フォーラム随想心配の効能

2019年07月16日グローバルネット2019年7月号

地球・人間環境フォーラム
炭谷 茂

毎年、誕生日が近くなると、人間ドックで健診を受けることにしている。

若い頃は結果を気にしなかった。「大丈夫。人間は、簡単にはつぶれない。要は精神力の問題だ」と思っていた。1ヵ月後に郵送されてくる検査結果は、気にする点はなかった。

しかし、年齢を重ねるにつれ、重大な病気が見つかるのではないか、と心配になってきた。

「このごろ喉が痛い。もしかして喉頭がんか?」などと気になる点が頭に浮かぶ。兄弟が次々に若くしてがんで亡くなっているから、がん家系である。

今年もこのような心配から最初の検査である血圧が、跳ね上がった。精神の乱れが、正直に血圧に反映する。3年前まではなかったのに……。

時間が経つと血圧は、正常値に落ち着くが、「肚ができていない」と情けなくなる。看護師にもそう見られているように思える。

予測し、心配することは、悪いことではない。

原始時代から人間は、飢餓、災害や外的からの襲撃に備えて対応することが生活のすべてであった。人体も飢餓に備えて自律神経やホルモンの仕組みが構成されている。これに対して栄養過多の状態への調整の仕組みが劣っている。このために糖尿病を発症する。

人類の進歩も、災難へ備えることから成された。

私の人生も同様だった。才能や健康・体力に恵まれなかったし、貧困な家庭で育ったから、突発的な出来事への対応力は、乏しかった。それでも誰も助けてはくれなかったから、自分で切り開くしか道はなかった。10代後半から独力で稼ぎ、暮らしてきた。

芥川賞作家の西村賢太の小説は、自分の極貧の経験を描いているが、私には、よくわかる。

その後もいつもどん底に落ちるのではないかという恐怖心から逃れられなかった。それが生きる原動力になった。

この経験は、私のライフワークである社会の底辺で生活する人たちへの援助活動の時に影響する。 

長い間、大阪・釜ヶ崎でホームレスに接してきた。バブル後の長期の不況でリストラで仕事を失った人、精神疾患に悩む人が多い。

山口刑務所で4年前から社会復帰に役立てるためのホームヘルパーの資格取得の研修を担当している。受講している受刑者は、さまざまな過去を背負っている。悪条件が折り重なったのだろう。

彼らと私の人生が重なり合う。誰でもが陥る可能性のあることなのだ。

恐怖から逃れるための唯一の方法は、自分で努力することしかないと、10代から思っていた。そして努力だけが自分を成長させた。

松本清張は、極貧生活を送りながら作家修行を積み、大衆作家として不動の地位を築いた。「自分の趣味は、努力することだ」と彼が言ったことを今でもはっきりと記憶しているのは、私の思いと一致するからだ。

心配していたことは、杞憂に終わり、現実には発生しないことが圧倒的に多い。「案ずるよりも産むがやすし」だ。

でも自分の生活であれ、仕事であれ、起こり得るケースを予想して準備することが習性になった。この準備は、たいがい不要になるが、自分を成長させ、他の場面で役に立つ。

とは言っても、人生に何度かは、必ず予期しない突発的・危機的な事件に出会う。頭が真っ白になる。あの時何をしたか覚えていないパニック症状に陥る。

功成り名を遂げた人の座右の銘を目にする。漢籍に登場する言葉や西洋の哲学者の名言など難解な言葉が多い。読み方もわからない。

私は、人生の危機的な局面では、難しい言葉は、浮かばない。ただ「努力をすれば乗り切れる。自分の人生がそうだった」と心の中でつぶやいてきた。

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