日本の沿岸を歩く~海幸と人と環境と第46回 シジミ漁に漁業権 資源維持の切り札に―東京湾・羽田

2021年01月15日グローバルネット2021年1月号

ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)

日本の経済、政治の中心地である東京湾岸エリアは、産業と人口が集中した日本の心臓部といえる。同時に東京湾は経済成長に伴う水質汚染や埋め立て開発により、閉鎖性海域の多彩な生物相と生産力が大きなダメージを被ってきた。だが海の民たちの息遣いは今もしっかり聞こえる。変貌を続ける東京湾の現在を見ようと東京、神奈川、千葉の1都2県を訪ねた。6回にわたって報告する。

●多摩川河口でシジミ漁

羽田空港(東京国際空港)のある羽田地区は江戸時代に魚を将軍家の台所に納めた御菜おさい八ヶ浦の一つで、現在は東京最後の漁師町といわれる。天空橋駅から弁天橋を渡り、多摩川沿いを西へ歩くと河川改修の名残である旧赤レンガ堤があり、近くの大田漁業協同組合(正組合員37人、准組合員7人)を訪ねた。

羽田旧赤レンガ堤

埋め立てなどのために1962年、都内海域の漁業権が放棄されると、羽田浦漁協など多くの漁協は解散した。だが、残った漁業者が自由漁業と遊漁船などで生活を守るために大田区では1966年、大田漁協が新設された。現在、都内東京湾には他に5漁協がある。

大田漁協の設立当時はアナゴ漁が盛んだったが、アナゴが捕れなくなった2009年ころから多摩川河口で急にヤマトシジミが採れ始めた。しかも品質も良く高値がついた。シジミ漁復活は多摩川より先に都内の荒川や江戸川などの汽水域でも1995年ごろから始まった。東京都全体の漁獲量は、現在は少なくなったが全国比で5%ほどになったこともあった。ジジミ復活の最大の理由はBOD(生物化学的酸素要求量)で示される水質の改善である。

大田漁協のシジミ漁獲量は数十tで、多い年には100tもあった。だが、漁協代表理事組合長の村石幸光さんに話を聞くと、漁協は大きな試練に立たされていた。2019年10月の台風19号による大水でシジミがいる浅瀬や干潟が川底の砂ごと流されてなくなってしまったのだ。

「多摩川の上流から供給される粒の小さい砂はシジミの生息に適した良質のもので、それが失われては非常に厳しい状況です」

漁協はまだ砂が残っている場所にシジミの種苗を放流して資源回復を図っている。同時に河川管理者の国土交通省にはシジミが生息できるよう元の川底の状態に戻してもらいたいと要望している。

●サイズ定めて資源保護

以前のシジミ漁はどんな状況だったのか。村石さんの話をまとめるとこうだ。

シジミを採る場所は漁協から上流の大師橋、高速太師橋の前後に全部で4ヵ所ある。潮が引いた川の中で胸くらいの深さに浸かり、金属製のマキカゴを川底の砂の中で引く「腰巻き漁」。大潮になると川底が出てくる場所だ。機械を使った漁に比べてシジミへの衝撃が少なく傷がつかない。シジミの尻が白くならず、吸い込む砂も少ないので砂抜きが楽だという。

漁協の「シジミ会」は資源保護の申し合わせをし、2017年には1日200㎏、操業は3時間と決めた。採ったその場で選別して殻長10㎜未満は川に戻している。シジミの産卵期に当たる夏場の8月は全面禁漁だ。一方で村石さんは「シジミはよく育ち湧いてくるようです」と漁場の再生産能力の高さを語る。

出荷する10㎏入りの袋には「多摩川羽田産 腰巻き漁 極上しじみ 大田漁業協同組合」と書かれたシールを貼る。スーパーなどの小売り段階では小分けされるので消費者はそれを知ることはないが。マリンエコラベル認証も2018年に取得している。

シジミのラベル

羽田のシジミはつやのある濃いあめ色をしている。「羽田産シジミはだしがよく出るので、味噌汁にするとおいしいですね」と村石さん。取引先からは「全国で2番目においしい」と褒められるという。全国的に知られる十三湖(青森県)産や宍道湖(島根県)産を意識した評価だと受け取っている。

シジミ漁に大きな変化があったのは2013年。釣りの餌にするエムシに加えてシジミ漁の漁業権が設定されたのだ。すでに漁業権のない海面漁業ではなく、内水面漁業としての扱いである。

取材で同席してもらった東京都水産課の伊藤誠さんは「資源回復が見られたことから責任を持って資源の維持管理をしてもらうことと、漁業者の生活に資することを目指しています」と説明する。

以前から自由にシジミの潮干狩りしていた人などから反対もあったため、漁業者以外も1人2㎏まで無料で採貝できることにした。漁業権設定前にはテレビ番組を見てバスを仕立てて潮干狩りに来る人たちもいたが、それもなくなった。「多摩川を愛する都民などに共感を得られるような情報発信が必要でしょう」と伊藤さんは理解を求める。

●水質改善しアユが遡上

高度成長期の汚染を知る筆者のような方は、初めて「多摩川でシジミを採っている」と聞いて驚いたはず。環境の改善が進み、隔世の感がある。豊かな生き物が生息し、人びとが身近に触れ合える海を取り戻すために国や関係自治体などの努力が続いているのだ。「東京湾再生推進会議」(2001年設置)などの取り組みが着実に成果をもたらしているといえる。

多摩川には春先にアユが遡上しており、2018年に1,200万匹を記録した(台風被害のあった2019年は30万匹)。上流では「カムバックサーモン運動」もある。

取材後に調べると、羽田周辺では人工的に造られたとはいえ自然を身近に感じることができる。城南島や昭和島、平和島などには親水公園や野鳥公園などが整備されている。「大森海苔のふるさと館」は近くの浜辺でかつて生産されていたノリを試験的に育てている。

大田漁協は都市化が進む中でも羽田の漁業の歴史を継承している。羽田水神社では毎年1月に海上安全と大漁を祈願する水神祭があり、宮司や漁業関係者が漁船で沖に出て御神酒やシジミを海にまく。

漁師の誇りを伝えるエピソードもあった。1982年の羽田沖日航機350便墜落事故(乗員乗客24人死亡)で負傷者の救助に向かったのが羽田の漁師たちだった。村石さんが見せてくれた救助活動を記録した写真の中に、漁船で駆け付けた村石さんの父親の姿があった。

大田漁協には30歳代の若い組合員もおり、江戸前のシジミの将来に期待が高まる。漁協はこれまでに加工品や直接販売も検討した。観光と結び付けた事業展開では千葉県で漁協が運営する温泉のある食事処「保田漁協ばんや」のような施設に関心を持っている。さらに伊藤さんは「実は将来は輸出する構想もあります。市場調査を検討したい」と語った。

羽田空港から江戸前のシジミを輸出するという発想はまさに「飛んでる!」ともいえる。空港といえば思い出すテレサ・テンの「空港」。曲がヒットした昭和の時代には想像できなかった再生自然が東京湾に出現しているようだ。喜ばしいことだが、自然を破壊してきた歴史に対する贖罪を置き去りにしてはならない。

シジミ漁が行われている
多摩川河口

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