特集/今、求められる流域治水とは②~海外事例からダム開発と河川管理について考える~自然の機能を借りて「後悔しない」洪水対策を進める欧州
2020年12月15日グローバルネット2020年12月号
星槎大学教授、NPO法人地域水道支援センター理事長
保屋野 初子(ほやの はつこ)
日本国内での豪雨による被害を例に、今後求められる流域治水と災害対策について考えた先月号に続き、今月号では海外の事例をご紹介し、今後のダム開発と河川管理について考えます。
2020年7月の熊本県の球磨川流域の水害はじめここ数年の水害は、大流域スケールで多数の犠牲者と莫大な被害額を生じさせている。気候変動を踏まえ「後悔しない」対応を進めるヨーロッパ(以下、欧州)の洪水対策に照らすと、残念なことに日本では「後悔する対応」を毎年異なる河川で繰り返していることになる。本稿では、水政策の大きな転換を図った欧州の河川政策について洪水対策を中心に見てゆく。
欧州の水害とEUの水政策
モンスーン地帯と比べ水害発生の頻度と程度が少ない欧州でも1990年代以降は、2002年、2013年のドナウ川、エルベ川の両流域諸国での大水害はじめ各地で河川の氾濫や土砂災害が頻発している。2020年の今年は、南欧,中欧、東欧、イギリスに至る広範な地域で水災害が報告され続けている。2ヵ月分の雨量が数時間で降るなど日本と変わらないような降雨現象も見られる。
欧州連合(EU)統合とともに欧州は水政策の統合を目指しEU水枠組み指令を2000年に発令し、加盟国は国内法をこれに適合させてきている。さらに2007年のEU洪水指令は、すべての加盟国に気候変動への適応策の導入を求めている。オランダはさらに早い2000年頃から川の空間を広げる河川管理へと転換し、新しい河川整備計画を進める。欧州における気候変動に対する危機感と対応は、このように早かった。
しかし、EU水枠組み指令が目指すのはより包括的な水管理である。この指令は、表層水から移行水、沿岸水までのあらゆる水域を対象に、加盟各国が2015年までに水生態系を「良好な状態(good status)」以上にすること、河川流域単位に「河川流域管理計画」の策定を義務付けた。その趣旨は水政策の「統合」にある。統合する対象は、水域のみならず水質評価(生態学的要素と物理化学的要素)、越境河川の国境にも及ぶ。そして計画の早い段階からの市民参加も保証している。
いわゆる統合的水資源管理(IWRM)が目指されているといえるが、水枠組み指令は単なる理念法ではなく、施策策定のためのモニタリング方法や目標達成期限なども明記し、実効性を備えた水基本法である。
では統合はどのように施策化されるのだろう。
河川再生は「統合」の重要ツール
水枠組み指令によれば、対策には技術的な措置と非技術的な措置がある。後者は計画策定への市民参加の保証を基本に据えるが、技術的措置の多くは「河川再生(river restoration)」と呼ばれる手法である。直線化された流路の再蛇行、以前の川の特徴を取り戻す、堤防護岸の緑化や改善、氾濫原湿地を造る、生息地の再生、人びとや家畜が近づけるようにする、川を迂回させる、派川との再接続、魚道やバイパス水路の設置、生態学的に最小限必要な流量の確保、発電ピーク放流量操作の適正化、侵食された河床の修復などなどである。
欧州が河川再生に踏み出した背景をヨーロッパ河川再生センター(以下、ECRR)は次のように記す。伝統的な洪水対策である築堤や河川の直線化、浚渫、ダムや人工遊水地で洪水流下能力や貯留量を増やすやり方は、予測の範囲内の洪水は減らせたが、それを超える洪水に技術システムが乗り越えられた時には壊滅的な結果を招き得る。そうした洪水は湿地や川の蛇行なしには吸収できない。気候変動には新たなアプローチが必要だ。
そもそも河川再生は、1980年代から環境NGOや地方政府が各国で試行してきた。よく知られたものに、ライン川の旧河道を遊水地として再生して治水・利水・生物多様性を改善する「生態学的治水」を実施したドイツ・バーデンヴュルテンブルク州の統合ライン事業があった。そうした生態学的な知見や手法を水枠組み指令が取り込んだ結果、欧州全域でさまざまなアクターが河川再生に取り組み実績を積み重ねている。
ECRRはEUなどの基金を得て、河川再生に関する実践的な知識や情報の交換、マニュアル作成などで、欧州の河川再生技術のプラットフォーム役を果たす民間ネットワークである。毎年開催する欧州河川会議にはEU加盟国以外のトルコやロシアなどからも参加者が集まり、拡大ヨーロッパ(Greater Europe)圏の創成にも一役買っているようである。
氾濫原の再生・管理に踏み出す
河川再生は河川管理に位置付けられるが、河川(河道)内に限定されず氾濫原も対象である。河道の外(堤内)の氾濫域での洪水対策は「氾濫原管理」と呼ばれる。「氾濫原」は地形学用語で、「洪水発生時に流水が河川などから越水し、氾濫する範囲にある平野」を指すが、ここでは、行政上使われる、洪水時の想定浸水区域といった意味で用いる。
氾濫原管理という考え方は1960年代、ダムや堤防など構造物による洪水対策の費用対効果の限界が早くも見えてきたアメリカ合衆国(以下、合衆国)で、非構造物による対策として登場した。制度として成立したのは、陸軍工兵隊に氾濫原管理の権限が与えられ、同時に氾濫原での開発抑制を目的とする国家洪水保健法が制定された1968年とされる。その後、環境保全政策に位置付けられていき、合衆国の統合的水管理の重要な施策となった。
欧州では、述べてきたように、洪水を河道内に収めることが従来の洪水対策であったため、氾濫原での洪水対策に踏み出したのはここ20~30年である。きっかけは、氾濫原が生物多様性にとって重要な場所であることを生態学者たちが指摘したことにあった。その後、気候変動への適応策が迫られるなか氾濫原管理の重要性が増し、各国で導入されるようになった。
洪水対策も「後悔しない」方法で
気候変動への対策に関して「後悔しない方法を(no-regret actions)」や、「より後悔の少ない方法を(low regret actions)」という指針がある。これは、少ないコスト、他の政策目的を阻害しない方法を探る、といった意味のようだ。EUの水政策、ことに洪水対策においても「後悔しない」方策が追求されている。河川再生、氾濫原管理は適応策であると同時に、経済的利用、環境保全、地下水涵養、景観保全、市民の憩いといった、他の社会的要請とも合致させるアプローチとして進められているのである。
EUの主要各国は次のような多様な適応策を施策化し、すでに実施段階に入っている。河川空間の拡張(オランダ)、治水計画のかさ上げ(イギリス、ドイツ、オランダ)、気候変動を見込んだ堤防補強・浚渫・水路整備(イギリス、フランス、ドイツ)、氾濫原での貯留(イギリス、ドイツ)、都市計画との連携(イギリス、フランス)、土地利用の規制や変更(イギリス、オランダ)、建築規制(イギリス、ドイツ)、洪水被害に対する政府保証制度(オランダ)などである。やや異色なのはフランスで、構造物の建設は「住民に過大な安心感を与え、万が一決壊したときの被害の大きさ」を考慮して推奨せず、都市計画と建築規制によって自然災害を回避し、都市化を抑制する方向である。
国や州によって採用する戦略や施策の組み合わせは異なるが、共通するのは氾濫原での洪水リスク削減策の重視である。これは、降雨が予測内に収まらないことがわかってきた以上、いったん立てた計画に従って人工物建設に税金と時間と社会的エネルギーを費やしたものの、予測を超える雨と洪水がむしろ被害を激化させてしまった、という「後悔」をしないために、自然の緩衝地帯を広げて自然の機能を借りる道を選んだのである。そちら側に軸を移せたのは、水管理目的の統合、管轄の統合、人びとの生命・生活と自然現象との統合への改革ができたからである。
欧州以上に激甚な水災害に見舞われている日本において国がようやく打ち出した「流域治水」の方向は、そうしたものでなければならない。
参考資料:
Copernicus, FloodList(webサイトはこちら)
ECRR(webサイトはこちら),
保屋野初子『川とヨーロッパ 河川再自然化という思想』築地書館
国土技術研究センター河川政策グループ『欧米諸国における治水事業実施システム-気候変化を前提とした治水事業計画-』(2011 年3 月)他