拡大鏡~「持続可能」を求めて第7回 ミツバチもトンボも、わんさかいる日〜田んぼから考える
2019年10月15日グローバルネット2019年10月号
ジャーナリスト
河野 博子(こうの ひろこ)
黄金色に輝く田んぼの周りで、笑いさんざめく人びと――。9年前に宮城県大崎市田尻大貫で、NPO法人「田んぼ」が主催した「生きもの調査」を取材した時の光景が忘れられない。2010年10月、名古屋で生物多様性条約第10回締約国会議が開かれたこともあり、当時、身近な生きものに関心が高まっていた。田んぼの人と生きものは今どうなっているのだろうか。
トンボの羽化殻
先月、9年ぶりに宮城県大崎地域を訪れた。
大崎地域(大崎市と4町)の農業は、2017年12月、日本では9ヵ所目の「世界農業遺産」に認定された。江戸時代より前から巧みな水管理が行われ、豊かな湿地生態系を育んできたことが評価された。
NPO法人「田んぼ」は健在だった。2010~11年の調査の成果をまとめた冊子「たじり田んぼの生きものマップと出現リスト」を改めて見せてもらった。ミミズ、ミジンコ、アメンボ、ドジョウ、メダカ、カエル、ヘビ、サギ、ハクセキレイなど計758種がリストアップされ、圧巻だ。日本全国そして隣国・韓国にまで「田んぼの生きもの調査」を広めた創設者の元高校教師、岩渕成紀さんが体調を崩したため、今は弟子の舩橋玲二さん(50)が理事長を引き継ぎ、頑張っている。
この秋から、世界農業遺産のブランド認証米も世に出る。認証を受ける必須要件の一つに、なんと「田んぼの生きものモニタリング」がある。大崎地域世界農業遺産推進協議会(事務局は大崎市)が決めた。トンボ類からカエル類まで九つの指標生物群をそれぞれの田んぼで農家が調べる。7月には、そのための研修が行われ、約70軒の農家が参加。講師を務めた舩橋さんは、驚いた。「調査方法を細かく説明しなくても、皆さん手慣れていて、パッと体が動く。地域のあちこちで行われた生きもの調査に参加しているんですね」。
そういえば、9年前、「田んぼ」の事務所で、たくさんのトンボの抜け殻を見せられたことを思い出した。農家の人たちが持ち込んだアカトンボ(学名はアキアカネ、ナツアカネなど)の羽化殻だった。岩渕前理事長らが、羽化殻が少ない田んぼと農薬の関係に着目した結果、“犯人”として、特定の農薬の名前も挙がった。舩橋さんによると、大崎地域では「育苗箱」に施すタイプのその農薬を使う農家が減り、因果関係ははっきりしないが、アカトンボが飛ぶようになった田んぼも増えてきたという。
花粉媒介生物の存亡を危惧する世界の潮流
気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の生物多様性版ともいわれる「生物多様性および生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム(IPBES)」は、2016年に花粉媒介生物と食料生産に焦点を当てた報告書を出した。それによると、花粉媒介生物は世界の食料作物生産の35%に貢献しているという。
ところが、花粉媒介生物は地域によっては存亡の危機にさらされている。報告書は「欧州では、ハナバチとチョウの9%は絶滅の危機に瀕しており、ハナバチ種の37%およびチョウ類の31%で個体数が減少している」と述べている。こうした事態に、欧州連合(EU)は2013年にネオニコチノイド系の農薬3剤の屋外での使用を禁止し、昨年4月にその続行を決めた。2017年には、ネオニコチノイド系ではないフィプロニルを同様の措置にしており、計4剤が使用できなくなっている。
日本ではどうなのか。農水省が2016年に出した「農薬による蜜蜂の危害を防止するための我が国の取組」は、農家と養蜂家の間で情報共有を密にして農薬がミツバチにかからないようにする、という対応策を打ち出したにとどまる。①農薬をコーティングした種子をまく際に農薬が剥がれて周囲に飛び散るという欧州での問題は、農薬を施す方法が異なる日本では存在しない、②養蜂家が飼うミツバチの大量失踪(蜂群崩壊症候群)は、日本では見られない――などが理由だった。
とはいえ、昨年6月に農薬取締法が改正され、ミツバチへのリスクの評価方法を厳しくした。農薬はこれまで一回登録されればOKだったが、15年ごとに科学的知見に基づいて登録を見直すことにもなった。「農薬の安全性は高まる」(農水省農薬対策室)という。農薬の成分が作物の隅々まで浸透することから、花粉や花の蜜を巣に持ち帰るミツバチに影響があるのでは、という懸念は解消されるのか。法改正が実施される来年4月以降の検証が必要だろう。農薬の成分が田んぼに張った水に流れ出すことによる影響についての指摘は、今後の課題だという。
欧州で使用が禁止された4剤は、日本の田んぼで広く使われている。主な理由の一つが、カメムシ退治。稲穂の実にカメムシがついて汁を吸うとその跡が黒くなる「斑点米」をなくすためだ。斑点米があると米の「等級」が下がるため、農家としては避けたい。しかし、ここも議論があるところ。「農家にムダに農薬を使わせている」として、グリーンピースをはじめ環境、消費者、農家の団体が制度の見直しを求めている。
昆虫学者のもやもや
話がトンボからミツバチに飛んだ。日本では、農業のど真ん中に田んぼがあり、トンボは田んぼの周りの身近な生きものの代表格なので、農薬の影響が心配される生きものというと、ミツバチだけに終わらない。
環境省の農薬の昆虫類への影響に関する検討会も、トンボとミツバチが対象だった。座長は、国立環境研究所の生態系リスク評価・対策研究室長の五箇公一さん(54)。テレビに登場することも多い農学博士だ。
2017年11月に検討会がまとめた報告は、一言でいえば、「さらなる知見の集積に務める」。「トンボとハチに関しては、ここ10年で集中的に調査が始まった状態です。定量的で比較できるデータをもっと増やさないと」と五箇さんは話し、研究を進めている。
2016年3月に米国の科学誌Scientific Reportsに掲載された五箇さんらの論文は、注目された。フィプロニルを使用した水田で、トンボ類への影響を他の農薬を使用した場合や農薬不使用の場合と比較したところ、フィプロニルを使った水田のみ、「トンボ類の羽化ゼロ」となった。「今、より総合的に進めている研究の結果をまとめるまではっきりしたことは言えないが、フィプロニルは土壌残留性が高く、とくに分解物にも高い殺虫効果があり、環境影響が大きい」。
五箇さんの研究成果は、宮城県大崎地域で私が見聞きしたことと一致する。現地で問題視された「特定の薬」の主な成分は、フィプロニルだったことが、今回、農水省に聞いてわかった。「殺虫剤の中でも毒性は強い。ゴキブリにも使われている。ゴキブリが死ぬということは相当なもの」というのだ。
しかし、五箇さんには、農薬および農水省への批判に終始することには、違和感がある。「高齢化が進む農家さんの苦労は半端ない」「反農薬とおっしゃる方の多くが田畑から離れた東京に住んでいるホワイトカラーで、それで農薬怖いなんて言われても、農家さん困りますよね」。
では、どうすれば? 「日本ではフードロスが大きな問題になっている。消費者も考えなくてはいけない。日本なんか気候的にもカビと虫が溢れる世界だから、作物が少々傷んでいてもいいやというくらいで食べてもらわないと。第一次産業に対する庶民や消費者の感覚、それから市場のシステムを変えないと。食品の安全を求めることは、大事。食べることは、命の根源に関わること。ならなおさらのこと、作るプロセスに関心持たないと」。
社会を変えることなしには、この課題も解決しない。