日本の沿岸を歩く~海幸と人と環境と第24回 栄光の漁港町にある地元愛と期待―北海道・釧路
2019年03月15日グローバルネット2019年3月号
ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)
江戸時代に松前藩との交易所として始まった釧路港は、北海道東部の物流拠点だ。地図を見ると、岸壁の総延長が10㎞もある巨大な港を介して、釧路中心街が海に開けている。釧路川の河口に広がる東港区にある副港が漁業基地である。釧路市設魚揚場の前に着くと、昼下がりの漁港は水揚げがなく、ひっそりとしていた。隣の、くしろ水産センターを訪ねて釧路市水産港湾空港部水産課の小林裕司さんに会った。
●22回水揚げ量日本一に
小林さんが開口一番に説明したのは、釧路が日本を代表する漁港として知られ、1969年から91年まで、78年を除いて連続22回も水揚げ量日本一になったこと。水揚げのピークは1987年の130万t、金額では1977年900億円が最高だった。だが、2016年の水揚げは11万4,207t、金額は100億9,900万円。全国の順位では水揚げで4位(前年6位)、金額で18位(同16位)とトップに水をあけられている。
200カイリ水域制限(1977年)による北洋漁業からの撤退があり、その後、道東沖でのイワシの漁獲が増えたものの、91年以降激減したことが水揚げ減少の背景にある。近年は近海漁業にシフトしており、金額のほぼ半分を沖合底引き網漁業が占め、大中型まき網漁が4分の1と続く。サンマ棒受け網漁やイカ釣り漁業は漸減傾向だ。イワシ、スケトウダラなど魚価の安いものが多いため、水揚げ量に比べて金額の順位が低いのだという。
水揚げを左右する外来船を増やそうにも、北海道、東北の漁港と激しい競争がある。サンマ漁(棒受け網)は花咲(北海道)、厚岸(同)、石巻(宮城県)、サバやイワシ漁では八戸(青森県)などがライバルだ。
小林さんは「釧路は北海道東部では最大の漁港ですが、全国的に見ると銚子(千葉県)や焼津(静岡県)などのように周辺に水産加工業者が集積した港に後れを取っています。大消費地から遠いため、保冷倉庫などの施設を充実させる必要もあります」と解説する。
2004年に訪れたことのある「釧路フィッシャーマンズワーフMOO」を再訪すると、ビルはオレンジ色や青のカラフルな外壁になっていた。1989年に第三セクター方式で開業した5階建て総床面積1万6,028m2の複合施設には、海産物や土産品のショップ、飲食店や公共施設などがある。MOOはMarine Our Oasis(海のオアシス)の頭文字で人びとが集う場所への期待が込められている。本場米国サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフが娯楽や歴史など多彩な魅力にあふれる観光地であるのに対して、釧路フィッシャーマンズワーフは規模も派手さも比較は難しい。オープン後のバブル崩壊で湾内遊覧船が運航中止になるなど、当初の構想で目指した姿には至っていない。
●来訪者増やす動き次々
地域経済の低迷、人口減少など沈滞が続く釧路だが、近年振興への動きが活発になってきた。観光庁は2016年、訪日外国人旅行者を地方へ誘客する「観光立国ショーケース」として、釧路市、金沢市、長崎市の3都市を選定した。魚介類などを生かした体験型観光、夜景などを意識して観光資源をブラッシュアップし、情報発信などの取り組みを支援するという。
格安航空会社(LCC)Peachは昨年8月、大阪(関西)-釧路線を1日1往復で運航開始した。北海道の道東にLCCが就航するのは初めてで、航空会社の就航時のコメントには「人生観を変える景観を紹介したい」とあった。
また海外クルーズ客船の寄航が多く、2018年は20隻を数えた。夏の平均気温21℃と天然のクーラーに恵まれていることもあって、釧路を訪れる人は長期滞在が多いのも特徴だという。
魚介類を中心に市民の台所として親しまれている公設の和商市場にも足を伸ばした。「わっしょい、わっしょい」という掛け声や「和して商う」という願いから命名された。市の中心地にあり、鮮魚などの食料品店、食堂など60店舗ほどが入っている。
所々にテーブル席があり、買ったものを食べることができる。客が鮮魚などを選んで作る「勝手丼」は観光客に有名だ。シシャモを買い、調理できる別の店に頼んで焼いてもらった。カニ汁180円も追加して屋台のような気分を味わうことができた。ちなみにシシャモの水揚げは釧路が一番多く、干物などに加工したものは「釧路ししゃも」として地域団体商標に登録されている。
やはり釧路の魅力は海の幸だろう。一年を通して多種多様な魚が味わえる。だが「水産の町」として知られているのに「釧路の魚」が知られていないのではないか。そんな反省から市が取り組んでいるのが「くしろプライド釧魚」(通称プラ釧)というキャンペーンだ。
小林さんは「地元の人は舌が肥えているので、地元で愛されてきた魚介類にはその理由があります。いま一度市民の皆さんが釧路の魚のおいしさをしっかり知り、自信を持って来訪者に勧めてもらうのが狙いです」。
そのパンフレットには、釧路に水揚げされる33魚種の漁期、旬、料理法などをまとめた表があり、地産地消ならぬ旬産旬消をアピールしている。解説には「トキシラズと秋鮭はどちらもシロザケ:トキシラズは春から初夏にかけて水揚げされる若いサケで『時を知らない』から」などと書かれ、思わず読み進んでしまう。
●跡地に魚河岸発祥の碑
取材の締めくくりは、釧路のシンボルである幣舞橋付近の散策。釧路川沿いにあるフィッシャーマンズワーフを出ると、橋のたもとに魚河岸発祥の地の碑を見つけた。1907(明治40)年に魚市場が開設され、その後二つに分かれていた魚市場が統一された「錦町魚河岸」になり、1960(昭和35)年に完成した漁業専用の副港へ移転するまで、水産業の中心地であったことを静かに誇っているようだ。
幣舞橋はヨーロッパスタイルの橋で、欄干の途中にはブロンズ像が立っている。釧路の夕日はマニラ(フィリピン)、バリ島(インドネシア)とともに「世界三大夕日」に数えられる。世界中を航海した船乗りたちの口コミが発祥だという。観光パンフレットの写真は夕日を背に橋とブロンズ像のシルエットが美しく、実物を見たいものだ。橋を渡ると、歌人・石川啄木の資料館「港文館」がある。在籍した旧釧路新聞社の社屋を復元したもので、建物の前に啄木の像が立つ。さらに釧路市を一望できる釧路市生涯学習センター(まなぼっと幣舞)10階にある展望室へ上り、夕暮れの港町を眺めた。
釧路湿原から流れてくる釧路川や釧路港の風景が、釧路の歌を思い出させる。『釧路の駅でさようなら』(1958年)、『釧路の夜』(68年)、『北の旅人』(87年)、『釧路湿原』(2004年)…。水産業で盛隆を極めた昭和を懐かしむ、たそがれ感も禁じ得ないが、ここに暮らす人びとの半端ない地元愛の存在を知ると、釧路の魅力の深さと発展の可能性に気付く。市民アンケート(2016年)で86.8%が「釧路市に愛着や親しみを感じている」と回答しているのだ。