フォーラム随想歩き食べ

2019年09月17日グローバルネット2019年9月号

日本エッセイスト・クラブ常務理事
森脇 逸男(もりわき いつお)

わが家の近くに1年前ごろ、「ハットグ」の店ができた。ハットグは、テレビでも取り上げられたことがあるようで、つまり韓国式ホットドッグのことだという説明はあるいは余計かもしれない。

その店は、開店してしばらくはなかなかの人気だった。三差路の角の、ほんの10平方メートルも無い、屋台に毛が生えたくらいの広さの店で、目の前でハットグを作ってくれる。

それに好みのソースなどをかけて食べる仕組みで、それが安くて美味しい、中のチーズが伸びるのが面白いなど、SNSなどで紹介されると人気に火がつき、店の前の歩道には、一日中文字通り人の山ができ、小生が地下鉄の駅に行くたびに、隙間を通り抜けるのに苦労した。

ただし、店にはハットグを作る厨房とそれを売る販売台の他は、何も無い。普通、飲食店には不可欠のテーブルや椅子など飲食スペースがまったく無い。皆さん行列を作って購入すると、そのまま路上でかぶりついたり、歩きながら賞味したりで、食べ終わると紙製の容器をその辺にポイ捨て。

 

いや、困ったなあと思っていたら、そのうちに店の前にごみ入れができて、「食べた後の容器はこの中に入れてください」という掲示の紙が貼られたりもした。多分、客以外の通行人から苦情が出たためだろうと思うが、小生としては、もう何年か前に亡くなった友人の言葉をこの情景で思い出す。

曰く、「戦後日本に占領軍が持ち込んだ悪習はいろいろあるが、中でも問題は歩きながらものを食べることだ」。

小生は、この彼より二つ三つ若くて、子どものころは、歩きながら食べるものなど、売ってもおらず、無かった時代だ。したがって、戦前の日本に歩きながらものを食べる風習がなかったというのは、恐らくそうだろうとは思うが、しかし、それが戦前ずっとそうだったのか、あるいはもっと以前は、歩き食べなど珍しくも何ともなかったのかなどは、聞かれてもよくわからない。

ということで原稿を元に戻すと、わがハットグ屋さん、やはり流行の波があるのだろう。最近はあまり店頭の人山は見かけなくなった。

「あ、美味しいものがある」と飛んで来るハトも数羽いて、皆さんが路上にこぼした食べかすを、懸命につついている。と、店員の女性が「そら、邪魔邪魔」と追い出しにかかる。店の中ではなく、路上の「獲物」が狙いのハトは、そこから飛び去ることは残念だったに違いないし、彼らを脅す人間に若干の怨念を抱いたかもしれない。

まあ、路上を汚す食べ残しを整理してくれるハトには、もっと親切であってほしいものだ。

 

さてところで、言いたかったのは、「歩き食べ」だ。わが家までわざわざ大事に持って帰るような代物ではなく、店には飲食スペースがない。だとすると、どうしても店の近くで立ち止まって食べるか、次の目的地まで歩きならが食べることになる。

この「ながら歩き」も、歩き食べばかりか、困ったことがいろいろとある。

よく見かけるのは、「ながらスマホ」。スマホを見ながら歩く若い人たちだろう。寸暇を惜しんで勉強ということなら立派だが、画面をちょっと拝見してみると、ゲームや漫画、写真などがほとんどで、皆さん単なる暇つぶしのようだ。

まあ、それで困るのは、画面を見るのに気を取られて、前から来る人に気が付かないことだ。したがって、前から来る人も同様にスマホに熱中していると、これも気が付かず、両者正面衝突ということになる。

ことに最近は他人のことに気を遣う人が減っているようで、前から来る人のことなどお構い無しに、「わが道を行く」人が増えているようだ。

友人が生きていたら、何と言って嘆くだろうか。

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