日本の沿岸を歩く―海幸と人と環境と第27回 ツルの里の海はエビもノリも最高級―鹿児島県・出水
2019年06月14日グローバルネット2019年6月号
ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)
鹿児島県出身の歌手、長渕剛の歌に『鶴になった父ちゃん』がある。雪の降る空から一斉に舞い降りるツルの群れを見ながら、亡き父との思い出をたどる。歌の舞台はツルの飛来地として知られる出水。薩摩藩時代の麓武家屋敷群があるなど歴史ある出水市内に入ると、ツルにちなんだ名前やオブジェがここかしこにあった。
●風の力を利用した漁法
八代海(不知火海)に注ぐ米ノ津川河口にある漁港に着くと、北さつま漁業協同組合出水支所を訪ねた。まず尋ねたのは八代海でのケタ打瀬漁について。300年の伝統を持つ漁で、大きな帆で風を捕らえて網を引く。網には鋼製の歯を付けた桁が付いており、砂底に潜ったクマエビやクルマエビを捕る。取材したのは1月下旬。出水市の冬の風物詩となっているのでケタ打瀬船が撮れればと思ったが、「陸からは見えませんよ」と漁協職員に言われ、期待はあっさり消えてしまった。
風の力で袋網を引く打瀬網漁はかつて東京湾で盛んだったといい、昨夏訪ねた北海道の野付湾では現在でもホッカイエビを捕る漁法として存在していることを知った。
出水のケタ打瀬船などによるエビ漁は11月1日から3月15日までが漁期。漁を終えたケタ打瀬船が支所近くの港に係留してあった。4隻のうち実際に動いているのは2、3隻という。
鹿児島県ではクマエビやクルマエビのような大型のエビを素焼きにして干した「焼き海老」が贈答用に珍重されている。正月の雑煮のだし用に使われ、出水のクマエビを使ったものは鹿児島の老舗デパートで販売されているそうだ。
さらに知名度が高いのはノリだ。出水市でノリ養殖が始まったのは1950年ごろ。鹿児島県内ではかつて錦江湾でも養殖が行われていたが、現在は出水だけ。日本最南端となったノリ養殖地では、組合員8人が生産、加工をしている。
出水では伝統的な養殖を続けている。通常のノリ養殖では、ノリの胞子が付いた養殖網ごとクエン酸を溶かした液に浸す「酸処理」をしているが、出水では酸処理をせず昔からの「支柱式」で養殖をしているのだ。酸処理は「海の農薬」ともいわれ、ノリを海水に長時間浸せるようになり、収穫量が増える。一方、支柱式では干潮時に海面の上に出たノリ網に太陽光や風が当たり、他の海藻や病原菌が取り除かれる。
「福岡では15日程度で育つものが、ここでは25日もかかります。当然生産量も落ちます」。潮の干満が大きく、晴天の日が多い出水の地の利を生かした養殖法の説明を聞きながら、無農薬野菜を栽培するようなものだと感じた。肉厚に育ったノリはアミノ酸が多く濃厚な味わい。宣伝しなくても全国から問い合わせがある人気のノリで、東京では自然食品の店で売られているという。
●在来アサクサノリ復活
出水のノリのこだわりは在来種「出水アサクサ野口種」も養殖していることだ。現在全国の養殖ノリの99%は繁殖力が強く生育の早いスサビノリが占め、かつて高級ノリの定番だったアサクサノリは姿を消してしまった。出水の漁業者らは鹿児島県水産技術開発センターの支援を受けて、10年前に出水アサクサ野口種を復活させたのだ。
ノリ養殖で気になったのはツルとの関わりだが、案の定、ツルに与えている餌がカモも引き寄せ、カモによるノリの食害に悩まされているという。カモを防ぐために、竹の棒を周囲に巡らし、さらに防除網を張っている。寒風を受け海水の中での重労働に竹を立てる作業が加わる。高級なノリの生産量を増やせば収入も増えるのだが、食害対策が重荷になって規模拡大は難しい、という。出水のシンボルであっても、漁業者が被害を受けている事実は否めない。
合併で支所になった旧出水市漁協は、ノリや内海で捕れた魚で際立つ存在感を感じさせる。ツルに劣らず出水の魚介類の知名度は高く、一本釣りの内海のアジは「黄金アジ」として東京市場などで知られる。名前の由来は魚体が黄金色になることから。東京での小売価格も通常のアジに比べると高値になる。一年中捕れるコウイカも東京の寿司店などで重宝されている。
●ツルの数増え対策苦慮
出水支所を後にすると、ツル観察センターに向かった。毎年11月1日から3月第3日曜日までオープンしており、2階の展望所、屋上からツルを間近に観察できる。世界に生息する15種類のツルのうち7種類を確認している。
同じ渡来地である韓国で1976年に米韓合同軍事演習が始まってから出水への渡来数が急増。これまでの最多記録は2015年の1万7,005羽である。
訪れたセンター入り口のボードには羽数調査の結果が示してあり、総数1万3,645羽。内訳はナベヅル1万572羽、マナヅル3,057羽、クロヅル10羽、カナダヅル4羽、ナベクロヅル2羽(1月13日実施)。すでに北帰行が始まり数は減り始めていた。前回訪れた2003年の記録は1万2,024羽だったので、少し増えたようだ。
屋上からは長渕剛の歌のように壮観なツルの群れを見ることができた。多くはナベヅルで、近くにいた男性は少ないマナヅルを望遠カメラで探していた。
ツルは出水にはロシアや中国から越冬のために飛来し、繁殖はしない。江戸元禄期にねぐらとなったとされる。1952年に国の特別天然記念物「鹿児島県のツルおよびその渡来地」(面積約245ha)に指定されている。かつて九州に数ヵ所あった渡来地は現在出水だけ。ナベヅル、マナヅルとも絶滅危惧種であり、世界の生息数の9割が出水に集中している。
2ヵ所ある保護区ではツルに餌が与えられており、ピークの12月から1月までは毎朝約1.5tもの小麦などをまく。餌を与えている理由は、この場所にとどめて他の場所で食害を生じないようにするためだ。農作物の被害対策として農家に防鳥糸、赤銀テープなどを支給しているほか、ノリ養殖場を漁船で回ってカモの追い払いもしている。農作業の妨げにも考慮したマイカー規制のために、2016年から訪問者にガイド付きバスに乗り換えてもらう社会実験を実施している。
ツルの保護と農業や漁業への被害対策をめぐり、これまで熱い論議が続いてきた。餌を減らせば他の場所で被害が出る、危惧種は大切に保護しなければならない、地域の観光や農水産業への配慮も必要…。いくつもの課題が交錯し、増減いずれにせよ気掛かりな問題である。
環境省は鳥インフルエンザ発生のリスクや地元の養鶏業者への風評被害が懸念されるため、生息地分散化の方針に従って、2015年に出水自然保護官事務所を開設した。魚にも鳥にも快適であろう自然がある出水で、野生生物と人間の「適切な関係」を築けるかどうかが問われている。