食卓からみる世界-変わる環境と暮らし第21回 鉱山でなく「カイギン」を~山とともに生きてきた「パラワン」の人びと

2020年12月15日グローバルネット2020年12月号

国際環境NGO FoE Japan 委託研究員
波多江 秀枝(はたえ ほづえ)

大皿に山盛りのご飯――フィリピンでは食卓のど真ん中に置かれ、それを囲む皆がこぞってわしづかみにし、自分の皿に盛っていく。慣れ親しんだフィリピンでの風景だが、私がとりわけ首を長くして待っているのは毎年9~10月。調査に訪れる村でお世話になっている先住民族パラワンの家族が「カイギン」(伝統的な移動式焼畑)で獲ったばかりの新米の炊き立てご飯を振る舞ってくれるときだ。

FoE Japanは、日本の官民による海外での大規模開発が引き起こしている環境社会影響や人権侵害の回避・低減に向け、政策提言活動に取り組んでいる。私は2004年からフィリピンを拠点に、現地の住民やNGOと聞き取り調査などを行う一方、日本の政府機関や企業への提言活動を行ってきた。

フィリピン南西部のパラワン島南端近くに位置するバタラサ町の村々には2006年から通っている。そこでは1977年以来、ニッケル鉱山開発が進められ、その鉱石が日本へ輸出されてきた。2005年からは日本企業が主導してニッケル製錬所も稼動している。鉱山の周辺河川では環境基準を超える六価クロムが検出されるなど水質汚染が起きており、生態系や住民の健康への影響が懸念される。そこに先祖代々暮らしてきた先住民族パラワンの人びともすでに生活・文化に大きな変化を余儀なくされてきた。それでも、カイギンは今なお受け継がれている。

●神の住む山に迫る開発の波

「ブランジャオには“ディワタ”(神)が住んでいて、病が治らないときや干ばつのときなんかに、そのディワタを呼ぶ儀式をして祈願するんだよ」。ココヤシやマンゴーなどの背の高い木々以外、大きい建造物の一切ないこの村で、頂上から裾野までを一望できるブランジャオ山を見上げるとディワタがいることもうなずける。何度ここに足を運んでも、その凛としたブランジャオのたたずまいは変わらない。

しかし今、そのブランジャオ山がニッケル鉱石採掘の拡張の危機にさらされている。ニッケルは、スマホや電気自動車(EV)に利用されるリチウムイオン電池の生産に欠かせない材料の一つだ。世界の脱炭素化の流れの中、将来的なEVの普及とともにニッケル需要の増加も見込まれている。

「先住民族の生活が良くなったと鉱山企業は言うけれど、(鉱山や製錬所で)雇用を得たのは外から入ってきた移民。先住民族はほとんど雇用されていないし、生活は厳しくなっている。鉱山じゃなく、(山での)カイギンこそが、自分たちの生活そのものよ」。ブランジャオ山での鉱山活動の拡張が自分たちの生活の向上につながるものではない――これまでの経験から、そう考える先住民族パラワンの人びとは少なくない。

●広大な自然を感じる中での種まき

4月のある日、先住民族パラワンの一家族が先祖代々営んできたカイギンで陸稲の種まきをするというので、一緒に山へ出掛けた。種まきの場所まで山の茂みの中をスイスイと駆け上がっていく彼らの足取りは、都市の人混みを早足ですり抜けていく日本人より素早く、軽やかだ。「これは、この葉とその葉を混ぜて腹痛に。そっちは咳に効くよ」。茂みを数歩進むごとに薬草を見つけ、効用を教えてくれる彼らは、まさに生き字引だ。

茂みが切れ、かなりきつい斜面を二列で小気味よく下りてくる村人の姿が見えてきた。一列目は男性で、片手に持った棒を上から下に打ち落としては一歩進み、また打ち落としては一歩進み下ってくる。「トグダ」という穴を開ける作業だ。その後ろに女性や子供たちの列が続き、これもまた一歩ずつ進みながら、開けられた穴の中にもみを数粒ずつ、パラッパラッと落としていく。この作業は「トゥポイ」と呼ばれている。

日雇いの賃金がもらえるわけではない。手伝いが必要な家族のカイギンに村人が顔を出す。この「バヤニハン」(伝統的相互扶助の慣行)の精神は、フィリピンでの生活の至るところで垣間見られる。「(ここに)来た人は、少しでも一緒に手伝っていくのが慣わしよ」。そう促され、私も後列のトゥポイに加わったが、小さい穴に膝上の高さからもみを入れるのは、簡単な作業ではない。テンポを合わせて列を乱すまいとしても、やはり一歩、二歩と遅れをとってしまう。

ふと斜面を見下ろすと、ココヤシや果樹などさまざまな木々の緑の海が一面に広がり、その先に鮮やかな青色の海が望まれた。広大な自然の中の一部である人間の営みを体全体で感じる瞬間だった。

カイギンでのトゥポイ

●器用のオンパレード~収穫から食卓まで

10月に村を訪れるとカイギンでの収穫も終わりに近づいている。腰の高さにまで大きくなり、頭を垂れた稲の穂をプチップチップチッ――指先を器用に使いながら、手早く摘んでいく。「ここ数年、カイギンでのコメの実りが悪くなっていて……。気候のせいなのか、製錬所からの煙のせいなのか、理由はわからないんだけどね。でも、収穫が少なくなって、自分たちの食べるコメが足りないと、コメを高い値段で買わなきゃならない。そうなると、生活はとても大変」。

カイギンでの収穫

収穫作業を終え、別の家族の家に戻ってくると、ザッザッザッザッ――リズムよく足踏みをしている光景が目に入ってきた。家の軒先に穂を広げ、足を巧みに使っての脱穀作業だ。穂の束を足の裏でもむようにしながら、右、左、右、左と足踏みを黙々と続けること十数分。もみだけが見事に穂から取れて現れた。

夕方、臼にもみを入れて杵でついた後、竹のざるを巧みに使ってもみ殻の混ざったコメを空中に舞わせながら風でもみ殻だけを飛ばしていく。何度見てもため息の出るテクニックだ。先住民族の人びとは、手先から足先まで目を見張る器用さの持ち主だ。

足を巧みに使っての脱穀

●遠い場所の食と日本の生活のつながり

こうして食卓に並ぶカイギン直送、つきたて、炊きたてのご飯を私は毎年楽しみにしているわけだが、このご飯をいつまで先住民族パラワンの家族といただくことができるだろうか。

「食べ物も、薬も、山に生活のすべてがある。でも、鉱山はそれらを奪ってしまう。だから(鉱山と製錬所の)会社にはこれ以上、何もしてほしくない」。パラワンの人びとの言葉を思い出すと胸が痛む。

ブランジャオ山での鉱山拡張とともに、カイギンの場所も狭められたり、悪影響があることは否めない。山の麓にも、ココヤシ、バナナ、マンゴー、キャッサバ、そしてさまざまな薬草が広がっている。

先住民族パラワンの生きてきた山が危機にさらされることは、食文化への影響に直につながる。それは、日本の私たちの多くが目にすることのない遠い鉱山の現場で起きることだ。しかし、それがニッケルという資源を重宝している私たちの生活と深く関わっていることに、より多くの人が思いを致す社会になってほしい――そう願わずにはいられない。

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