フォーラム随想困難に遭遇したとき
2020年07月15日グローバルネット2020年7月号
地球・人間環境フォーラム理事長
炭谷 茂(すみたに しげる)
新型コロナウイルスは、世界に100年に一度の試練を与えている。私たち一人ひとりが、「感染するのでは」と不安におびえている。
人生は、思わぬ困難に遭遇するのが常だ。重要なことは、遭遇したときにいかに対処すべきかだ。
毎日、大なり小なり困難なことや嫌なことの連続だ。その時すべての人は、「失敗したらどうしよう」「なぜ自分だけが」「面倒くさいなあ」のようなマイナスの感情が反射的に出される。これを精神医学や臨床心理学では「自働思考」と呼んでいる。
誰にでも生じるマイナスの感情の程度は、人によって大きな差がある。
私の親族の集まりで、そんなに悲嘆に暮れる場面でなかったのに40代の女性が、突然泣き出し、パニック症状になったのにはびっくりした。
心理学の理論に「悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」がある。彼女は、「ここは泣くべきだ」と考えて泣いたのではないかと、私は推測した。真偽はわからないが、彼女は、泣いているうちにますます悲しくなって、自分を失ってしまったのではないか。
みんながしんみりと悲しみに浸っていた場面としては、異様な振る舞いに見えた。
困難な場面に遭遇したとき生じる怒り、不安、悲嘆などマイナスの感情をストレートに表面化するのは、成熟した大人の行動ではない。問題の解決にならない。
職場で部下を怒鳴り散らしてばかりいる人を随分見てきた。今日で言えば完全にパワハラでアウトだ。「できる」と世間から評価され、出世街道まっしぐらの人に多かった。
大学を抜群の成績で卒業し、頭脳の優れた人だが、人生の試練を受けていない。他人の小さなミスに瞬間的にカチンとくる。小さなミスで自分の功績に傷がつくと心配する。反射的に大声で威嚇的に怒鳴り散らす。感情が収まるまで続く。
怒鳴るほど安易な説得方法はない。しかし、被害者は、死ぬまで恨みを抱き続ける。加害者の方は、まったく覚えていない。
人は、困難に遭遇し、解決することによって成長する。だから困難をむしろチャンスだと歓迎すべきだが、そのような心境にはいかないのが凡人の常だ。
困難に遭遇しても平然としている大物がいる。本当の心の内を聞いてみたいと思うが、同じ人間だから多少の動揺があるに違いない。これを押し殺しているのは、長い人生の鍛錬のたまものか、持って生まれた資質だろうか。
私は、このような局面では強い方ではない。対応力が弱いから、動揺を隠せない。
生来、健康や体力に自信がない、才能に恵まれていない、経済的に余裕がない、親類縁者に実力者はいないと、「ない、ない尽くし」だ。ちょっとしたことも「どうしたらよいか」不安になる。
年齢を重ねるに従い、動揺を表面化しないように努めてはいる。しかし、無理をし、大物ぶって背伸びをするとストレスがたまる。豪傑笑いをする人に出会うが、人生の達人は、一目で本質を見破ってしまう。
何とか自然体で困難な出来事にも対処したいものだ。
私は、学生時代から50年以上にわたって福祉について勉強や社会活動、そして仕事としてきた。そこで扱う問題は、人生で誰もが出会う困難な出来事が対象である。
多様な経験を重ねるうちに、どんなことにも対処できるようにと、30年前から24のカテゴリーに資料を整理して勉強し、行動してきた。
24のカテゴリーは、病気・死、障害、貧困、社会的排除、犯罪……となるが、人生で出会う困難なことは、すべてカバーされる。これで修練し、困難に遭遇したときに冷静でありたいといつも願っている。