日本の沿岸を歩く~海幸と人と環境と第44回 冬の味覚の王様「越前がに」復活と資源保護ー福井・越前町
2020年11月16日グローバルネット2020年11月号
ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)
前回の小浜から越前町に向かった。途中の敦賀では朝倉義景討伐の軍を進めた織田信長が撤退戦を強いられた金ヶ崎城、「命のビザ」で救われたユダヤ人の上陸(1940年)の記録が残る「人道の港 敦賀ムゼウム」などを見て歴史の多彩さを知った。さらに日本海沿いの越前・河野しおかぜライン(県道204号~国道305号9.2km)を北進すると、越前海岸から見る日本海は青く静か。目指す越前町漁業協同組合は越前がにの主要な産地として全国的に知られている。カニ漁のオフシーズンである7月の訪問だったが、福井県漁業協同組合連合会や県などが作成したパンフレットのQRコードからカニ漁の動画を見て取材のモードに入った。
●カニ生息に適した漁場
ズワイガニは日本海、オホーツク海などで漁獲され、「冬の味覚の王者」として愛されている。国内各地の水揚げ地では味と鮮度を保つため生で流通させるが、国内消費の9割は冷凍の輸入品が占めている。筆者の住む広島では山陰の松葉ガニが聞き慣れた名前だ。カニの中でとくにおいしいといわれ、鍋、刺し身、ゆでガニなどにして堪能する。越前がにとは福井県内の港に水揚げされるズワイガニで、オスは脚を広げると70cmくらいになり甲羅の幅は最大15cmほど。セイコガニなどと呼ばれるメスはオスの半分の大きさだ。
越前町漁業協同組合に着くと専務の小倉孝義さんに近況を尋ねた。「ずば抜けて好成績」だったという昨シーズン(2019年冬~20年春)は漁獲量3,871t、28億2,300万円。漁獲高の5割をカニが占め、市場では姿形や身入り状態などを細心の注意を払って格付けし、一匹ずつ競りにかけている。ただ「高級ブランドガニとして近年価格が高騰、消費者離れを起こすのではないか」と心配もある。カニツーリズムの客を受け入れる地元の旅館や飲食店の仕入れ価格も高くなるからだ。
越前がにの漁期は11月6日から3月20日まで(メスは12月31日まで)。沖合底引き網15隻(県全体で27隻)と小型底引き網33隻(同39隻)=2020年11月=が操業する。主な漁場は西の若狭湾。「海底が段々畑のようになっており、生息に適しているようです」と小倉さんは推測する。
国内での水揚げは兵庫県や鳥取県に次いで3位を石川県と競うが、浜値は全国1位を誇る。そんな福井県にも危機があった。1960年代に800~1,000tあった水揚げが減少、1979年には210tまで落ち込んだのだ。
深刻な不漁に「越前がには消滅するかもしれない」として、関係者は本格的な資源管理に取り組むことになった。「日本海ズワイガニ採捕に関する協定」や、国が漁獲量の上限を定めるTAC制度による漁獲制限を徹底した。ズワイガニの主漁場(水深220~350m)ではズワイガニ漁期以外は操業しない、コンクリート製魚礁の設置、甲幅10㎝未満のミズガニ(脱皮直後のオスガニ)の漁獲禁止などだ。
カニの漁期以外には底引き網の途中に網目の大きい落とし穴を設けた越前網を導入した。漁業者、水産試験場、水産業普及指導員が試験を重ね2001年に基本形を作り上げた特殊な網だ。ズワイガニや小型のカレイなどを逃がして資源を守ることができる。現在はほとんどの底引き網漁業者が使っており、福井県以外でも普及している。そうした努力が奏功して福井県の越前がにの漁獲は近年400~600tで推移している。
●地理的表示で自覚向上
「県のさかな」に指定(1989年)されている越前がにに産地偽装を防ぐ黄色い証明タグが付いたのは1997年。現在では常識になったズワイガニのタグは福井県が発祥地なのだ。越前町に入る道路脇にあった模型のカニの脚にはちゃんと黄色のタグが付いていた。越前がには地域団体商標に登録(2007年)され、2015年には重さ1.3kg、甲羅幅14.5cm、爪の幅3cm以上を最上級ブランド「越前がに極」として認定を始めた。
さらに18年には地域ブランド産品として地理的表示(GI)保護制度に登録された。これもズワイガニとしては全国初だった。黄色いタグには漁獲した船名も入る。小倉さんは「タグの使用数も確認するなど厳しいものです」と偽装表示対策に胸を張る。現在、このタグがないと事実上売買できないという。
越前がにのブランド力アップは漁業者確保の好循環を生んでいる。漁業後継者が不足する中、地元外から来た9人が漁業者になった。県の育成制度「ふくい水産カレッジ」や地元越前町の積極的な移住支援策が後押しとなった。「今年も『越前町で漁師になりたい』と問い合わせがありました」と小倉さんは喜ぶ。
持続的で安定した漁業にするため、カニ以外の魚種にも注目して収益確保を目指す。一例がアカガレイのブランド「越前がれい」だ。底引き網漁(9月1日~翌年6月末)のうちカニの漁期を除いた期間、水深200~500mの海域で操業する。アカガレイは鮮度が落ちやすく焼物や煮物、加工品向けだったが、活け締め、神経抜きをして刺し身で食べられるようにした。
ところでズワイガニが今のように高級品として地位を築いたのは戦後の高度成長期であり、それほど古い話ではない。現在のような高級品扱いではなかったころを知っている小倉さんは「幼いころは冬に腹がへったら『ガン(カニの方言)でも食べておけ』と言われセイコガニ(メス)を食べさせられました」と笑う。
出荷のための道路も未整備で、雪で海沿いの道が通れなくなると、カニを背負子に担いで山道を越えて20km離れた北陸本線武生駅まで届けていたという。港も近年になってようやく整備が充実してきた。複雑な海底地形によって生じる高波や日本海特有の冬の強い風浪で漁船や家屋が大きな被害を受けた記憶も残る。
●北前船や海運業で繁栄
越前がにの名称が出てくる最も古い記録は室町時代、続いて漁の記録は安土桃山時代にさかのぼるという。小倉さんからは「現在のカニ漁になるまでに先人が守ってくれたようです。この宝を守り将来に受け継いでいきたい」と先人への感謝と未来への覚悟を聞いた。
歴史といえば、越前町の手前にあった「北前船主の館右近家」で右近家が日本海五大船主から海運業への転身、日本海上保険株式会社(現在の損保ジャパン日本興亜の前身)設立などと発展してきたことを知った。先見性に優れ、勤勉さと堅実さで新境地を開拓してきた軌跡は、全国初のタグやGI認証などを導入してきた越前がににも重なるのではなないか。
取材を終えると、漁火街道(国道305号)を北へ進み越前岬へ。福井県の県花スイセンの日本三大群生地でもある。スイセンの花言葉「自己愛」「神秘」が「越山若水(越前の緑豊かな山々と若狭の清らかな水を合わせた美しさ)」の表現にふさわしい。美空ひばりが歌った『越前海岸』(作詞:吉田旺)にもスイセンが出てくる。…それにしても、スイセンの花を見ることも、カニを味わうこともなかった時期外れの訪問がうらめしくなった。そんなもやもや感を日本海に沈む太陽、薄暮に輝き始めた漁火の美しさがしっかり埋め合わせしてくれた。