フォーラム随想メコン川の魚類
2021年05月17日グローバルネット2021年5月号
自然環境研究センター理事長(元 国立環境研究所理事長)
大塚 柳太郎(おおつか りゅうたろう)
メコン川は、全長約4200 km、流域面積約81万km2に及ぶ国際河川である。中国のチベット高原に源を発し雲南省を南下し、ミャンマー・ラオス国境、ラオス・タイ国境、カンボジアを経て、ベトナムで南シナ海に注ぎ込む。
メコン川は1200種もの魚類が生息し、南米のアマゾン川に次いで魚類の多様性に富むことで知られている。さらに重要なのは、約120種の魚が住民の重要なタンパク源になっていることであろう。とくに下流域の国々では、国連食糧農業機関によると、淡水魚の一人当たり年間摂取量が約14kgと世界平均の5倍を超えている。
私は魚類学の門外漢であるが、メコン川の魚類を対象とする、特徴が異なる二つのプロジェクトに関わる機会に恵まれた。
一つは、科学技術振興機構の「メコン川生態系長期モニタリング」プロジェクトが2004~07年に行われ、その中心メンバーが所属する国立環境研究所に、私が2005年に赴任したことによる。
もう一つは、途上国の自然環境保全を支援する公益財団法人のN財団が、メコン流域の国々の研究者や住民の要望を受け、魚類を捕獲し標本にして保存し、各国の言語による図鑑をつくる共同研究プロジェクトを2004年から始めており、そのN財団に私が2009年から関わるようになったからである。
2005年11月、私はメコン川の河口に近いベトナムのロンスエンで開かれたモニタリング・プロジェクトの会合に初めて参加した。50名を超える参加者は、中国を含む流域の国々および日本とカナダの研究者と環境ジャーナリストであった。
主な議題は、メコン川の流水量・水質や魚類の生息数のモニタリング計画の立案と、そのために各国で情報・データを共有するネットワークの構築だった。4日間にわたり議論が続いたが、裏返せば問題が山積していた。
メコン川への農薬の流入や河川養殖による水質劣化とともに、大きな関心は水力発電用ダムの建造による流水量や魚類の生存への影響であった。ダムは中国ではすでに稼働し、下流域の国々にも多くの建造計画があった。
一方のN財団のプロジェクトは草の根的で、日本の2名の魚類学の専門家が、メコン下流域を四つのゾーンに分け、それぞれでラオス、タイ、カンボジア、ベトナムの共同研究者に魚の捕獲・保存技術を伝授しながら進められた。
2009年に私が訪れた際には、カンボジアの首都プノンペンからラオスのパクセーまで川沿いに陸路を約500km北上し、研究者たちが魚を捕獲し、宿に持ち帰り夜遅くまで標本づくりと写真の接写をするのを見ることができた。
現在のメコン川では、ダムが中国だけでなくラオスやカンボジアにも造られ、下流域の水量を減少させ魚類の生存を脅かしている可能性が指摘されている。
国立環境研究所の研究者たちは、プロジェクト後も研究を続け、例えば、捕獲した魚類の耳石(※魚類を含む脊椎動物の内耳にある炭酸カルシウムの結晶からなる組織で、成長に伴い多くの微量元素も蓄積される)に含まれる多種の元素濃度を測定し、メコン川各地の水質との比較から回遊ルートを推測し、ダムが魚類の生存に影響している可能性を明らかにした。これらの研究成果が、カンボジア政府による今後10年間はダム建設を行わないとの2020年3月の政策決定に影響したように思われる。
N財団のプロジェクトでは、流域全体で568種の魚類が捕獲され、それぞれの国で液浸標本にされ活用されている。魚類図鑑は、ラオス語版が138種、クメール(カンボジア)語版が411種、ベトナム語版が322種の魚類を掲載して刊行されており、本年(2021年)4月には568種を網羅した545ページに及ぶ英語版が刊行された。
メコン川の魚類は厳しい状況に置かれているが、これらのプロジェクトの成果が、環境劣化を少しでも緩和させ魚類の保全に役立つことを期待している。