特集/コロナ禍から見えてきた環境破壊の罪①~感染症と自然環境との関係とは~文明社会と感染症の関わり合いの歴史

2020年06月15日グローバルネット2020年6月号

長崎大学熱帯医学研究所 国際保健学分野 教授

山本 太郎(やまもと たろう)

 新型コロナウイルスの感染拡大が世界的に広がり、グローバル化された世界の社会・経済は大きな打撃を受け、その脆弱性が浮き彫りになっています。ウイルス発生の背景には、人類が自然を無視し、経済活動を進めてきたことによる生態系の破壊がある、とする声もあり、人間の社会が自然環境と密接に関わっていることを改めて認識する必要があるといえるでしょう。
 今月号と来月号の2号にわたり、未知のウイルスと闘い克服し、強靭で持続可能な「コロナ後の社会」をどのように築いていくべきか、考えます。まず本特集では、文明社会と感染症の関係と歴史、そして自然環境の変化が人間の健康に与える影響について確認し、人間は自然環境といかに関わっていくかについて論じていただきます。

 

社会の「在り方」が感染症を選び取る

ヒトの行き来により格段に狭くなった世界。とどまるところを知らない熱帯雨林の開発や地球温暖化。それらが相まって、野生動物の生息域が縮小し、ヒトと野生動物の距離が縮まった。野生動物と共存していたウイルスは調和を乱され、行く場所を求めてヒト社会に入り込んでくる。新興感染症が頻繁に発生する理由はそこにある。

加えて、増加した人口、都市への密集、世界の隅々まで発達した交通網が感染拡大の原動力となる。現代社会は、ウイルスの出現と拡散の双方にとって「格好」な条件を用意する。

都市にしても、一定程度の人口の集中にしても、地球環境に負荷をかけないという意味では必ずしも悪いわけではない。至る所に電気を届け、上下水道を整備していくのは、環境への大きな負荷となる。しかし行き過ぎた都市化や人口集中は、コロナのような感染症には脆弱となる。グローバルとローカル、都市と地方。いろいろなもののバランスを考えていく必要があることを今回の流行は私たちに教えてくれる。

私たちからみると、今回の新型コロナウイルスは極めて巧妙なウイルスに見える。しかし仮定の話として、新型コロナウイルスが、人類が農耕を始める前の狩猟採集社会の中に持ち込まれたとしたらどうだっただろう。

狩猟採集社会では、100人程度の血縁を中心とした集団がドングリを集め、貝を採り生活をする。集団は生態資源の競合を避けるために疎に生活圏を設定する。そんな社会に新型コロナウイルスが出現したとして、ウイルスは、数週間のうちに人口の7、8割に感染し、そこで次の感染者を失い、絶滅したに違いない。

この7、8割に相当する人口を「集団免疫」と呼ぶ。割合は、ウイルスの種類によって異なる。

私たちは感染症の流行を考える際、あたかもウイルスがヒト社会を脅かしているように考えてきた。しかしこの思考実験は、むしろ私たちの「社会の在り方」こそが、新たなウイルスの出現を選んでいる可能性を示唆する。

あるいは1,000年後、仮想現実が現実世界のものとなり、社会的距離が基本となった社会に、新型コロナウイルスが持ち込まれたとして、ウイルスは、そもそも流行しなかったか、仮に流行したとしても、容易に封じ込めることができたかもしれない。

ウイルス目線で見る

ウイルス目線で考えると見える、もう一つ大切なことに、ウイルスは宿主の根絶を意図していないということがある。ウイルスは、自らの複製に宿主を必要とすると述べた。その宿主を殺すことはウイルスにとっても有利な状態となることはない。そうした中で、私たちが、ウイルスの絶滅を目指すことは、危険な考え方とさえなる可能性がある。

根絶を目指してウイルスに強い淘汰圧をかけると、それはウイルスに生き延びるための進化を促すことになる。進化したウイルスに対し、私たち人間もまた、それに対する対抗手段を開発する必要に迫られる。それが繰り返されれば、それは、ウイルスと人間との間で演じられる軍拡競争にも似る。そうした軍拡競争を、生態学の用語は「赤の女王仮説」と呼ぶ。ルイス・キャロルの小説『鏡の国のアリス』に登場する赤の女王が発した「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」という言葉に由来する。そうした意味でも、ウイルスに過度な圧力をかけず、ウイルスと緩やかに付き合っていくということは重要な対策となる。

大半のウイルスは、ヒトと共生している。ある種の内在性ウイルスは、そのウイルスが由来する外来性ウイルス感染症に対し保護的に働いているという報告もある。内在性ウイルスとは、過去に感染したウイルスが宿主に組み込まれた、その断片をいう。

それだけではない。海洋には膨大なウイルスが見つかってきており、そうしたウイルスの存在が、二酸化炭素の循環や雲の形成にも関わっているという研究結果もある。

ウイルスは数十億年にわたって、あらゆる試行錯誤を通して、生態系の中で複雑で強固なネットワークを構築してきた。それは地球上のすべての生命を支える基本構造の一つともなっている。

パンデミックは社会変革の先駆けとなる

筆者が描いたペスト医師(メディコ・デッ
ラ・ペステ)。中世のペスト医師は、都市
に雇用され、貧富の隔てなく治療に当たっ
た。悪い空気から身を守るため、香辛料
を詰めた嘴状のマスクを着けた。流行時、
彼らが生き残る可能性はわずかであった。

歴史を振り返れば、私たちは、幾度ものパンデミックを経験してきた。14世紀ヨーロッパで流行した黒死病(ペスト)やコロンブスの新大陸再発見後の16世紀新大陸でみられた旧大陸感染症の大流行。1918年から19年にかけて世界を席巻したスペイン風邪などである。

そうしたパンデミックは時として、社会変革の先駆けとなる。

14世紀にヨーロッパで流行したペスト(黒死病)は、最終的にヨーロッパ全土を覆った。居住地や宗教や生活様式に関係なく、ペストはヨーロッパを舐め尽くし、ヨーロッパ社会は、人口の四分の一から三分の一を失った。

ペストがヨーロッパ社会に与えた影響は、少なくとも三つあった。第一に、労働力の急激な減少が賃金の上昇をもたらした。農民は流動的になり、農奴やそれに依存した荘園制の崩壊が加速した。第二に、ペストの脅威を防ぐことのできなかった教会はその権威を失い、一方で国家というものが人びとの意識の中に台頭してきた。第三に、人材の払底が既存の制度の中であれば登用されることのない人材の登用をもたらし、社会や思想の枠組みを変える一つの原動力になった。結果として、封建的身分制度は実質的に解体へと向かう。同時にそれは、新しい価値観の創造へとつながっていった。半世紀にわたるペスト流行の後、ヨーロッパは、ある意味で静謐で平和な時間を迎えた。それが内面的な思索を深めさせたという歴史家もいる。気候の温暖化も一役買った。そうした条件が整う中でやがて、ヨーロッパはイタリアを中心にルネサンスを迎え、文化的復興を遂げる。

ペスト以前と以降を比較すれば、ヨーロッパ社会は、まったく異なった社会へと変貌し、変貌した社会は、強力な主権国家を形成する。中世は終焉を迎え、近代を迎えたヨーロッパは、やがて新大陸やアフリカへと踏み出していくことになる。これがペスト後のヨーロッパ世界であった。

コロンブス以降の16世紀南北アメリカでも感染症は社会を大きく変えた。天然痘や麻疹といった、新大陸にはなく、旧大陸にのみ存在した感染症の広範かつ急激な流行の後に出現した社会は、それまでの現地の人びとが暮らしてきた社会とは異なる、スペインを中心とする別世界となった。

パンデミック後に時として出現する新たな社会は、独立した事象として現れるわけではなく、歴史の流れの中で起こる変化を加速する形で表出する。14世紀のペスト流行の時も、16世紀南北アメリカでの感染症流行の時もそうだった。さらにいえば、1918年のスペイン風邪の流行もそうだったと思う。流行後の世界は、新興国アメリカの世界史の舞台における台頭だった。アメリカは、その後、世界の政治や経済の中心となっていく。

歴史が示す一つの教訓かもしれない。

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