食卓からみる世界-変わる環境と暮らし第18回 チャと共生するミャンマーの山地民の暮らしと食卓

2020年06月15日グローバルネット2020年6月号

東京外国語大学大学院 特別研究員

生駒 美樹(いこま みき)

 

ミャンマー北東部シャン州パラウン自治区ナムサン郡は、標高1,500mから2,000mほどの山間部に位置し、ミャンマー最古にして最大の茶産地として知られています。住民のおよそ9割が、少数民族パラウン人(モン・クメール系)で、多くの人が茶生産を生業としています。私は、2012年から2014年にかけて1年ほど、文化人類学の博士論文執筆のために現地の家庭に滞在する機会を得ました。2011年に民主化にかじを切った転換期ミャンマーの山間部で、茶生産を行う人びとの暮らしと、彼らの食卓を紹介します。以下、植物は「チャ」、加工品は「茶」と表記します。

●チャと共生する

ナムサン郡は、耕作地総面積のうちおよそ9割をチャ畑が占める、茶生産に特化した地域です。村落は山の尾根筋に沿って点在し、チャ畑は山の斜面につくられています。この地域では、英領化以前から茶生産を経済基盤とし、周辺民族と交易を行ってきました。

チャ摘みシーズンは3月末から11月上旬までの7ヵ月ほどです。成長途上の新芽を収穫するため、収穫適期は非常に短く、収穫時の労働力を確保することが農家の重要な課題となっています。私が滞在していた村では、チャ摘み労働者確保のために、二つの仕組みが用いられていました。

一つは、労働交換です。近所の人たちと1日分の労働力を貸し借りし合います。新芽の成長速度は、日当たりや降雨量など天候に左右されます。そのため、チャの生育状況に基づいて、その場その場で都合がよい人に声を掛けます。労働交換は、収穫適期が短いチャの性質に合わせて、労働力を確保するための柔軟なシステムだといえます。

もう一つは、「支援」と呼ばれる仕組みです。「支援」とは、無利子無担保で、現金や米、食料品などを前貸しすることをいいます。農家は、「支援」することで労働者を囲い込みます。そして、労働者は「支援」をしてくれた農家のところでチャ摘みを行い、前借り分を返済します。

収穫された生葉は、すぐに酸化発酵してしまうため、その日のうちに、自家加工するか、製茶工場に販売されます。ナムサン郡では、生葉は、後発酵茶、不発酵茶(緑茶)、発酵茶(紅茶)の3種類に加工されます。後発酵茶とは、加熱することによりチャの酵素を失活させた後、微生物の作用で発酵させたものです。この茶葉の漬物は、ミャンマー多数派民族ビルマ人(チベット・ビルマ系)の冠婚葬祭や日常生活に欠かせないものです。これら3種類の茶は、それぞれ加工に適した生葉の状態が異なります。生葉の状態は、チャ摘みシーズンや収穫のタイミング、降雨量などによって日々変化します。生産者は、その日収穫した生葉の状態に合わせて、どの茶に加工するか選択しています。

このように、生産者は、日々チャと向き合いながら、収穫と加工を行っています。彼らは「それはチャ次第だ」という言葉をよく口にします。茶生産は、チャと人びととの共生によって成り立っているといえます。

チャ摘みはすべて手作業で行う。チャ摘み
の合間に、チャ畑に生えている山菜を収穫
することもある

●農家の食卓

ナムサン郡は、茶生産に特化しているため、主食の米や、塩、油などの調味料は、他地域から購入する必要があります。ただし、山間部特有の交通アクセスの悪さで、最も近い都市まで車で5時間程度かかります。そのため、農家の多くはこれらの食品を、都市部とコネクションを持つ製茶工場からの「支援」によって、手に入れています。農家は生葉を納めることで「支援」を受けた分を返します。

野菜類は、それぞれの家庭の裏庭に植えられています。食事を準備する時間になると、庭に出て、ハヤトウリやカボチャなどウリ科の植物、ギョボク、ワラビ、ミント、ドクダミなどの野草を収穫します。

調理は、薪のかまどや七輪で行いますが、2010年に電気が開通してから、炊飯器を使う家が増加しました。食事の基本は、白飯に、スープ、おかず1、2品です。タケノコの漬物料理は食卓によくのぼるパラウン料理の代表格です。野菜類は、スープや煮物にしたり、生のままあるいはゆでて納豆ベースのタレにつけて食べたりします。肉類は容易に手に入らないこともあってあまり食べませんが、卵焼きは定番メニューです。油をたっぷり使うビルマ料理とは対照的に、パラウン料理では油をほとんど使いません。食後には、自家製の緑茶をいってから煎じて飲みます。

2010年代に入り、道路が整備され、中国製の安価なバイクを手軽に購入できるようになったことから、バイクによる行商が増えています。これまで村では手に入りにくかった肉や野菜、調味料、パンや菓子類を容易に手に入れられるようになり、食卓の風景が少しずつ変わってきています。

●転換期を生きる

ミャンマーでは50年近く軍人支配が続いてきましたが、2011年には民政移管され、政治・経済的に大きな変化の中にあります。半世紀にわたり、近代化やグローバル化などの影響がほとんど及んでこなかったナムサン郡の茶生産をめぐる状況は、今大きく変わりつつあります。

その一つは、競争の激化です。ナムサン郡産の茶は、ビルマ王朝時代から高く評価されてきましたが、中国から無課税で流入する発酵茶や、国内新興茶産地の後発酵茶の人気が高まる中、その需要が減少しました。従来、ナムサン郡の生産者は、需要に合わせて加工する茶の種類を選択することで、生産活動を安定させてきました。3種類の茶を加工できるということは、茶という一つの商品作物に依存しながらも、需要の変化に対応し、リスクを回避できるという大きな強みでもありました。しかし、三つの選択肢のうち二つを失い、茶業は不振に陥ったのです。

また、もう一つの変化は、労働者不足です。村では、2012年頃から、働き手の多くが出稼ぎに出るようになりました。これには、先述の茶業不振、道路などのインフラ整備、民主化による労働力需要の高まり、携帯電話の普及により外部の情報を入手できるようになったことなど複合的な要因が挙げられます。2013年、村人の多くがカチン州のケシ畑に働きに出ました。ミャンマー国内であるにもかかわらず報酬の支払いは中国元で、ある女性は3ヵ月間で、チャ摘み年収の2倍以上も得たといいます。村には、彼らが購入したテレビやビデオデッキ、炊飯器、油、塩、味の素などが持ち込まれるようになりました。

また、民主化後、皮肉なことに、軍政時代に一度停戦合意を結んでいたパラウン人武装勢力と国軍や周辺民族との間で戦闘が激化し、ナムサン郡の情勢は急激に悪化しています。徴兵によって働き手を奪われ、徴兵を逃れて都市部へ避難する者も急増しました。政治情勢の悪化は、労働力不足をより深刻化させることになりました。

この危機的状況を打開しようと、パラウン人の茶業者組合が、ドイツ国際協力公社(GIZ)などの支援を受けつつ、さまざまな活動を行っています。軍政時代、近代的な技術を導入できなかったことを逆手にとって、伝統製法によるオーガニック茶であることを売りに、国外への販路を拡大しようという取り組みを始めています。また、生葉の収量を上げるためのチャ畑改良にも取り組んでいますが、深刻な労働者不足により思うように進まない現状があります。

できるだけ早く和平合意が結ばれ、ナムサン郡の人びとが安心して茶生産に従事できる日が来ることを願っています。

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