フォーラム随想詐欺事件さまざま
2020年10月15日グローバルネット2020年10月号
地球・人間環境フォーラム理事長
炭谷 茂(すみたに しげる)
6歳ごろの話である。その頃はまだ敗戦から日本が立ち上がれず、貧しい時代だった。
ある日、背中を丸くし、いかにもくたびれた中年の男が訪れてきた。家は、商売を営んでいたが、父は不在で、母が応対に出た。たまたま私は、その場に居合わせた。
男は、「市役所の許可を得て、先日の台風の被害者支援のための寄付を集めています。ご協力をお願いします」と言う。まったく面識のない男である。言葉に富山訛りがないから、地元の人間ではないとすぐにわかった。
母は、「怪しい男だ」と頭によぎったに違いない。しかし、差し出した奉加帳には近所の人の署名と寄付金額が、ずらりと記載されている。負担になる金額ではなかったのだろう。母は、並んでいる同じ額を記入して、男に金を渡した。男は、軽く頭を下げて、足早に隣家へ向かって行った。その間、男は、終始うつむいていた。
翌日になって市役所から「台風被害者支援と称した詐欺事件に注意を」と書かれた緊急の回覧板が回って来た。時すでに遅しだ。
私は今もその男の風体や言動を鮮明に記憶している。私にとって人生初の詐欺事件の現場だった。
仕事や社会活動が広がるに従い、詐欺やその恐れのある事案に接することが増えた。
仕事は、人との信頼関係を基礎にするので、私は、誠意を持って相手を信用して対応してきた。実際この方針で難しい仕事も乗り越えられたので、間違っていなかったが、だまされて痛い目に遭ったこともあった。
以前、本欄で紹介したので、詳細は省略するが、月刊誌に私の顔写真入りで掲載された事件がある。最先端のがん診断と治療施設を整備するという壮大なプロジェクトだった。経済的な被害はなかったが、相手の人物を信用していただけに完全に裏切られた。人を見る目がなかったが、元知事、市町村長、会社社長、病院長、大学教授など著名人が、巻き込まれた。
古典的な大詐欺事件としてM資金がある。これも2回経験した。
10年前の夏の経験は、連合国軍総司令部(GHQ)が保有していた隠匿財産を管理している老人が、社会に有益な事業を支援したいというものだった。
私が携わる福祉事業に数百億円を援助したいが、事前に手数料が必要だとか、振込先は、個人の銀行口座だとか、最高裁が贈与税の非課税証明を発行するなど最初から荒唐無稽の話だった。
援助者が、有力政治家と懇意で、その政治家の名刺を見せるという詐欺の常とう手段も使われた。
最初から相手にしなかったが、同じような詐欺事件は、今も方々で生じているらしい。最近も新聞で「横浜市でM資金容疑で逮捕」という記事を読んだ。ネットで有名企業の経営者がM資金詐欺に遭ったと掲載されている。
先日、官僚OBが、私のところに新型コロナで病院経営が悪化し、資金繰りに困っているだろうから、支援したい人がいるという話を持ち込んできた。金額は、数千億円と巨額だったが、「世の中うまい話はない」と、丁重にお断りした。
高齢者を狙った振り込め詐欺は、手を変え、品を変えて起きる。
先日、必要があって現金支払機の引き出し限度額を超える額を郵便局の窓口で貯金から下ろすことになった。すると窓口の女性は、心配そうに「何にお使いですか?」と尋ねる。ポンチ絵で描かれたパネルを見せ、「最近怪しい電話がかかってきませんか?」と優しく聞く。
現金を受け取って郵便局から外に出たら、その女性は、事務室側の別のドアから密かに出てきた。金を受け取る役割の人間が待っているのではないかと心配したのだ。
郵便局のマニュアルで定められた行動なのだろうか。すっかり振り込め詐欺の被害者ではないかと心配された。
そんな年齢になってしまったのか。ほろ苦さを感じた夏の終わりの昼下がりだった。