特集/待ったなしの温暖化対策~脱炭素社会とその方向地球の危機を生き延びるために
2020年01月15日グローバルネット2020年1月号
阪南大学経済学部准教授
内藤 正明(ないとう まさあき)さん
講師は、石油文明の変革を30 年前から訴えてきた内藤正明氏、石油化学会社から気候変動の研究者に転じ、地球温暖化の大実験の速やかな中止を主張する西岡秀三氏、国の環境政策に取り組むも、地球環境問題は文明の病と喝破し、官僚からNPO 法人の創設者になった加藤三郎氏で、いずれも1939 年生まれの80 歳。
「脱炭素社会を一刻も早く実現しないと、人類社会が遠からず破局してしまう」との三人の悲痛な「遺言」とも受け取れる警鐘に耳を傾け、新しい年の一歩を踏み出したい。
相変わらず経済最優先 環境行政はお呼びでない日本
私はゆえあって、もう箱根の関を越えて関東には来ないと誓いを立てて数十年。でも今回はどうしても来るようにと言われて、遺言を残すつもりでやってきました。私は20数年、加藤さんと同じ時期に、当時の環境庁でご奉公させていただいたのですが、環境行政はやってもやっても、日本の環境を良くすることに役に立っているようには見えなかったのです。今からちょうど25年前に、「もう私は辞めさせていただきます」と辞表を出しました。ちょうど環境省に変わる直前だったのですが、庁が省に変わっても、今の環境行政で日本の環境が良くなるとはとても思えない、と覚悟を決めて京都の大学に戻りました。
環境庁では大事な政策に関わる審議会などに行かされたことがあります。そこには学識経験者や役所の代表者が出てきて議論をするのですが、そのような場所では私のような者が発言しても相手にもしてもらえない。結果的には通産省(当時)の役人から「俺たちが産業で稼いでいるから、お前たちは、お金がもらえて環境行政がやれるのだろう。それなのに産業の足を引っ張るような規制を掛けてどうしようと言うのだ」というようなことを言われる。その一言で、もう環境行政はテーブルにも着けなかった時代です。
日本では産業、ないしは経済が最優先であって、その足をちょっとでも引っ張るような環境行政はまったくお呼びでない、ということを強く感じました。
通産省との力関係の違いは大変なものでした。自動車による大気汚染の沿道公害の調査を環境省が始めたら、通産省がすぐに追っかけてプロジェクトを始めて同じことをやる。ただし予算は100倍も違うのです。それで公害は大したことはないという結論を出すのです。それに一所懸命に太刀打ちしようとしましたが、相手になりませんでした。それからすでに25、6年経って、どうかなったかなあ。状況はもっと悪くなったと思います。
私も東京にいるとき、環境管理計画といった報告書を何十と書きましたが、そんなものは倉庫でほこりをかぶって、数年したらシュレッダー行きです。
東近江市でCO2半減 自然共生型社会づくり
私は最後に、滋賀県の研究所長(2005年9月より滋賀県琵琶湖環境科学研究センター長)を任されました。ちょうどその時の知事に、「滋賀から思い切った持続可能な社会というものを一緒に考えてくれないか」と言われ、2007年に滋賀の二酸化炭素(CO2)排出量を2030年に半減する計画を作りました。私は、車を減らすとかいろいろなことを積み上げたら半分ぐらいは削減できると思っていたのですが、残念ながら全然届かないのです。
しかし、次の知事になった嘉田さん(嘉田由紀子参議院議員。2006~2014年に滋賀県知事を務めた)は「やりましょう」と。議会にCO2半減の計画書を出したら、「こんな中身でやれると思っているのか」と批判されたのですが、知事はその時、「やる、やらない、の議論をしている段階はとっくに過ぎました。やらないといけないのです」と答弁をしたのです。そして半減する議案は通ってしまったのです。
半減するには、計算上は車をほとんど使わないとか、琵琶湖の面積の半分ぐらいの場所に太陽光パネルを敷き詰めるということになり、条例も通りました。しかし、時代の変化とともに、計画はなし崩しになりつつあります。
ところが滋賀県内の東近江市が、「うちが先生と一緒にやってみたい」と言ってくれたのです。「とても大変なことになるよ」と言ったのですが、女性の担当者が優秀でやる気があり、やってみようということになりました。
将来像を描くために、活動団体、市民や事業所、行政などが一堂に会する環境円卓会議で議論を重ねました。
新しい目標は、環境については、はっきり脱炭素という指標にどこまで近づいたか、もう一つは土に還らないものは基本的に使わない、ということを原則にしましょうということでした。経済については、は地域の中でのお金の循環を100%に近づけるという指標です。CO2排出半減という目標達成には、「資源の地域自立」「社会サービスの地域自立」「自然の恵みの地域自立」が設定されています。
環境、経済、社会の三つの指標を計算し、どこまでかなう計画、活動をするか、基金を用意して取り組むことにしました。役所と志のある市民のお金とそれから事業者、地方の信用金庫の力を存分にお借りしようと、全員が持ち寄ってソーシャル・インパクト・ボンドが作られました。地域のお金と知恵と技術でできる地域適正な仕組みの提案を得て、それを支援していくことが考えられています。
子育て、福祉、社会的弱者も全員仕事を持って生き生きと暮らす。経済も回るようになるし、脱温暖化もうまく進展し、そういうようなことを今、きちんと指標を設定し、定量評価の下に地域づくりをやろうとしているわけです。
世界を支配している強欲資本主義から、誰も置き去りにしない「倫理経済」に回帰する以外に道はないのでしょう。
内藤 正明さん
京都大学、国立、県立の研究所などで一貫して環 境研究に関わってきた。その過程で、30 年も前 から石油文明の変革なしには人類の持続はないと 主張してきた。しかし今は諦めて残りの人生を、 これこそが真の脱炭素「適応社会」と考える、地 域での「救命ボート」作りに努め、それが心豊か な幸せ社会であることを示そうとしている。