環境ジャーナリストの会のページ「原発非主力化」直視する日々
2019年06月14日グローバルネット2019年6月号
毎日新聞東京科学環境部
江口 一(えぐち はじめ)
「原発非主力化」直視する日々
「日本政府が途上国の地球温暖化対策支援として原発を排除しない考えを表明した」……。2011年10月、地球温暖化対策の国際会議を取材中に私が書いた原稿だ。福島第1原発事故から半年あまりしか経過していない時期で、「政府はまだ、原発にしがみつくのか」と驚き、キーボードをたたいたことをよく覚えている。それから8年近く経過し、エネルギー源だけでなく、温暖化対策としても原発が排除されつつある現実を考えると、隔世の感は否めない。
「事実積み上げ」心掛け
昨年4月、現在の部署に6年ぶりに戻り、各地の原発の状況や福島第1原発の廃炉作業の進展など、原子力報道を統括するデスク役を務めている。取材現場になかなか出掛けることができない悲しさを押し殺し、自省を込めて同僚記者にお願いしているのは、「あるべき論」にとらわれて物事を見るのではなく、「事実を積み上げて浮かび上がるものは何か」を描いてほしいということだ。
原発事故や原子力政策については、リスクの判断や政策推進の賛否をめぐり、人びとの意見の隔たりが大きい。何十年と積み重ねられたり、何万人と多くの人から集められたりしたデータを「鳥の目」で俯瞰する結果と、個人が生活の中で受け止める経験が異なることもある。それはどちらが正しい、という性質のものではない。
そこで力を持つのは「事実」そのものである。読者に判断してもらう材料を提供するために、事実を積み重ねていく。つなぎ合わせて、見えるものをわかりやすい言葉に変換していく。こうした報道の原点を大切にしたいと思っている。
「事実」からみると、もはやエネルギー源としても温暖化対策としても、原発は「頼りたくても頼れない」のが現実だ。
計画段階や廃炉決定分を含めると60基の国内原発で、福島事故後に再稼働にこぎ着けたのは9基にすぎない。今年、新たに再稼働できる原発はない見込みだ。さまざまな批判はあるものの、「世界最高水準」の厳しさを掲げる原子力規制委員会の審査はある程度、機能しているといえよう。裏返せば、規制委以前の旧原子力安全・保安院時代の安全審査がいかに甘かったか、ということでもある。
ここに来て、動いている原発9基も、いわゆる「テロ対策施設」の完成遅れで、再び運転停止に追い込まれる可能性が出ている。9基以外で今後、再稼働可能な原発は、現時点で数基にとどまる見通しだ。技術革新で低コスト化が進む再生可能エネルギーに比べ、地震や津波、テロへの備えといった安全対策費を考慮すると、原発は経済性でも劣るのでは、との指摘も相次いでいる。
そして何よりも、「3・11」以降に経験し、現在進行形でもある福島の苦労が、事故が起こった場合の原発のリスクを物語っているように思う。
結論は自ずから
ついには政府の温暖化対策の長期戦略案に「原発依存度を低減」と書き込まれるまでになった。原発はあまり話題にならなかった、というのが実態のようだ。京都議定書が温暖化対策の枠組みだった時代、経済産業省を中心に原発を対策の中心に据えよう、という声も大きかった。「様変わり」とはこのことだ。
私は当初、今回の原稿の締めを「温暖化対策でも原発ゼロを目指せ」と締めくくるつもりだった。しかしデスク席に座っていると、「原発非主力化」を象徴する原稿が日々、集まってくる。声高に言わなくても、「温暖化対策でも頼ることなどできない」という結論が自ずと導き出される。そう考えるようになった。
今後は一歩進め、事実を積み重ねて「エネルギー面のあるべき温暖化対策」を模索していきたい。それもコスト、事故時のリスクを考えると、答えは自然と見えてくる。そして忘れてはならないのは、原子力をたたむ場合もきちんと人と金を投入し、作るとき以上に力を入れて「後始末」することだ。
原子力ニュースと格闘しながら、そんなことを思っている。