食卓からみる世界-変わる環境と暮らし第15回 世界に名だたるコーヒー産地を夢見て~東ティモールのコーヒー栽培
2019年12月16日グローバルネット2019年12月号
特定非営利活動法人 パルシック 理事
東ティモール事務所 代表
伊藤 淳子(いとう じゅんこ)
東ティモールはオーストラリア大陸の北、インドネシア南東部のティモール海に浮かぶ小さな島、ティモール島の東半分を占める岩手県ほどの面積の小さな国です。ポルトガルによる長い植民地支配と24年間にわたるインドネシアによる軍事支配を経て、2002年に独立を果たしました。独立前後の混乱時に国際メディアによる報道が集中したため、東ティモールにはいまだに紛争のイメージが付きまといますが、この国がとても平和な、そして稀有な歴史を持つアラビカコーヒーの生産地であるということを、もっと知ってもらいたいと思います。
●奇跡の「ティモール・ハイブリッド」誕生
私は民際協力とフェアトレードを展開するNGO、パルシックの一員として、2002年より、首都ディリから南に75㎞、標高1,200~1,700mのマウベシ郡でコーヒー生産者の支援活動に携わってきました。コーヒーは木の根元が直射日光に当たらないよう背の高い日陰樹とともに栽培されます。高台に立ってマウベシの街を眺望すると、日陰樹として用いられているモクマオウの森が乾いた山肌にぽつり、ぽつりと点在し、コーヒー畑がこの地域でほぼ唯一の森を形成している様子がわかります。
ポルトガルによる植民地支配下の東ティモールでコーヒー栽培が始まったのは19世紀初頭でした。19世紀後半から世界各地でさび病という病気がまん延し、アラビカコーヒーが全滅します。その中を奇跡的に生き残っている木が東ティモールの山中で発見され、宗主国ポルトガルに運び込まれました。1927年、このコーヒーはさび病に強いロブスタ種という別の種類のコーヒーとの自然交配で生まれたアラビカ新品種であることが確認され、「ティモール・ハイブリッド」と名付けられ、各地で品種改良に利用されるようになりました。現在、世界各地で栽培されているアラビカコーヒーの9割が「ティモール・ハイブリッド」とのかけ合わせだといわれています。
●東ティモールのコーヒー栽培
こうした事実を東ティモール人が知ったのはごく最近、独立後10年以上が経ってからでした。世界中の名だたるコーヒー産地が「ティモール・ハイブリッド」の恩恵を受けて病気に強いコーヒーの品種改良や収量の向上に励んでいた間、東ティモールのコーヒー生産者たちは独立への苦しい闘いを続けていました。とくに1975年にインドネシア軍が東ティモールに侵攻して以降、コーヒーの品質は市場から問われなくなり、栽培技術も収穫後の加工技術も衰退していきます。コーヒーの木の高さを整えたり枝を選定したりという手入れはされず伸び放題、収量のピークを迎える樹齢15~20年を過ぎても植え替えはされず、樹齢50~70年という木から今も収穫を続けています。
当然、一本のコーヒーの木から得られる収量は少なくなります。東ティモールのコーヒー生産は1ha強のコーヒー畑を持つ小規模生産者によって主に担われていて、1ha当たりのコーヒー収量は生豆で150~200㎏といわれており、これは近隣の東南アジア諸国と比較しても5分の1程度です。2019年の東ティモールでの相場価格で計算すると1ha当たりおよそ500ドル弱の収入になります。東ティモールでは乾季の6月から9月ごろまでがコーヒー収穫期で、この収入が生産者の年間収入の8割ほどを占めていると思われます。とてもコーヒーだけで食べていくことはできません。生産者たちはコーヒーの木と木の間にタロイモや食用カンナを植え、バナナやアボガドの木を植え、雨季が始まるとトウモロコシやインゲン豆、サツマイモを植える畑づくりに精を出します。コーヒーからの収入があるときは安い輸入米を買って食べ、現金が底をつくとバナナやイモ類でしのぎながらトウモロコシやインゲン豆の収穫を待つ、という暮らしです。
●もっとお米を食べたい
もともと東ティモールの平野部では稲作が行われていましたが、東ティモール人がこれほど米飯を好むようになったのはインドネシアの影響と、独立後、輸入米が安く市場に出回るようになったためです。お米を作っていないマウベシでは、主食は長らくトウモロコシかイモ類でした。生産者のお宅を訪問して、砕いたトウモロコシの粒をインゲン豆や小豆、落花生、カボチャのつると一緒に煮込んだお粥をごちそうになったり、塩だけで味付けをしたサツマイモの素揚げをたんまりといただいたりすることが良くあります。素材の味が濃くとても美味なのですが、もてなす方は「こんなものしかなくて」といつも恥ずかしそうにします。お米を食べられることが豊かさの物差しになって、久しいと感じます。
若者たちは毎日お米が食べられる生活を夢見てマウベシを去り始め、マウベシに残る親たちも、子供たちからの仕送りでお米が食べられる生活を夢見ています。しかしながら東ティモール国内では就労の機会が限られているため、旧宗主国ポルトガルが融通するポルトガルパスポートを取得してEU圏に出稼ぎに行く若者が後を絶ちません。長い苦難を乗り越えて独立をしたのに、奇跡の「ティモール・ハイブリッド」が世界のアラビカコーヒーを救ったのに、独立後のコーヒー産業が東ティモールの若者たちの希望になり得ないことはとても残念です。
折しも「コーヒーの2050年問題」がささやかれています。気候変動により、世界のコーヒー栽培地の50%以上が2050年にはコーヒーの栽培に適さなくなる、という問題です。どの国も一層科学的研究を進め、品種改良に励んでいくことでしょう。独立して17年目の東ティモールにはこうした研究機関もまだありません。あるのは何十年もさび病に耐え続けてきた「ティモール・ハイブリッド」の末裔と、食いつないでいくために混植をしてきた人びとの知恵だけです。マウベシのモクマオウのこんもりとした森が、30年後には世界に名だたるコーヒー産地となっていることを夢見て、マウベシで生きていくことを決めた若者たちと私たちは2019年11月からコーヒー畑の改善事業に取り組み始めています。