイ族の自家醸造の白酒は、米の酒ラオカオという。観光業の発展とタイ族レストランの全国進出によって広く知られるようになった。観光地として西双版納(シーサンパンナ)州は有名であるが、全国にあるタイ族レストランといえば徳宏州の料理と酒を提供する店がほとんどである。
徳宏州はミャンマーに国境を接する雲南省の西にあり、タイ族の人びとは盆地に暮らしてうるち米の水田耕作を営む。上座仏教を信仰し、各村に寺院もあるが僧侶はおらず、在家者によって自律的に実践されている。また、土着のピーという精霊信仰もあり、冠婚葬祭はピーの祭祀と密接である。上座仏教ではお茶と水が、精霊祭祀ではお茶と酒が捧げられ、「人は具を、ピーは匂いを食べる」というほど料理でも供物でも風味に非常にこだわりを持ち、食べられないモノにも匂いという命が宿るとする世界観を持つ。
私が最初にムンヤーン鎮を訪れた1998年当時、人びとはまだ水牛と人力で田畑を耕しており、各家庭では牛のほか、豚や鶏、アヒル等を飼育していた。牛ふんは稲わらと混ぜて両掌大にして壁に貼り付けて乾燥させ、家畜の餌を煮込むときの燃料としても利用していた。残飯は、農家だけでなく地方都市でも、今も変わらず豚の餌に加工されている。2000年以降は農村でのバイオマスの利活用が推奨され、多くの家庭に人畜ふん尿を利用するバイオガスシステム(農村沼気工程)が普及した。日常生活ではメタンガスのコンロやランプが使用された。しかし、私の印象では2010年頃には、農家の経済収入の増加、小型トラクターの使用、大型トラクターの共有、家畜飼育の減少、そして廉価な電気コンロやIHヒーターの普及により、水牛は農家から姿を消し、メタンガスコンロも廃れてしまった。電気の需要が年々増加し、川の多い雲南省ではダム建設が各地で進められ、ムンヤーン鎮のそばを流れる川にもダムが建設された。
●酒文化の移り変わり
酒を飲むのはもっぱら男たちだが、酒造りは女性の仕事である。母から娘、姑から嫁へと代々酒造りの知識と技は受け継がれてきた。家によって工程や計量に違いがあるから、酒の味はまさに千差万別である。酒の味はその家の品格を代表するものの一つとまでいわれる。女性は普段酒を飲むことはないが、蒸留開始の最初の数滴からその日の味の良し悪しを判断し、火加減や蒸留時間を調整する。男性とは違う感覚を培っていたのだった。
暮らし向きや環境が変わっても、今も酒は自家醸造のものが好まれている。酒造りは、昔ながらの製法を受け継いでいる。台所の大きな竈に薪をくべて米を蒸し炊き、もろみを造り、それを蒸留する。100㎏の精米から50㎏の酒が造られる。もろみ造りの要となるこうじは山草ともち米を原料にした餅こうじを使っていたが、1990年代よりあの世界遺産として名高い麗江で製造される市販の乾燥こうじを用いている。
農村では各家庭で毎年大量の酒を醸造し貯蔵する。友人・親戚付き合い、農作業の相互扶助も多く、家で食事を振る舞う機会は日常茶飯事である。子供の結婚や、老人の寿命を見越して多めに酒を造るなど、醸造は計画的に行われる。少し前まで酒造りの場に男性が立ち入ることは禁止され、家の門が閉められることも多かった。酒造りの前には祖霊と竈の神に祈りを捧げた。もろみの発酵過程や酒の蒸留中は包丁やなたを置いて悪霊除けをした。
ごくまれに、一生に一度造れるかどうかという酒が偶然蒸留されることがある。その幸運に恵まれたら、最後まで言葉を発さず、誰にも知られずに造り終えなければならない。普通の酒は濁りのない無色透明だが、ラオホンサーあるいは神酒と呼ばれる特別な酒は清澄な黄金色をしている。蒸留の火加減やもろみの発酵具合などにより偶然にも変色した酒が造られるらしい。私は幸いにもこれまでに二度、友人たちにごちそうしてもらった。普通の酒は、日本酒のように米の香りが強く、口当たりは甘く、舌根に辛さを残して喉に流れ、体の芯が熱くなる。ラオホンサーはウイスキーに似ていて、甘辛い芳香が強く、口当たりは水を飲むごとくさっぱりしていて、後から舌体に柔らかい甘さを生み、喉を刺激しながら流れていく。美味だった。
タイ族社会はいまだに男性上位だが、近年は政府による農村女性の地位向上運動が支持されている。女性の慰労会が定期的に開かれ、酒を飲む女性も見かける。だが、度数の高い酒を好む女性はやはり少ない。最近では男性も酒造りに加わるようになっているようだ。娘や嫁が都市へ出稼ぎに出てしまい、酒造りを手伝う者がいないという理由もあるが、商品として酒を販売するために男性の労働力が必要なのである。
●忘れられようとしている在来の伝統知
農作業の機械化や経済発展は農家の人びとを新たな換金作物の生産に駆り立て、忙しい家では準備に手間のかかるものは極力買うようになっている。酒をはじめ、味噌、納豆、豆腐、米麺、調味料、漬物、ハーブや野菜などこれまで自給自足してきたさまざまなものが現金で売買されるようになった。また、酒を利用する藍染めや医薬などの在来の伝統知は忘れられようとしている。各家庭の酒造りもその味も、やがては専業化と大量生産によって統一されていくのかもしれない。