食卓からみる世界-変わる環境と暮らし第22回 パラオのタロイモと魚をめぐる「共食文化」
2021年02月15日グローバルネット2021年2月号
明治学院大学 国際学部 専任講師
紺屋あかり(こんや あかり)
ミクロネシア最西端に位置するパラオ諸島は、フィリピン・ミンダナオ島とパプアニューギニア島からそれぞれ東北におよそ800kmの距離にあり、大小200ほどの島々からなっている。パラオの島々は、遠浅の美しく穏やかな海に囲まれており、パラオ海域には、絶滅危惧種のデュゴンや約130種のサメなどが生息している。2015年には、パラオ海域でのサメの商業的漁業禁止法案が策定されるなど、世界に先駆けた海洋生物多様性の保護・保全活動への取り組みがみられる。
パラオ全島のうち、現在人びとが暮らしているのは7島で、市街地があるコロール島には、人口のおよそ7割が暮らしている。ミクロネシアの中ではグアムに次いで2番目に大きな面積を持つバベルダオブ島は、山、川、滝を有しており、ワニや固有種の鳥が生息するなど、海、陸(島)ともに豊かな自然環境を有している。
●タロイモを育てる
タロイモは、パラオの主食として今日まで親しまれてきた。日本のサトイモと同じ種で、粘り気のある独特の食感がその特徴。蒸したタロイモを、魚のスープなどと一緒に食すのがパラオの定番の家庭料理である。
パラオの村落社会では、親族ごとに土地が分配される。そのため、人びとは自らの出自に準じて祖先から受け継いだタロイモ畑を耕す。また、村落には共有畑があり、村落メンバーが一緒にタロイモを栽培することもある。
タロイモの栽培は女の仕事とされており、若年から年配者に至るまでの幅広い層が日常的に携わっている。女たちは週末になると、居住する市街地から車で1時間ほどの距離にある出生村落に帰省し、畑仕事をする。そして畑仕事を終えるとまた市街地へと戻っていく。パラオの社会的文脈においては、自分が生まれ育った土地で栽培したタロイモを食べることは、重要な生活の営みの一つである。タロイモを食べることを通して、土地と人とのつながりが強固なものになると考えられている。
●魚を贈与する
タロイモ栽培が女の仕事なのに対して、男たちは漁労を担う(潮の引いた浅瀬での、ナマコやマングローブ貝拾いは女の仕事である)。満月の日の夕方になると、仕事を終えた男たちは村落メンバーの何人かでグループを作って集まり、ボートで海に出る。村落ごとに伝統的に定められた漁場があり、その漁場内で魚を捕獲する。もりやスピルガンを使用する素潜り漁が一般的だが、場合によっては釣りざおを使用することもあり、捕獲する魚の種類に応じてその手法を変える。夜、月明かりを頼りに島内を散歩していると、釣りざおを持って海に出掛けていく親子に出くわすことがある。少年たちは、日々の生活の中で父親から漁労を教わりながら育つ。そして少年が大人になり、子を持つと、彼らはまた次の世代に伝統的知識を継承していく。
男たちは、クーラーボックスにいっぱいの色とりどりの魚を手に漁労から戻ると、すぐさまどこかへと消えていく。仲間と分配した魚を親族の家に届けに行っているのである。パラオの母系社会に生きる男たちは、母方親族や妻の親戚などに対して、魚を贈与する責任を持つ。そのため、男たちは一緒に暮らす妻や子のお腹を満たすためだけでなく、親族内における社会的責任を果たすために漁労に出掛けるのである。こうした日々の魚の贈与を通して、彼らは親族・地域コミュニティとのつながりを維持している。
●空腹はかわいそうなこと
パラオの人はしばしば、空腹は不幸なことだと言う。そのため、家に誰かが訪ねて来たり、道で誰かと会うと、その都度食べ物を振る舞ったり分け与えたりする。
友人たちと連日夕食を共にするということも珍しくなく、仕事終わりに食材を持ち寄っては、誰かの家に集まって、お腹一杯になるまでひたすら食べ続ける。
パラオの食卓は、贈与が贈与を生むといった連鎖反応の結晶のようなもので、人とのつながりがそのまま具現化されている。まるで互いの胃袋を満たし合うように、あらゆる場面で食べ物が贈与・交換される。誰かに分けてもらった食材を、他の誰かと食べたり、隣の親戚にお裾分けしたりすることは、日常的に見られる光景である。誰かにお裾分けを配ったら、後日、そのお返しにとまた何か別の食べ物をもらう。こうした、終わりのない「共食」のチェーンがパラオのローカル社会には存在している。
タロイモや魚の「共食文化」が根付いたパラオ社会において、空腹が象徴することは、人とのつながりの希薄さなのである。天然資源が少なく、地理的にも隔離された島嶼社会を生きる上で、コミュニティの互助関係は欠かせない。パラオでは、家族はクモの巣を張るように拡張可能なもので、親族は大きければ大きい方が良いと考えられている。タロイモや魚をコミュニティ内で分けるといった、今日にも維持される「共食文化」は、島を生き抜く英知と呼べる。
こうした「共食」の営みが、島の豊かな自然環境によって支えられていることは言うまでもない。庭や畑でのイモや果物の栽培を通した持続的な土地利用、そして自分たちが消費する分だけを定められた漁場内で捕る伝統的漁労を通じて、人びとは、伝統的生業を営みながら島と海の自然環境を維持してきた。ローカル社会のコミュニティを基盤とした、この共に食べるという営みは、人と自然環境との共生をめぐる、パラオ的な環境保全の一つの方法なのである。
●変わる/変わらないパラオの食卓風景
伝統的な食卓風景が維持される一方、19世紀末の度重なる植民地経験(スペイン:1891~1899、ドイツ:1899~1914、日本:1914~1945、アメリカ:1945~1994)、1994年のアメリカからの独立、近代化などの影響を受けて、パラオでも外来食材の需要も拡大しつつある。大型のスーパーマーケットには、各国から船で運ばれて来た食材が所狭しと陳列されており、若年層に限らず、多くの人がハンバーガーやステーキ、スパム、スナック菓子などの輸入食材を好んで食すようになった。蒸したキャッサバとスパムのコンビネーションは、今や新たなパラオの家庭料理となりつつある。こうした飽食の状況を背景に、近年国内では肥満による健康被害が問題視され始めている。
輸入食材への依存傾向は、パラオに限らず島嶼社会が抱える共通の問題であるといえる。しかし、バベルダオブ島のアイメリーク州で30年以上タロイモを栽培し続けてきたという女性は、たとえ、輸入食材を積んだ船が止まろうとも、タロイモと魚がある限り私たちが空腹になることはない、と陽気に語る。
地球環境問題への対応が声高にうたわれる昨今において、パラオの食卓に見る人と環境とのつながりは、私たちに多くの示唆を与えてくれる。パラオの「共食文化」とは、ただ食卓を一緒に囲むことだけを指すのではなく、コミュニティとの強固なつながりの中で継承されてきた伝統的生業知識と、それらに基づいた島嶼の自然環境利用によって成り立つ、人と環境との共生の姿そのものであると呼べるだろう。