日本の沿岸を歩く~海幸と人と環境と第28回 新鮮な地魚と伝統の加工品が人を呼ぶ―神奈川・小田原
2019年07月16日グローバルネット2019年7月号
ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)
小田原駅の西隣にある「日本一漁港に近い駅」がJR東海道線早川駅。出口から歩いてすぐの場所に小田原漁港がある。すぐに小田原水産市場の2階にある魚市場食堂を訪ねると、あいにくの定休日(水曜日)。同じように「新鮮な地魚を味わおう」と期待して訪れた人たちと「残念でした」と慰め合った。飲食店が集まっている市場周辺は近年、テレビなどでよく取り上げられる人気スポット。第2、4週の土曜日(鮮魚販売は第4週だけ)に漁港で朝市が開かれており、週末には車が渋滞する。8月には恒例の「小田原みなとまつり」で漁港がにぎわう。
●大漁の記憶と復活の夢
小田原水産市場から歩いて海に向かい、西湘バイパスの高架下を抜けると防波堤の先に、巨大な小田原ちょうちんの形をした灯台(高さ10.82m)を見つけた。童謡『お猿のかごや』で知られる小田原ちょうちんは、かつて箱根越えをする旅人の道中の魔よけとして広まったものだそうだが、ここでは灯台に姿を変えて海上安全を願っている。
その先に広がる相模湾は駿河湾、富山湾とともに日本3大深湾の一つで、沖合い500mから1kmで水深100mになる。丹沢山から酒匂川、箱根山から早川が栄養を湾に運ぶ。多彩な漁獲があり、小田原漁港に水揚げされる主な魚種だけで約60種類。江戸時代、江戸っ子が好んだ初ガツオは小田原や鎌倉沖で漁獲されて江戸に運ばれたという。近場の漁場で捕れた魚が水揚げされる小田原水産市場は「朝獲れ朝売り」が特徴だ。
市場の建物の中にある小田原市水産海浜課を訪ね、尾幡拓也さん、久永祐太朗さんに話を聞き、小田原の漁業の歴史を詳しく知ることになる。
現在では信じられないようなブリの豊漁があった。大正期に大敷網が導入されると、漁獲が増え、1950年代まで小田原は「寒ブリ」の大漁が続いて1954年ごろには一年に57万匹という日本一の漁獲を誇った。「小田原宿なりわい交流館」には大漁の写真が展示され、「木遣り唄」を掛け声にしていたという。
時が流れた現在、森川海のつながりを再生して、多様な生態系を復活させようという官民挙げての「ブリの森づくりプロジェクト」が2008年から始まった。「森の再生からブリの来るまちへ」をキャッチフレーズにして、人工林の手入れなどをしている。
●「知ってもらう」が目的
小田原は古くから宿場町、城下町として栄えたため、新鮮な魚の需要が多く漁業も盛んだった。入手したパンフレットには漁師が選んだ「小田原四季の代表魚」が紹介され、春がマアジ、ブリ、夏はイセエビ、サザエ、秋はヤマトカマス、サバ、冬はイシダイとヒラメの計8種類がリストアップされている。中でもアジは有名で、アジのたたきは小田原発祥の説があり、2001年にはアジが「小田原市の魚」に制定された。
漁獲の9割を占める定置網のほか、刺し網、釣り、もぐり、シラス船ひき網など多彩な漁法がある。小田原水産市場で取り扱う魚介類のうち、地元の水揚げは2割で1,984t、7億5,000万円(2017年度)。産地市場と消費地市場の二つの性格を併せ持っている。
輝かしい歴史とは裏腹に、漁獲は減少傾向にある。単価の高いアジが2016年には10年前に比べて7割減少するなどして、漁業者の収入も不安定となっている。そこで行政の支援を受けた荷さばき施設や加工施設の新設などの振興策が進められている。
危機感を背景に本格的な動きも出てきた。小田原の地魚復権を目指すために2013年設立された「小田原の魚ブランド化・消費拡大協議会」だ。漁業者、市場、水産加工業者、教育機関、給食、商業関係者、行政などが集まり、小田原の魚をもっと「知って」「買って」「食べて」もらうことを目指している。
まず地元の料理教室やイベントなどで積極的な周知を図り、さらに首都圏への波及を狙っているのだ。
その取り組みの中で誕生したのがユニークな「かます棒」という串揚げ。「北条一本ぬきカマス」と名付けて2014年11月から販売を開始した。頭と尻尾を落とし魚の姿はそのままに中骨、小骨を取り除いて油で揚げたもの。観光地でよく見られる食べ歩きにもぴったりのものだ。2014、15年にあまり利用されていないミズカマス(正式名ヤマトカマス)が豊漁で、ミズカマスを材料にした簡単、手軽、食べやすい商品を作ろうと知恵を絞った末に完成した。
市内の業者が調理し、店舗やイベントなどで1本250円程度で販売しているほか、学校給食でも出される。尾幡さんらに聞いて、小田原駅にある店を訪ね、かます棒のチラシを手に尋ねると、たまたま入荷がないということであきらめた。
かます棒を作るには、頭を落とした先から差し込んで骨と内臓を一気に取り除く専用の調理器具を使う。プラスチック製のストロー状のもので神奈川県水産技術センターが開発した。「北条一本抜器(正式名・魚体中骨抜き具)」として特許を取得した器具は現在、加工業者向けに販売している。「ミズカマスはどこでも入手できる魚なので全国に普及させたいですね」。地元の誇り、北条氏にこだわったネーミングに、筆者は「全国に普及すれば、まさに北条氏の悲願だった天下統一ということになりますね」と持ち上げた。
●風情残るかまぼこ通り
同じように未利用・低利用の地魚を用いた「小田原城前魚」も市が商標登録した加工品ブランドだ。手軽に加工品を味わってもらおうと、地魚を50%以上使用した30商品をそろえている。「カタクチイワシのパテ」「小田原のアンチョビ」「小田原で獲れた鯖のオイル漬け」など、どれを見ても食べたくなるものばかり。
ライフスタイルの変化により家庭で魚をさばく機会が少なく、手間をかけずに地元の魚を味わってもらおうという“味のある”取り組みだ。
小田原は、かまぼこに代表される水産加工品で知られる。かつて魚が大量に捕れても保存が難しかった時代に発展した。良質の水を利用した、かまぼこ製造をはじめ、アジやカマスなどの干物、イカやカツオなどの内臓の塩辛、と何でもあるようだ。
市内には漁業や水産加工の歴史を語り継ぐ風景がある。「かまぼこ通り」には、あちらこちらに業者の建物や看板があった。かまぼこ業者10軒のほか干物などの業者があるという。少し離れた本町(旧大手町)にあるのが「ぶり御殿」と呼ばれる「だるま料理店主屋」。1893(明治26)年創業で、相模湾で水揚げされる魚介を使った料理で知られる日本料理店だ。建物は2002年、国の登録有形文化財に登録された。風格がある外構えで小田原の往時の風情を伝えている。
市内中心部を巡った後、箱根に向かう途中にある「かまぼこ博物館」へ足を伸ばすと、歴史や製造方法などを楽しく学べる施設だった。小田原の魚やその加工技術の発達、現在のさまざまな取り組みを知れば知るほど、食べ損ねた、かます棒をうらめしく思い出していた。丸かじりできる、その日を楽しみにしよう。