過去から未来へー命をつなぐタネと農最終回 持続可能な種子の未来を考える~みどりの食料システム戦略をめぐる議論から

2021年04月15日グローバルネット2021年4月号

農家ジャーナリスト、AMネット代表理事
京都大学農学研究科 博士後期課程
松平 尚也(まつだいら なおや)

 

みどりの食料システム戦略とは何か

持続可能な未来の種子を考える上で重要な政策方針「みどりの食料システム戦略(以下、みどり戦略)」が農林水産省より発表された( 「みどりの食料システム戦略 中間取りまとめ(本体)」農林水産省、2021 年3 月)。

みどり戦略は、2050年の「脱炭素社会」に向け、中長期的な観点から、生産から消費までの各段階の取り組みと環境負荷軽減のための技術革新の推進が目指されている。

みどり戦略で注目すべきは、2050年までに「有機農業の面積割合を25%(100万ha)に拡大」「化学農薬の使用量(リスク換算)を半減」「輸入原料や化石燃料を原料とした化学肥料の使用量を3割減」といった戦後農政の基本路線であった農業の近代化・産業化を根本から問い直す画期的な内容となっている点だ(図1)。戦略の策定経過においては、関連団体から異論の声も出ることが予想された中で世界の持続可能な農業・食料の潮流に対応した取り組みが発表された意義は大きい。何よりこれまで在野で粘り強く展開されてきた有機農業関係者の取り組みが結実した側面も見逃せない。

図1  みどり戦略における有機農業取り組みの内容
出典:「 みどりの食料システム戦略 中間取りまとめ(参考資料)」農林水産省、42 ページ

戦略策定の背景

みどり戦略策定の背景には、日本の農業・食料が直面する持続可能性の課題があるとされる。そこでは国内農業者の減少や農村社会の減退といった課題はもちろん、日本の年平均気温がこの100年当たり1.26℃の割合と世界の2倍近いスピードで温暖化が進み豪雨や高温といった自然災害が生産現場の重大なリスクとなっていることが指摘されている。

また持続可能な開発目標(SDGs)や環境に対する関心が国内外で高まり重要な行動規範となり、欧州連合(EU)が2020年5月に「ファームtoフォーク(農場から食卓へ)戦略」として化学肥料・農薬の削減を打ち出し、米国のバイデン政権も農業での温室効果ガス排出量を実質ゼロ宣言表明といった国際社会の動きに日本が的確に対応していく必要性が語られている。

みどり戦略では、ポストコロナも見据え、地域資源の活用・地域社会の活性化を通じて、災害や温暖化に強い持続的な食料システムの構築が急務とし、高温多湿なアジアモンスーン気候に適した取り組みを国際社会へと反映することを目指している。しかしその具体的方策である食料・農林水産業の生産力向上と持続性の両立をスマート農業などの技術革新で実現させるという中身については懸念の声が上がっている現状もある。ここでは種子に関する議論に注目してその課題を考えてみる。

みどり戦略の課題と種子の関係

みどり戦略では、課題解決に向けた取り組みの現状が紹介されている。そこでは気候変動に適応する持続的な農業の実現に向け、高温に強い品種や生産技術の開発が目指されている。この点は民間ではできない種子の開発であり、公的機関の必須の取り組みといえる。しかし続いて紹介されるスマート育種システムやゲノム編集については、有機農家として疑問を感じざるを得ない。スマート育種システムは、農作物のゲノム情報や生育などの育種に関するビッグデータを整備し、これをAIや新たな育種技術と組み合わせて活用することで、従来よりも効率的かつ迅速に育種をすることが可能となるシステムとされる(図2)。

図2  スマート育種システムの構築
出典:「 みどりの食料システム戦略 中間取りまとめ(参考資料)」農林水産省、10 ページ

有機農家らは繰り返し公的機関に有機農業向けの種子の開発を要望してきた。しかしその種子の開発はなおざりにされてきた経緯がある(背景には大手種苗メーカーが開発に消極姿勢だったことが影響したと聞く)。現場ではそれならば民間で取り組もうということで種子交換会や自家採種を繰り返し、種子システムの基盤を形成してきた。しかし今回のスマート育種システムは、こうした基盤を無視して偏った技術革新により育種を進めるという課題ある方向性となっていると感じる。

さらなる課題は、みどり戦略において有機農業関係団体などから懸念の声が上がっているゲノム編集技術の導入が目指されている点である。ゲノム編集とは、生物が持つゲノムの特定の塩基配列(DNA配列)を「狙って変化させる」技術で、農林水産省は海外に対して強みを持つ国産ゲノム編集技術やゲノム編集作物の開発も進展し、気候変動に対応する品種などを効率よく提供することが可能になる、と積極的な導入を検討している。一方でこの技術は予期せぬ遺伝子損傷などの課題があり世界的に懸念が高まっており、有機農家としてはいのちと暮らしそして持続可能な農業という観点から議論なき導入は大問題と考えている。

みどり戦略への関連団体からの提言

みどり戦略の方向性に対しては、各団体からさまざまな提言が出されている。有機農業研究をけん引してきた日本有機農業学会は、中間取りまとめに対して学会提言を発表し、7項目の提言を行った(「『 みどりの食料システム戦略』に言及されている有機農業拡大の数値目標実現に対する提言書」 日本有機農業学会、2021 年3 月19 日提出)。そこでは欧米並みの高い数値目標を掲げて有機農業の推進に取り組むことは喜ばしいが、目標を実現するにはさまざまな問題があることが指摘されている。

提言のうち本稿と関連する項目としては、「技術革新(イノベーション)の方向性」があった。その項目では、生態系の機能を向上させる技術開発が手薄だと指摘され、また従来の有機農業の技術の大部分は民間(すなわち、全国の数多くの有機農家)が開発してきた技術という事実が確認されている。提言では、この事実に基づき、有機農業25%の目標を達成するためには、国が主導する「トップダウン型」のイノベーションだけではなく、全国の有機農家同士の技術交流、農家と大学・試験研究機関の共同研究、民間技術の普及などを通した「ボトムアップ型」の技術革新の促進が不可欠であると主張される。

種子と関連して重要と感じるのは、品種改良・育種という項で「有機農業の品種育成で重視すべきなのが、養分利用効率、病害防止のための根圏能力、雑草との競争力、機械除草に対する耐性、病害虫に対する耐性などの形質である」と指摘している点だ。

また提言ではみどり戦略の目標達成のためのイノベーションの中核が「農地の生態系機能を向上、安定した作物生産と生態系の保全との両立」に資する技術とされる。こうした方向性こそが有機農業現場そして持続可能な種子の未来にとって軸になる必要性を感じる。

農水省は、中間取りまとめ後にパブリックコメントを募集し、2021年5月にみどり戦略を決定し9月の国連食料システムサミットで発信する予定と聞く。みどり戦略は長期的な戦略である。その政策過程においては、有機農家ら現場を担う関係者を積極的に関与させ、種子と持続可能な農業の豊穣な未来を構築していくことが求められるといえるのである。

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